[CML 063713] ドンバスの組合リーダーへの独占インタビュー(下)
yorikazu shimada
ningen @ hotmail.com
2022年 2月 28日 (月) 20:45:30 JST
http://novaresistencia.org/2020/05/20/an-exclusive-interview-with-a-donbass-union-leader-andrey-kotchetov/
ドンバスの組合リーダーへの独占インタビュー(下)
聞き手 では、あと2、3問、お時間がありますか。
コチェトフ いいですよ。
聞き手 ありがとうございます。外から来た私たちにはなかなか理解できないことがあるのですが、それは言語と民族性は必ずしも同じではないということです。たとえば、ウクライナでは多くのウクライナ人がロシア語を話しますよね。西ウクライナですらそうです。ルハンスクだけでなくドンバス全域で、自らをロシア人とする人が多いのでしょうか、それともロシア語を話すだけのウクライナ人なのでしょうか。紛争前の話としてですが。
コチェトフ それは大変興味深い状況です。この国の人々は皆、両方の言語を理解しているのです。みんなです。ウクライナ語さえ話せれば、完全に理解できる。誰があなたに話しかけても完全に理解できる。あなたがロシア語を話しても問題なく理解される。
たとえば、私の家族では、祖母がウクライナ語の教師で、42年間も文学を教えました。彼女はウクライナ語にとても詳しかった。専門家でした。詩人や文学など、すべて知っていました。でも、自分の家ではロシア語を話していました。なぜなら、祖母の両親が使っていたからです。たいした問題ではなかった。可能なのです。
戦前、ほんの数年前、大きなテレビ番組がありました。全番組をウクライナ語で見ることができ、とてもよい番組でした。ところが、最後のスポーツに関するコーナーはロシア語だったのです。同じ番組ですよ! だから、言語に関する問題はないんです。
米国は、2004年の第一次マイダンでヴィクトル・ユシチェンコを政権に就かせましたが、彼はアメリカ人の妻を持っています。彼女はウクライナ人ですが、長年アメリカ政府のために働いてきました。大きな国なので、ウクライナ語の方言はたくさんありますが、科学者たちは、キエフとチェルカシュ地域(小さな地域です)とポルタヴァ州のと間の地域(とても小さな地域です)には、「最も純粋な」ウクライナ語があることを発見しています。
しかし、ユシチェンコにとって純粋な言語とは、カナダにいるウクライナ人のウクライナ語なのです。どうすればそんなことが可能なのか、おわかりになりますか。10年間彼らは組織化し・・・第1次マイダンでは彼らのスローガンは「純粋なウクライナ人はウクライナの西部に住み、東部は山賊やならず者ばかりだ!」だった。それがかれらの大統領選のスローガンだった。信じられない話です。
すべてはアメリカの金とカナダにいるウクライナ人の金で組織されたものだと理解しています。かれらはイデオロギーを完全に変えようとしているのです。かれらは、ロシア連邦に反対するイデオロギーを組織しているのです。
ウクライナ東部では、我々のイデオロギーはロシアのものと同じです。なぜなら、私たちは長年にわたって一つの国だったからです。100年どころではありません。だから、私たちはロシアに反対することはできないんです。私たちにとって、それは不可能なことなのです。しかし、アメリカ人は我々をロシア対立させたいのです。
聞き手 とても興味深いですね。最初のほうでウクライナのことをおっしゃっていましたが、ウクライナ政府自身が人々をウクライナから押し退けているようなものだとおっしゃっていましたね。
コチェトフ そうなんです、本当のことを言うとね。ウクライナ人として多くの人が戦争に反対し、私たちに対する戦争に反対していました。多くの人が、この戦争は最悪の状況だが、戦争を終わらせる必要があるし、また一緒に暮らせるようになると思っていた。
しかし、5年間、ウクライナ政府は私たち国民に対してあまりにも多くのことを行ったので、最も親ウクライナの人々でさえ(私も何人か知っていますが)、「もうたくさんだ! ウクライナの一部になるのは嫌だ。私たちのことは忘れてくれ」と言ったのでした。
聞き手 つまり、当初の目的はウクライナからの分離独立ではなかったのですね。当初はむしろ、この地域の自治が目的だったんですか。それは最初からですか。
コチェトフ ええ、マイダンに対するデモが始まったときから。
どうか忘れないでください、私たちは決してウクライナと戦ってはいないのです。ただ、彼らの国会に我々の意見を聞いて欲しかっただけだ。それだけなんです。彼らにお願いしたんだ。「頼む、私たちはここにいる。私たちは新しいイデオロギーを受け入れない。ウクライナの市民でありたいと」。
聞き手 では、主な要望は何だったのでしょうか。言語の自由のようなものですか。
コチェトフ いえいえ、言語的なことではなく、思想的なものです。自分たちのルールで生きたいんです。西部地域のルールではなく、自分たちのルールで生きたい。自分たちの歴史や祖母、祖父などを大切にしたい。私たちは自分たちのやり方で生きたいのです。
聞き手 それはたとえば、ウクライナ政府がソ連のシンボルを違法にしたとか、ステパン・バンデラの件とか。
