[CML 056720] 「安房では朝鮮人虐殺は無かった!」「木更津自衛隊駐屯地は米軍基地!」知ってました?

masuda miyako masuda_miyako1 at hotmail.com
2019年 9月 3日 (火) 19:36:58 JST


皆様
 こんばんは。増田です。これは、BCCでお知らせしています。重複・超々々長文(笑)
で恐縮ですが、皆様にも知っていただきたく、どうぞ、ご容赦を!

 8月31日~9月1日、東京全労協主催の学習交流合宿『房総半島戦跡ツアー 過去の真実
と今を知る旅」に参加しました。1日目は館山の戦跡を中心に、2日目は木更津の自衛隊基
地…アベ政権がトランプから爆買いのオスプレイ17機を2020年3月配備予定…を巡りました。
以下、ご報告。本MLは写真が添付できませんので、写真を見たい方は個人メールを!

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 午前8時半、新橋の東京全労協前をバスで出発。10時半~館山市豊津ホールで、NPO法人
安房文化遺産フォーラム(http://bunka-isan.awa.jp/)事務局長の池田恵美子さんから約1時
間半、安房の国の歴史、戦争との関係についてレクチャーいただきました。本当に「立て板
に水」とはこの方のことか(笑)という感じで、パワーポイントと60余ページの冊子『見る
・歩く・学ぶ・集う 館山丸ごと博物館』
http://bunka-isan.awa.jp/About/item/000/122/ul1209151655.pdf(このPDFで見られるのは冊
子の1/3)を使いながら淀みなく流れるような説明でした。

 彼女の説明で、実は「えっ!? そうだったのか…初めて知った!」という事が、いろいろあり
ました。

 悵陀漆椋匯錙戞1926年)によると、関東大震災において「東京の朝鮮人騒ぎが伝わり、
その影響を危惧した安房郡長は、この不穏な噂を打ち消しち、『この際 朝鮮人を恐るるは
房州人の恥辱である。朝鮮人来襲など決してあるべき筈でない』『もし朝鮮人が郡内にいる
なら、恐怖しているに相違ない、十分の保護を加えらるべし』という旨の掲示を出した。こ
の配慮により『安房に忌まわしき朝鮮人事件の一つも起らなかった』と特筆されている。」
そうです。

大震災時、朝鮮人労働者や家族と親しくしていた、或いは働きぶりを知っていた日本人
の個人で、彼らを匿ったり、助けたりした、という話は知っていましたが、行政の長が
先頭に立って、政治に携わるものとして当然の良識を示し、虐殺事件を起こさなかった、
という話は初めて知りました!

 後で池田さんに「どうして、その郡長さんは、そんなに良識があったんでしょうか?」と
質問しましたら「詳しくは分かりませんが、館山には内村鑑三に影響を与えたような人…
神田吉右衛門という人で漁村の開拓者…がいましたから、そういう風土があるんじゃない
かと思います。」というお答えでした。

 後述の館山海軍航空基地は震災後に作り始められたので、この時、館山には軍隊が存在し
なかったのも、よかったのかも…と私は思いました。フォーラムのHPでは「安房では明治
期より水産業分野において済州島などからのアワビ採取海女の出稼ぎという人的な交流が
あったことを考えなければならない。このような朝鮮の人びととの間にあった豊かな交流
文化があってこそ、朝鮮の人びとの気持ちを踏まえた対応がなされた要因であったと推察
するのである。」と記されています。

 韓国・北朝鮮へのヘイトスピーチが横行する現在、この件は、もっともっと広められてもい
い歴史事実では!

② 関東大震災で隆起して干潟になった館山湾を3年間埋め立てて、1930年に館山海軍航空隊
(館空たてくう)が開隊。空母パイロット養成基地で、通称「陸の空母」と呼ばれ、タッチア
ンドゴー訓練をしていた、ということです。

 座学の後のフィールドワークで二つの山の谷間を実際に見ましたが、その狭い谷間をそれら
の山より低い超低空…40メートルとか…で基地に進入、発進する訓練をしていたということです。
それは本当に高度な操縦能力がないとできませんね。この訓練が真珠湾攻撃に役立ったようで
す。右上が当時の館空基地ですが、確かに真珠湾のフォード島と同じような感じです。

また、これに先立ち、1937年7月に日中戦争がはじまりましたが、ここで訓練した部隊が館空か
ら木更津航空隊所属を経て、中国重慶への「『渡洋爆撃』を行った」ということでした。

ん~~~…ここ…でしたか~…、「渡洋爆撃」ともてはやされた「一般市民大量殺戮、無差別
空爆」の起点は…真珠湾の起点は…これらの知識はもちろん持っていましたが、その起点とな
った場所については無知でした。フィールドワークは本当に大切ですね。

