[CML 066812] 4・29「昭和の日」反対!大阪集会
吉田 宗弘
mnhryoshi @ yahoo.co.jp
2023年 4月 21日 (金) 15:49:04 JST
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反戦反天皇制労働者ネットワークの吉田です。
政府は天皇徳仁の6月後半インドネシア公式訪問を発表した。いま、なぜ、インドネシア訪問か。日本とアセアン友好関係樹立50年だから、アセアン議長国がインドネシアだからだ、という。インドネシアはアセアン加盟国のベトナムとともに5月19、20日の超大国G7広島サミットに招待されている。いうまでもなく、広島サミットはウクライナへの戦争支援態勢の飛躍的強化とロシアの弱体化および対中国軍事政治経済包囲網のいっそうの拡大がその目的だ。だから、日本とG7は、インドネシアとアセアンをこのG7主導の戦争態勢に参加させたいのだ。日本とインドシナの友好親善の強化はぜひとも必要なのである。
インドネシアは、天皇裕仁が最高指導者になって「大東亜共栄圏」実現を掲げて、石油、コメ、人の略奪をすべく侵略した国だ。約四百万名の人命を奪い、数十億ドルの物質的損害を与えた国だ(サンフランシスコ講和会議でのインドネシア代表の演説)。天皇明仁は1991年、インドネシアを訪問し戦争犯罪の「謝罪なき謝罪外交」を行った。日本軍・自衛隊が戦後、海外派兵を始めるにあたっての地ならしであった。天皇徳仁は、帝国主義アメリカを軸にした戦争態勢の強化に資するため「元首外交」をするのだ。かつての侵略戦争責任など「どこ吹く風」だ。厚顔極まりない態度である。
戦争の時代に入った今、私たちは改めて日本のアジア侵略と天皇制について真剣に考えたい。下記の集会・デモにぜひ参加してください。
■4・29「昭和の日」反対!大阪集会
――昭和天皇の侵略戦争責任を問え!――
◇日時 4月29日(土・休)13時開場、13時30分開始
集会後デモ
◇場所 PLP会館4階会議室(JR環状線「天満」/地下鉄堺筋線「扇町」下車)
◇映画『侵略パート4・中国の大地は忘れない』上映
◇講演「日本のアジア侵略と天皇制」
◇講師 森 正孝さん(元静岡大学非常勤講師)
◇資料代 800円(経済的に苦しい方は受付まで)
◇主催 参戦と天皇制に反対する連続行動
「昭和の日」とはなにか
戦後天皇支配の原点、「終戦の詔書」(「玉音」放送)を撃て!
(1)岸田文雄政権はいま、アメリカの世界支配戦略の一翼として琉球諸島を戦場にする対中国戦争を準備している。戦争のきな臭さが大きくなるなか、天皇裕仁を賛美する「昭和の日」がくる。今後、戦争に向けた「心の準備」の一つにするのであろうか。私たちは今一度、「昭和の日」の本質を考えねばならない。そして、対中国戦争、新たな朝鮮戦争を阻止しよう。
(2)日本の人民は、裕仁が天皇に即位して以降ずーっと、彼の誕生日を勅令や祝日法によって祝わされてきた。戦前は「天長節」、戦後は「天皇誕生日」、そして現在は「昭和の日」。これからも祝わされるのか。
裕仁の「天皇誕生日」は1989年1月、彼の死去によって祝日法から消えた。〈戦後復興をはかる国民一致の精神的中心が昭和天皇〉と考える支配階級と極右勢力には耐え難いことであったに違いない。彼らは「天皇裕仁」を国民の記憶に永くとどめるため祝日法の改正を考えた。しかし、裕仁の死の前後からアジアと世界、日本で激しく巻き起こった「戦犯天皇ヒロヒト糾弾」の声はそれを許さなかったのである。そこで、彼らは「4月29日」を「みどりの日」にする迂回(うかい)戦術をとった。小渕恵三官房長官(当時)の私的諮問機関、「皇位継承に伴う国民の祝日に関する法律改正に関する懇談会」は、「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから『緑』にちなむ名がふさわしい」と「みどりの日」の設置を提言。「4月29日」は「みどりの日」になった。
1991年の海上自衛隊掃海部隊のペルシャ湾派兵を皮切りに、92年にはカンボジアPKO派兵、93年にはモザンビークPKO派兵と、自衛隊の外国派兵が始まった。日本は新たな戦争国家へと歩み始めたのである。極右勢力は93年4月、「みどりの日」を改名する請願運動を発足させた。2000年3月、自民、自由、公明の連立与党は祝日法改正案(「昭和の日」法案)を国会に提出。そして05年5月、自民、公明の与党と、当初反対した民主党の賛成で成立した。
(3)「昭和の日」は、敗戦という帝国(天皇制)存亡の危機を乗り切り戦後復興を激励した天皇裕仁の称賛を基底にすえている。それは、敗戦のなか「聖断」とそれと一体の「国体(天皇制)護持」を目的とした天皇裕仁の「終戦の詔書」(=「玉音」放送)と連結するものであった。「玉音」放送はマスコミの「終戦特集」でよく取り上げられ、戦後日本の原点のように扱われた。
「玉音」放送の特徴は第一に、ポツダム宣言の受諾と戦争終結を政府ではなく天皇みずから国民に告知したことだ。国家最高の権力と権威が天皇にあることを国民に再確認させたのである。第二は、中国や朝鮮、アジアの人びとに侵略戦争と植民地支配の謝罪を一切しなかったことだ。それどころか日本の戦争を「帝国の自存と東亜の安定」のためであって「侵略戦争ではない」と居直った。第三。臣民の戦死や殉職、遺族への思いや、負傷した兵士や戦禍に遭った者への心配を表明したが、反省も謝罪もしなかった。第四は、国体(天皇制)護持を最高の価値とし、将来の建設に総力を傾けよとの訓示だ。
こうしてみると、「玉音」放送は敗戦時の天皇と政府の態度であるばかりか、戦後一貫した日本政府と天皇の態度と言わねばならぬ。「昭和の日」もそのうちの一つだ。
(4)対中国戦争・対朝鮮戦争を政治過程に入れた日本の支配階級と戦争主義者は、「国民統合」の象徴天皇制から「国家と侵略戦争を担う」天皇制への改編を目論んでいる。「統帥権の復活」はさすがにあり得ないが、これまで以上に自衛隊や戦争との関り、あるいは戦争における天皇の役割を強めるに違いない。明仁が追求し退位特例法で「合法化」した公的行為の拡大はその形式となろう。自衛隊戦死者の国家・国民あげた追悼の確立は、当面の最大課題に違いない。これまでもそうであったように裕仁の「玉音」放送(終戦詔書)はこれからも天皇制国家の原点であり続けるに違いない。いずれにしても「戦争の時代」に入った今、私たち民衆には戦争と天皇制を串刺しにする闘いが求められる。とりわけかつての侵略戦争・植民地支配の弾劾は支配階級と天皇の根幹を撃つことであり、侵略国の人民である私たちは避けてはならない闘いである。国際連帯はそれ抜きにない。対中国戦争阻止、新たな朝鮮戦争阻止に全力をあげよう。
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【連絡先】参戦と天皇制に反対する連続行動(関西単一労働組合)
大阪市淀川区十三東3-16-12 Tel/Fax 06-6303-0449
*4・29集会に賛同を。
賛同費は個人・団体とも1000円 「4・29」集会と明記を
郵便振込 00900-8-168991
口座名称 反戦反天皇制労働者ネットワーク
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