[CML 061599] 【今日のブログ記事No.3641】■『ミャンマー巨大利権(3.19兆円)の深い闇:No1』なぜミャンマー国軍は日本人ジャーナリスト北角さんを突然開放したのか?なぜ日本ミャンマー協会渡邉秀央会長はコロナパンデミックの最中ミャンマーに飛んだのか?

山崎康彦 yampr7 @ mx3.alpha-web.ne.jp
2021年 5月 15日 (土) 10:57:37 JST


いつもお世話様です!                         

【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰する市民革命派ネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。    

昨日木曜日(2021.03.25)夜に放送しました【YYNewsLiveNo.3231】の『☆今日のメインテーマ』を加筆訂正して【今日のブログ記事】にまとめました。

【放送録画】71分44秒

http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/682525401

【今日のブログ記事No.3641】 

■『ミャンマー巨大利権(3.19兆円)の深い闇:No1』なぜミャンマー国軍は日本人ジャーナリスト北角さんを突然開放したのか?なぜ昨日(2021.05.13)日本ミャンマー協会渡邉秀央会長(86歳)はコロナパンデミックの最中ミャンマーに飛んだのか?

今日のメインテーマのポイント!

①『ミャンマー巨大利権』とは、野田佳彦民主党政権(計212億ドル+3000億円約2.59兆円注1)と安倍晋三政権(計6000億円注2)が日本ミャンマー協会渡邉秀央会長の仲介でミャンマー政府(ミャンマー国軍が支配)に対して行った総額約3.19兆円規模の支援、投資、債権放棄のことである。

(注1)2012年4月、日本政府(野田佳彦民主党政権)は円借款によるミャンマーへの債権約3千億円を放棄して新たな円借款を出すことを決定。渡辺は同年7月25日に首都ネピドーで行われたティンナインテイン国家計画経済開発相と日本の経済産業省幹部の会談に同席。続いて7月26日、仙谷由人とテイン・セイン大統領の会談にも同席した。1年弱のあいだに日本は官民で少なくとも180億ドル規模の支援、投資、債権放棄を行うことを決めた。さらにティラワとは別の経済特区ダウェイの開発に対し、官民で最大32億ドルを融資することも決まった(Wikipedia抜粋)。

(注2)安倍前首相はミャンマーに対し『5000億円の債務免除』と『1000億円のODA』を実行した!

2013年1月:ミャンマーへの3000億円の債務免除

2013年3月:2000億円の債務免除と1000億円規模の政府開発援助ODA(安倍首相がミャンマーを訪問した際の約束)

②日本人ジャーナリスト北角さんの突然の開放は、ミンアウンフライン・ミャンマー国軍総司令官に絶大な影響力を持つ『日本ミャンマー協会』渡邉秀央会長が直接働きかけた結果であろう。

【画像】『日本ミャンマー協会』渡邉秀央会長

③『ミャンマー巨額利権』は渡邉秀央会長が2011年に当時の民主党政権へ働きかけたのが始まり。立憲民主党の福山幹事長と安住国対委員長が『日本ミャンマー協会』の理事を務めている理由がこれでわかる。

(Wikipedia抜粋)

日本ミャンマー協会を設立

2011年(平成23年)3月、ミャンマーの大統領にテイン・セインが就任。ミャンマーは半世紀ぶりに民政が敷かれることとなった。同年10月21日、テイン・セインは公邸での晩餐後、渡辺と会談し、「ヤンゴン近郊のティラワ経済特区を日本が開発しないか。ただし資金は日本が用意する条件で」と提案した。東京に戻った渡辺は玄葉光一郎外務大臣と接触し、「年内に外相が正式にミャンマーに行き、ティラワの提案について具体的に検討しますと言うべきだ。そうしなかったら日本のものにならない」と伝えた。また、枝野幸男経済産業大臣に対し、仙谷由人元官房長官とともにミャンマーを早いうちに訪問するよう説得した。

同年12月、日本ミャンマー協会を設立し、会長・理事長に就任した。息子の渡邉祐介は同協会の常務理事・事務総長に就いた。

④高齢の『日本ミャンマー協会』渡邉秀央会長が『コロナパンデミック』の最中に突然ミャンマーを訪問した目的は何か?それはおそらく、ミャンマー国軍による『2.1クーデター』よってミャンマー国内の大混乱の収束に向けて、ミンアウンフライン・ミャンマー国軍総司令官と直接会談するのが目的であろう。
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【関連情報1】

