[CML 066151] どくんごの演出「どいの」逝っちゃった 40年は一陣の風?

大山千恵子 chieko.oyama @ gmail.com
2022年 12月 17日 (土) 09:27:40 JST


1979年の埼玉大学むつめ祭で、一年生の彼と初めて逢った。平井(芸名・河内丸)も一緒に話をした。わたしは常盤小学校教員、社会人一年生なのだった。

暴力的でない男の模範として三重丸。

*80年代* 夏の合宿で海に行ったの楽しかった。まぶしい夏の日々。

黒テント、「ブレヒトの芝居小屋」とか探検してみた。

スーパーなど閉まってるなかでの、事務所での「北浦和越冬闘争」

旅公演をするなら人脈がてら「中山千夏」選挙運動員になればと推薦。五月さんと仲良しになれたらしいので嬉しいの巻。

*90年代* 同居人と一緒に北は釧路、札幌。南は熊本と、追っかけ旅。

浦和の常盤。家が近かったので何回か遊びに行った。五月さんの作った常夜鍋がおいしかった。新太くんが可愛かった。

原発に反対した海。芦浜でのキャンプ、蜆が大きかった。

*00年代*
平井くん。伊能くんに「おねだり」されて大型テレビを買ってあげた数年後に、「なんだかテレビが中心になってる」と寂しそうに言ってた。そして平井くんは劇団に興味をなくしてしまう。

*10年代*
生活保護の指導で駅から遠いアパートに引っ越したため、ほとんど打ち上げに参加できず。若いひとたちを横目で見ながら、老人ひらりんのもとに帰る日々。

*20年代* 19年には埼玉で何回も見て、横浜。そして浜松、新幹線&夜行バスおっかけ復活。爾来...やっと再開するかと思った矢先に、逝去を知る。

あっという間だったなあ、43年。



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大山千恵子
ブログ 「千恵子@詠む...」 毎日更新http://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama


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