[CML 065732] 日本の未来
森中定治
delias @ kjd.biglobe.ne.jp
2022年 10月 20日 (木) 21:21:41 JST
みなさま
こんばんは。
今日は久しぶりに穏やかな秋晴れでした。
今日の毎日新聞のコラム「木語」に、NATOが軍事演習を始めたとあります。恐ろしい軍事演習です。14カ国が集まって戦闘機に核爆弾を装着、投下する実地訓練です。ロシアが核兵器を使った時のための練習です。
米国とNATOはロシアがウクライナに核兵器を使用したときの対策として、次の3つが想定されています。
1 軍事介入はせず、ウクライナへの武器支援や経済制裁の更なる強化
2 軍事介入するが核は使わず強力な通常兵器で介入する。それはロシア国内まで含め、敵基地攻撃をする。
3 核には核で対抗。核兵器の撃ち合い。最終的には全世界の核戦争。
1や2では核による報復はないと見込んだロシアが、更なる核攻撃をするだろうとの見方もできると指摘されています。
私が思うに、結局核を持った国を攻撃しても、その攻撃に核を使おうが使わまいがいずれも、相手国が滅ぼされようとする時点では滅ぼされる側は核を使うと考えられることです。
核を使わないままでどうか滅ぼされてくださいと願っても、そんな虫のいいことを願う方が間違いだと私は思います。人間の存在は、あくまで個人であってそれ以外はないという現在の一般常識では、個人が殺されればこの人間社会はその個人にとっては同時に消滅します。その点を厳密に考えると、それを左右できる立場の人間が生命を捨てることを覚悟した時、核を使わないという選択肢はないでしょう。使わないかも知れないけれど、使わないという前提を持つことは論理的に間違いだと私は思います。
人類に戦争をやめる時が来ています。
戦争をやめるためには、敵対しないこと、侵攻が目に見えるようになる前の「戦争の種蒔きと生育」の長い間、ツノを突き合わせる関係、両国の人々がお互いを不快に思う人間関係を作らないことです。主義や考え方あるいは生活習慣の大きく異なる国家間では、特に繊細な神経を使わなくてはならないと思います。
両国民自体は仲良くしたいと考えていても、小さな国は他の大きな国から意図的にツノを突き合わさせられている場合が多いと思います。小さな国は、いつもそのことを頭に入れておく必要があると思います。
「戦争の種蒔きと生育」の長い間は放置しておいて、戦争になってから、攻めてきたお前が悪い!退け!退け!と偉そうに言っても自己満足に過ぎません。何の意味もないと私は思います。
今回のロシア・ウクライナ戦争でもロシアの侵略!と言ってみたり、ロシアを許さない!と言ってみたり、それをプラカードに書いてデモをして、あるいはロシア大使館に押しかけて・・、そんなことでロシアがはい、そうですかと兵を退くでしょうか。ただロシアの不快感を増すだけ。それ以外の意味があるのでしょうか。そんなことばかりしていると、そのうち日本はロシアにとって敵国になるでしょう。わざわざ敵国を作りたいのでしょうか。国際法違反だから退け!と言いますが、泥棒は法律違反でしょう。法律違反ですから泥棒はやめましょうと言っているのと同じです。そう言えば泥棒がなくなるのでしょうか。意味がありません。
戦争をやめさせるには、お互いが敬意を払った対等の話し合いが必要でしょう。その話し合いで相手が納得する以外に兵を退かせることはできないでしょう。相手を怒らせ、不快にさせることは、その戦争をやめるための大事な話し合いを自ら足蹴にし投げ捨てているのと同じです。
暴力なしで、話し合いでロシア兵を退かせたいと思うのであれば、一方的なデモで相手を怒らせるのではなく、なぜ大使館に率直な話し合いに行かないのでしょうか?個人ではそれは無理と思うのなら、頼みとする平和を愛する政党にそれをお願いしたらどうなのでしょうか。真に平和を愛する政党であれば、お前が悪いとジャッジして侵攻した方を憎むように煽るのではなく、本当に戦争を憎み和解を進めてくれる党だと実感できるような対応をとってくれると私は思います。
森中 定治
CML メーリングリストの案内