▲ミャンマーで拘束の北角さん解放、帰国へ

2021年5月14日 AFP日本語版

https://www.afpbb.com/articles/-/3346733?cx_part=latest

【5月14日 
AFP】軍事クーデター後のミャンマーを取材中、虚偽のニュースを広めたとして起訴され、拘束されていたフリージャーナリストの北角裕樹(Yuki 
Kitazumi)さんが14日、解放された。早ければ14日中に帰国する方向だという。

北角さんは4月に逮捕され、政治犯の収容施設として知られるヤンゴンのインセイン(Insein)刑務所に収容されていた。北角さんが拘束されたのは、2月1日のクーデター以降で2度目だった。

茂木敏充(Toshimitsu 
Motegi)外相は報道陣に対し、北角さんは早ければ14日中に帰国すると述べた。また、さまざまなチャンネルを使って働き掛けた結果、前日になって「ミャンマー当局が起訴を取り下げ、釈放する旨発表するに至った」と説明した。現地の日本大使館が現在、北角さんのアパートから私物を回収するなど帰国に向けた支援を行っているという。

ミャンマー国営放送(MRTV)は11日、「日本との和解を図り、関係を改善するため」、北角さんへの起訴が取り下げられると報道していた。

現地監視団体によると、アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu 
Kyi)国家顧問ら民主派が追放された軍事クーデター以降、ミャンマーでは大規模な抗議デモが続いている。これまでに780人以上が治安部隊によって殺害された。少なくとも80人の記者・カメラマンが拘束され、うち45人はいまだ解放されていない。(c)AFP

【関連情報2】

▲日本ミャンマー協会会長が国軍司令官と会談へ 混迷する情勢に両国間の対応協議か

2021年5月14日

水島了(日刊ベリタ記者)

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/05/post-96281.php

ミャンマー国軍のミンアウンフライン総司令官

これからミャンマー国軍と何らかの取引があるのか?(写真は、ミンアウンフライン国軍総司令官の写真を踏みつけるクーデター反対派) Athit 
Perawongmetha-REUTERS

<対ミャンマーODAビジネスの「黒幕」が昨夜、ヤンゴンに飛んだ。ミャンマー国軍の司令官と会う予定だという。出国直後にジャーナリストの北角氏が解放されたのも偶然ではない可能性がある>

クーデターの首謀者であるミャンマー国軍のミンアウンフライン総司令官と親密な関係にある、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長が5月13日深夜、ミャンマーに向かった。独立系メディア「民主ビルマの声」(DVB)によると、渡邉氏は首都ネピドーで国軍司令官と会う予定という。「国軍司令官」が誰を指すかは不明だが、同氏はクーデター直前の1月19日にも総司令官と会談している。日本政府のいう「独自のパイプ」の一つと見られる渡邉氏は今回の会談で、混迷を深める同国情勢の中での日本との関係について協議するものとみられる。

目撃者によると、渡邉氏は同日午後11時、成田空港の全日空ヤンゴン直通便の出国カウンターで搭乗手続きをした。

渡邉会長とミャンマーとの関係については、ODA(政府開発援助)ビジネスの黒幕的存在、自衛隊と国軍の将官級交流プログラム、国軍トップとの合弁事業を本サイトでで取り上げてきた(注1)。クーデター後、同氏は沈黙を続けてきたが、4月に発行された日本ミャンマー協会の会員向け協会情報誌「MYANMAR 
FOCUS」第35号では、国営メディアが発表したクーデター後の3月30日のミンアウンフライン国軍司令官の演説内容をそのまま掲載している。今回の訪問は、クーデター後はじめてとなる。

今回の訪問目的は明らかにされていないが、最近の同協会周辺では、いくつかの奇妙な出来事が観測されている。

前兆はあった?

