[CML 057881] 西のほう「筒井修」の追悼文 救援2月8面記事より

大山千恵子 chieko.oyama @ gmail.com
2020年 2月 16日 (日) 08:26:26 JST


*先月まえだヒソカ追悼文
<https://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/68a2eb6a89a52117ab7a0a2cf39d77e2>を読んで、シャイなひとだったんだなあと思った。*


*今度は救援2月号の追悼文を、以下に転載。*

*筒井修さんへ*

*東京・中部地域労働者組合 佐々木**通武*

「
かけがえがない」という言葉が世の中にあるとすれば、私たちにとってあなたほどこの言葉に見合った存在はなかったと思う。争議団闘争、地域共闘・地域合同労組運動、そして、反弾圧・反治安法・死刑廃止・反保安処分・反差別・反戦・反原発など、あなたが取り組み、けん引してきた運動領域は、本当に多岐にわたっていた。私たちは「地域は課題のるつぼだ」として地域運動を担ってきたが、あなたはまさに『運動のるつぼ』として存在していた。それだけに今後の私たちの運動にとって、この事実がどれだけの打撃となるのか、今は考えが及ばない。



筒井さんを知ったのは、1980
年頭、私が某弁護士事務所の解雇争議に入ってしばらくのころだ。そのころ、産業再編合理化の嵐の中で、職場で合理化、人減らし、組合つぶしが吹き荒れ、それと一体となって、大手の組合が雪崩をうって右傾化し、逆に現場からの決起を押し潰すようになっていた。警察権力、司法権力が執拗に弾圧を仕掛け、争議団連絡会議の定例会議でも、八割がたの争議団が弾圧され、絶えず、仲間が捕らわれている状態が続いていた。その中でどういうわけか、
*争団連機関紙に、はるか彼方の「福岡合同労組講談社闘争」という記事が毎回載っていた。争団連を凌駕するようなすさまじい弾圧攻防を闘っている姿が、生々しく報告されていて、西の方ではすごいことをやっているぞ*
と、みんなが思っていた。そのうちに東京にまで攻めのぼってきて、講談社の構内に突入し、元気よく気勢を挙げていた。あの姿は忘れられない。その交流会かなにかの折に、「弁護士事務所で労働者の権利を主張するのは大変ですね。僕はわかりますよ」と私に囁いてくれた、おとなしそうな青年が筒井さんだった。

筒井さんに
感謝すべきことは数えきれない。いま、東京各地で地域合同労組が活動しているが、これらは、職場、産別を超え、労働者一点での団結を基軸にした力で資本と向き合うことで労働者の未来を切り開こうという、
*福岡合同労組の先駆的な団結のありように刺激を受けて結成され、発展*
してきたものだ。その後、東北、東京、関西、九州を軸に、全国争議団交流会が発足し、筒井さんはその要としてこの運動を推進してきた。

筒井さん自身が解雇当該として新光タクシー争議に勝利したころだ。*中洲で、見知らぬタクシーが私に横づけし、運転席で筒井さんが手を振っていた。*
そのときのはちきれんばかりの笑顔は素晴らしかった。労働者が闘って職場復帰することの意味も意義も、この笑顔にあるんだと思い知った。また筒井さんは、
*何度も逮捕され長期勾留を幾重にも重ねながら闘ってきたが、その姿は、弾圧を粉砕して勝利へ向かうという運動構造を提示*
してくれた。私もその後、逮捕・長期勾留を何度も食らったが、いつも、筒井さんのように闘い切るんだという気持ちで、がんばり抜くことができたのだ。また、東京の争議の九州現地闘争も全力で支えてくれた。古くは、微生研闘争の大分や宮崎の闘い、機械工業新聞闘争の大分安心院での執拗な闘い、現在的には明大生協闘争の全国入試情宣や、福岡地裁での仮処分攻防などを、中心で担ってくれた。心から感謝している。

三十
数年前、中央公論社闘争当該の吉田さんが突然亡くなった時のことを思い出す。駆けつけてくれた筒井さんと語り合う中で、「吉田さんは、人間は、争議団闘争を闘う中でも、死ぬことができるんだ、ということを身をもって教えてくれたんだ」ということを、共感し合った。その筒井さんは去年の、虹ヶ丘争議の行動でも、全力でシュプレをし、マイクを握り続け、現場を仕切っていた。合間に、気を失ったような状態になっていたこともあった。文字通り命がけで現場を担い、生涯現役を貫いた。



*西の方で、筒井が踏ん張っている、強くて*
*、優しくて、鋭くて、深くて、それでいて限りなく広い、そんな筒井のたたずまいが、西から支えていてくれるんだ・・、そうした確信が、ずっと私たちの運動の支えとなっていた。*
個人的にも私の人格・存在のかなりな部分が筒井さんのありかたによってかたどられていたと言える。だからいま、私の体の五分の一くらいが削り取られたような気がし、耐えられないくらい筒井さんの不在を感じる。同時に、この不在の実態とその意味をどのように、まるごと受け止めて行くのかが、これからの私の人生の、ひとつの務めなんだとも実感している。筒井さんの不在による運動上の打撃は覆うべくもないが、この時代、なんとかじわじわと進んでゆくしかない。筒井さん。長い間本当にありがとう、それと、今後ともよろしく。


狼の思ふは月の荒野かな 筒井修は星になりけり
<https://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/68a2eb6a89a52117ab7a0a2cf39d77e2>

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大山千恵子
ブログ 「千恵子@詠む...」 毎日更新http://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama


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