[CML 056878] 原発さえなければ 自死なかりしを…

大山千恵子 chieko.oyama @ gmail.com
2019年 9月 25日 (水) 06:48:17 JST


*クリエイティブ・コモンズ
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA>にて、転載。*

*救援連絡センター
<http://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2007_6/p14_15.pdf>発行「救援」紙の、2面の連載コラムより*

*原発さえなければ   自死なかりしを…*

原発事故の自殺者の精神鑑定書を読んで、彼らが環境の激変に潰されていくさまを思い、激しく動揺した。*雑誌
<http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000595>『NO NUKES
voice vol.21』鹿砦社
<http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000595>* 最新号は、「創刊5周年記念特集
死者たちの福島第一原発事故訴訟」。

精神科医の*野田正彰*
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%AD%A3%E5%BD%B0>
さんの原文を是非読んでほしいが、とりあえず短く紹介する。この国の怖さ、壊れようが痛い。

*重清さん。享年五五。*
農家も大変だが、酪農家も辛い。人里離れた開拓農家。結婚も遅れ、フィリピンで見合いをして結婚。両親が死に、子ども二人が生まれ、家族四人の核家族。働き盛りで五百万の借金で堆肥小屋を建てたと。

地震から妻子はフィリピン政府のチャーター便で行ってしまう。暫くのちに彼も大金を持ってフィリピンに遁走するが、その後の対応のために一人、日本に帰る。相談所に行っても、解決策は見つからない。たったひとりで御飯を食べる気力もなく、カップ麺の日々。

「原発さえなければ」と「ごめんなさい」の言葉を残し、相馬市の酪農場で首にロープを巻いて自殺。合掌。

*文雄さん、享年百二。*一度も飯舘村をでたことがない、おじいさん。

外出の楽しみのデイサービスは無くなる。近隣の人々も去っていく。居間の炬燵に、ぼんやり座っている。食事も酒も半分になる。

四月には村が計画的避難地域になる。病院から貰った薬をいれるビニール袋を何枚も結び合わせた紐を作り首に巻きつけて自殺。朝、家族が呼びにいったとき、布団に寝た跡はなかった。合掌。

*A子さん、享年八四。*結婚後は夫の前妻の子どもを育て、田畑と牛の世話、娘も生まれる。漢字は読めない、視力障害のせいかもしれない。

晩年。朝五時に起き家族の食事を作り、家族が出ていった後は飼い犬モコと寝っ転がって過ごす。テレビはつけていたが目が見えないので、好きな「水戸黄門」は耳で聴いていた。帰宅した家族と夕食を取り、一番風呂に入り、夜九時になると自分の部屋で休む。不眠はない。平和な日々だ。

肺炎で入院したが、原発事故のため退院させられた。しかし事態を把握していない状態。なぜ飯舘村から避難しなければならないか、理解していない。

マンションに避難するが、家族に付き添われなければエレベーターに乗れない。赤十字社から支給された家電は、老いて目が悪いA子には使えない。簡単な料理を家族のために作ることもできない。

視力障害のために階段も使えない。孫が帰るときに激しく泣く。老人ホームの夫の死亡、みずからの縊死。合掌。





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大山千恵子
ブログ 「千恵子@詠む...」 毎日更新http://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama


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