第一に、協会ホームぺージに載っていた役員や会員企業のリストが削除されたことである。これまで、同協会が政財界とのつながりを積極的にアピールしてきたことをふまえると、非常に不可解な行動であると言わざるを得ない。

第二に、渡邉会長が将官級交流などで協力関係が強い日本財団の笹川陽平会長が、13日のブログで「沈黙の外交」と題する一文を記していることである(注2)。笹川氏は昨年11月のミャンマー総選挙で、日本政府が派遣した総選挙監視団の団長として同国を訪問し、「選挙は非常に公正に行われ、国軍も結果を受け入れている」とインタビューに答えていた。ところがその選挙結果を不正として国軍がクーデターを起こしたため、同氏の対応が注目されたが、沈黙を守ってきた。このため、4月22日には在日ミャンマー人らが日本財団前で抗議デモを行っていた。

このブログで笹川氏は、「今回の事態が発生した2月1日以降も人命尊重に向け、懸命の説得工作を重ねた。にもかかわらず極めて残念な事態に発展したミャンマーの現状は、痛恨の極みであり、悶々とした日々を過ごしている」とだけしか記していない。

第三に、13日の渡邉氏の出国直後、ミャンマー国営テレビが、クーデターへの抗議デモなどを取材していて「虚偽のニュースを広めた」としてミャンマー当局に逮捕・起訴されていたフリージャーナリスト北角裕樹氏が解放されたという速報を流したことである。これまで日本の外務省とミャンマー当局の間で、水面下で北角氏の解放交渉が進められてきたが、このタイミングでの発表は、今回の渡邉氏のミャンマー訪問に対する国軍側のサインとしても読み取ることができる。国軍幹部らとの北角氏の解放の見返りとして、何らかの約束が取り交わされる可能性は否定できない。

国営テレビは解放の理由として、ミャンマーと日本との友好関係が考慮されたと伝えた。
北角氏解放の前日12日には、同じようにクーデターへの抗議デモを取材中に逮捕されたDVBの記者に禁固3年の実刑判決が言い渡されている。

一連の動きをふまえると、5月の連休明けに日本政府を含めたミャンマー関係者間で、ミャンマー情勢に関するシナリオが決定されたと見ても不思議ではないだろう。軍事クーデターに関する日本政府の対応は依然としてあいまいなままだが、日本とミャンマーの両国民が知らないところで、事態は明らかに次のフェーズに移行しようとしているとみられる。このため、内外のミャンマー人は今後の協会と渡邉会長の動向に注目している。

(注1)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202104161022035

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105040833162

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105070915255

(注2)
https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/7763

*この記事は、日刊ベリタからの転載です。

【関連情報3】

▲渡辺秀央とは? (ウィキペディア抜粋)

日本の政治家
生年月日    1934年7月5日(86歳)
出生地    新潟県栃尾市(現:長岡市)
出身校    拓殖大学政経学部卒業
前職    議員秘書
所属政党    (自由民主党→)
(無所属→)
(新進党→)
(自由党→)
(民主党→)
(改革クラブ→)
新党改革
称号    旭日大綬章
経済学士(拓殖大学)
第54代 郵政大臣
内閣    宮澤内閣
在任期間    1991年11月5日 - 1992年12月12日
参議院議員
選挙区    比例区
当選回数    2回
在任期間    1998年7月26日 - 2010年7月25日
衆議院議員
選挙区    旧新潟3区
当選回数    6回
在任期間    1976年12月 - 1993年6月18日

渡辺 秀央(わたなべ ひでお、1934年7月5日 - 
)は、日本の政治家。渡邉秀央とも表記する。日本ミャンマー協会会長・理事長。

衆議院議員(6期)、参議院議員(2期)、内閣官房副長官(第3次中曽根内閣)、郵政大臣(第54代)、自由民主党全国組織委員長、改革クラブ代表、新党改革最高顧問などを歴任。

日本ミャンマー協会を設立

2011年(平成23年)3月、ミャンマーの大統領にテイン・セインが就任。ミャンマーは半世紀ぶりに民政が敷かれることとなった。同年10月21日、テイン・セインは公邸での晩餐後、渡辺と会談し、「ヤンゴン近郊のティラワ経済特区を日本が開発しないか。ただし資金は日本が用意する条件で」と提案した。東京に戻った渡辺は玄葉光一郎外務大臣と接触し、「年内に外相が正式にミャンマーに行き、ティラワの提案について具体的に検討しますと言うべきだ。そうしなかったら日本のものにならない」と伝えた。また、枝野幸男経済産業大臣に対し、仙谷由人元官房長官とともにミャンマーを早いうちに訪問するよう説得した。