コチェトフ そうそう、そうなんです。レーニンのモニュメントを見る機会がありましたよね。ルハンスクにあるのですが、誰もそれに反対しません。私たちの歴史ですからね。複雑な歴史であることは理解していますが、私たちの歴史である。私たちの父や祖父はレーニンと共産主義を非常に強く信じていました。今、私たちは共産主義のもとで生活していませんが、自分たちの歴史に反対しているわけではありません。
聞き手 たとえば、反マイダンのデモで、ソ連の星やソ連のシンボル、キリスト教正教会のイコンの旗を持ってデモをしている人たちの写真を見ました。欧米の一部の人たちは、共産主義は宗教に反対していたからそれは矛盾していると考えています。彼らはその状況を理解できません。
コチェトフ 理解するのはとても難しいのです。私も完全に同意見です。
共産主義のイデオロギーは教会に強く反対していました。しかし、戦時中、ヨシフ・スターリンは、ソビエト連邦の教会、正教会を再び合法化しました。私の祖母も非常に熱心な共産主義者でしたが、「教会の生活や教会の伝統を知らないことを本当に後悔している。私もそれが必要だと感じる年齢になったから」と言っていました。
だから、たとえば私は、機会があれば喜んで教会に行きます。しかし、私の考えでは私は左翼です。共産主義者ではありませんが、左翼の人間です。だから、私たちの魂の中には、共産主義と正教という、とても奇妙なものが混在していると言えるかもしれません(笑)。本当にそうなんです。
聞き手 あなたにとって社会主義とはルハンスク共和国の将来のビジョンのようなものなのか、それともただ過去や歴史に対する敬意なのか・・・。
コチェトフ ご存じのように、私たちはロシア連邦から非常に強い支持を受けていると思います。しかし、いまのロシア連邦は正真正銘の資本主義国です。正真正銘の資本主義です。ですから、彼らは私たちが社会主義共和国になることを許さないと思います(笑)。彼らにとって非常に悪い例になってしまうからです!(笑)。だから、私たちは雨の滴の間を通ろうとしているんです(笑)。
しかし、面白いことにいま多くの人々がヨシフ・スターリンを思い出そうとしています。私はかつてとても面白い人と会話をして、彼になぜそうなのかと尋ねました。彼はとてもシンプルなことを説明してくれました。彼は、ソビエト時代の最初の時期には人々は社会主義や共産主義をとても強く信じていたと言いました。
なぜか。なぜなら、彼らはまだツァーリ帝国時代の状況を覚えていたからです。非常に裕福な人々が貧しい人々、非常に貧しい人々を攻撃して、といった具合に。いま、その状況は同じです。いま、状況は同じなんです! 私たちはあまりにも多くの資本主義を手に入れたので、それに本当に疲れてしまい、多くの人々が社会主義について再び考え始めたのです。そして、ソビエト連邦の社会主義の象徴は、ヨゼフ・スターリンでした。
聞き手 つまり、国民の大多数が持つキリスト教精神と愛国心が混じり合った社会主義の考え方なので、非常に興味深いですね。
コチェトフ そうです。完全にね。
聞き手 コサックについてですが、彼らは一般的にドンバスの大義を支持しているようですが。
コチェトフ そうです。それに、ドンバスに最初に来た人たちの中には多くのコサックがいて、私たちを支援してくれています。
聞き手 ドン・コサック・ホストからですか。
コチェトフ そう。我々は決してそのことを忘れません。
聞き手 私がみたところでは、戦争は終わっていない。多くの人が言っているのとは逆に、戦争はまだ続いています。
コチェトフ なぜなら、アメリカはすでに多くの資金を費やしていますからね。しかし向こう側の多くの人たちが私たちと戦いたくはないことは知っています。彼らは何が起こっているのかをよく理解しています。そして、多くの人が、同胞のウクライナ人と戦わないために、軍から逃げようとしていることも知っています。
しかし、多くの点で誰かがこの状態を続けさせようとしていますし、彼らは本当に続けるだろうと思います。というのも、彼らはまだ我々の指導者と話をしたがらないからです。一般的に、もし戦いをやめたいなら、話を始める必要があります。
聞き手 もちろん、そうです。
コチェトフ 彼らはまだ完全にそれを拒否しています。
聞き手 ミンスクの合意は尊重されませんでした。では、ルハンスク共和国の将来をどのように見ていますか。
コチェトフ ロシアの中に存在する領土になると思います。自治領なのか共和国なのか、具体的にどのような形かは分かりませんが。でも、これしかないでしょう。
聞き手 ドンバス地方が再びウクライナの一部となることを想像するのは容易ではありませんね。
コチェトフ 特に私たちにとっては、ありえないことだと思います。
聞き手 記憶は何世代も継続します。
コチェトフ とても簡単な例ですが、私の家族のことです。私の下の息子は16歳ですが、戦争が始まったとき、彼はまだ11歳でした。だから、彼はウクライナ軍の大砲の下で育ったのです。だから、彼はその体験を決して忘れることはないと思います。
聞き手 興味深い話をありがとうございました。
コチェトフ ありがとうございました。今後、何か質問があれば言ってください。特にあなたには、私はとてもオープンです。
聞き手 あなたの幸運を祈っています。
(終)
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