同年12月、日本ミャンマー協会を設立し、会長・理事長に就任した。息子の渡邉祐介は同協会の常務理事・事務総長に就いた。

2012年(平成24年)4月、日本政府は円借款によるミャンマーへの債権約3千億円を放棄して、新たな円借款を出すことを決定。渡辺は同年7月25日に首都ネピドーで行われたティンナインテイン国家計画経済開発相と日本の経済産業省幹部の会談に同席。続いて7月26日、仙谷由人とテイン・セイン大統領の会談にも同席した。1年弱のあいだに日本は官民で少なくとも180億ドル規模の支援、投資、債権放棄を行うことを決めた。さらにティラワとは別の経済特区ダウェイの開発に対し、官民で最大32億ドルを融資することも決まった。

2021年(令和3年)1月18日、ネピドーでアウンサンスーチー国家顧問と会談。1月下旬にはミャンマー国軍総司令官のミン・アウン・フラインと会談し、フラインとは日本の自衛隊とミャンマー国軍の「関係促進」について話し合った。ところがそれから数日後の2月1日、フライン率いる国軍はウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問らの身柄を拘束し、クーデターを起こした。

【関連情報】

▲協会ホームぺージから突然削除された『日本ミャンマー協会役員名簿』

http://japanmyanmar.or.jp/yakuin.html

(2021年3月現在)

最 高 顧 問 麻生 太郎 (内閣副総理・財務大臣、元内閣総理大臣、衆議院議員)
相 談 役 清水 信次 (㈱ライフコーポレーション代表取締役会長兼CEO)
会長・理事長 渡邉 秀央 (元内閣官房副長官、元郵政大臣)
副会長・理事長代行 白浜 一良 (元参議院議員、公明党顧問)
副 会 長 佐々木幹夫 (三菱商事㈱、元会長)
副 会 長 勝俣 宣夫 (丸紅㈱、名誉理事)
副 会 長 岡  素之 (住友商事㈱、特別顧問)
理事長代行 古賀  誠 (元衆議院議員、元運輸大臣)

(以下あいうえお順)

*理   事 安住  淳 (衆議院議員、元財務大臣)
理    事 甘利  明 
(衆議院議員、元経済再生大臣、元内閣府特命大臣(経済財政             政策TPP担当大臣)
理    事 荒川 博人 (元JICA 理事)
理    事 岩崎  茂 (ANAホールディングス㈱顧問、元防衛省統合幕僚長)  
理    事 魚住裕一郎 (元参議院議員、元公明党参議院会長)
理    事 江利川 毅 (元人事院総裁、元厚生労働省事務次官)
理    事 小笠原倫明 (元総務省事務次官)
理    事 加藤 勝信 (衆議院議員、元厚生労働大臣)(休)
理    事 桐生  稔 (元大阪産業大学経済学部教授)
理    事 篠沢 恭助 (元大蔵省事務次官)
理    事 鈴木 正誠 (元NTTコミュニケーションズ社長)
理    事 田島 高志 (元ミャンマー大使)
理    事 田中 慶秋 (元衆議院議員、元法務大臣)
理    事 浜田 靖一 (衆議院議員、元防衛大臣)
*理    事 福山 哲郎 (参議院議員、立憲民主党幹事長、元内閣官房副長官)
理    事 洞   駿 (スカイマーク㈱、代表取締役社長執行役員)
理    事 宮澤 保夫 
(公益財団法人世界こども財団理事長、星槎グループ会長)
理    事 門間 大吉 
(日本生命保険相互会社、特別顧問、元財務省国際局局長)
理    事 村越  晃 (三菱商事㈱、取締役常務執行役員)
理    事 山添  茂 (丸紅パワー&インフラシステムズ㈱、会長)
理    事 山埜 英樹 (住友商事㈱、代表取締役専務執行役員)
理    事 渡辺  修 (元通商産業省事務次官、元JETRO 理事長)
常務理事・事務総長 渡邉 祐介 (日本ミャンマー協会)
監    事 鈴木 敏明 (元小西安㈱、常務取締役)
監    事 前田  秀 
(元㈱ザ・カントリークラブ・ジャパン、代表取締役社長)
顧   問 津守  滋 (元ミャンマー大使)
顧   問 山口 洋一 (元ミャンマー大使)
顧   問 齊藤 隆志 (元ミャンマー大使)
【事務局(常勤)】
東京事務所 : 渡邉祐介、小松正伸、大場篤典、工藤登一、神野千恵、宮野弘之
ヤンゴン事務所 :テッセイン
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(おわり)

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