③ 敗戦後、米軍が上陸し本土で唯一、4日間だけ直接軍政を布いた!? これは、全く知りません
でした。

 冊子『館山まるごと博物館』には、この日本本土に初上陸した米陸軍第8軍第11軍団112騎兵(
機動)連隊戦闘団には、後に作家となる『裸者と死者』のノーマン・メーラーもいたことが記され
ていました。

 上記冊子によれば「館山の直接軍政は、戦後日本のスタートに当たり、試金石となるようなモデル
占領であったかと推察される。4日間のみで軍政解除となった理由は不明」だそうです。

④   座学を終え、豊津ホールの直ぐそばにある…というか、直ぐそばにホールを建てたんですね(笑)
…館山海軍航空隊 赤山地下壕跡を見学。

 この「赤山(海抜60メートル)」と言われている山は、砂岩堆積地が隆起したことが、その綺麗な
地層で分かります。そして、ハッキリと褶曲や断層の跡も見えます! 地層などに興味のある方は、
これだけで興奮してしまいそう(笑)…

 アっ…これは地層見学会ではなく、館山海軍航空隊地下壕跡の見学会でした(笑)。行きましょう!

 特に綺麗な地層が掘り出されているここは司令官室だったのではないか、ということでした。総延
長2キロで3階になっていた、というのですからビックリする規模です。「発電所、60台の通信機器、
奉安殿、戦闘指揮所、兵舎、病院、航空機部品格納庫、兵器貯蔵庫、燃料貯蔵庫があったと考えられる
」そうです…「そうです」というのは、資料がほとんど無いのだということです。設計図など有ったは
ずで、資料が全く無いというのは敗戦後の証拠隠滅によるのでしょうね…

 ただ、証言などから「真珠湾攻撃前に、もう作られていたのではないか」と言われているそうです。

⑤   次は「かにた婦人の村」のある山の地下にある…というか、この山の上に敗戦後、払い下げで「婦
人の村」が作られた…地下壕跡「128高地 戦闘指揮所」を見学。「128」というのは海抜128メートル
ということだそうです。この立派な銘板…青銅製かな?…から、ここは1944(昭和19)年12月に竣工され
たことが分かります。
 つまり、本土決戦への備え…

 奥の天井に、立派な龍のレリーフがあるのにはびっくり! 作成者は誰か、何のためか、全く資料は無
いそうです。現在の鴨川出身で、有名な「波の伊八」のお弟子さんの作でしょうか…

 ここは「婦人の村」の私有地なので、フォーラムの方ご案内のスタディツアーでないと入れないそう
です。

⑥   そして、山の上にある『噫 従軍慰安婦』の石碑にお参り。この石碑のことは知っていました。日本
人従軍慰安婦として唯一人カミングアウトした城田すず子(仮名)さんの願いで、深津文雄牧師が努力さ
れ建立されたものです。一度お参りしたいと思っていたのですが、房総半島の南端は何しろ、遠く、なか
なか機会がなかったので、初めて訪れることができました。

 以下に「女たちの戦争 『従軍慰安婦』を告白した城田すずさん」として、要領よくまとめてあります。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/16804/20150814/shirota-suzuko.htm

 二度と、こんな女性への性暴力が無いことを! 日本人女性の場合は「自分の意思で、お金を得るために
慰安婦になった」という外見…実は日本社会の構造的暴力の結果…があるために「自己責任」観念に囚われ、
カミングアウトすることは、韓国や北朝鮮や日本軍占領地で日本軍性奴隷を強制・強要された女性たちより
…彼女たちにしても日本帝国敗戦後、何十年経って、やっとやっとの思いで立ち上がるとができたので…もっ
ともっと難しかったでしょう…

 でも、「自由意思で、お金を得るために慰安婦になった」城田さんは「家族の借金を減らすため、横浜の
遊郭で働いた後、台湾の戦地に『慰安婦』として渡ることに。『海軍御用』と掲げてあるその場所で、1日
10人、15人の男たちの相手をさせられた。男たちが争って娘を取り合う様を、『獣と獣の闘いのようだった
』と著している。」わけで、実態は、まぎれもなく、痛ましい「日本軍性奴隷」です。

 この石碑の少し下にある教会の地下には、城田さんはじめ「婦人の村」で亡くなった女性たちの納骨堂が
あります。城田さんの写真は本当にいい笑顔でした。

 一日目の見学学習は、これで終わり、館山湾の海のすぐ前の民宿で夕食・楽しい宴会(笑)、就寝。

⑦ 二日目は、木更津市市民活動支援センター「みらいラボ」で「オスプレイ来るな・いらない 住民の会」
事務局長の野中晃さんからのレクチャーで「木更津基地とオスプレイ学習会」。

「えっ!? そうだったのか…」と初めて知ったのは、実は「自衛隊木更津駐屯地は、米軍基地だ」という
ことでした。あの広大な基地は…私は2016年11月15日の「オスプレイ来るな 千葉県民集会に1300人」の一人
としてこの基地の前にいましたが…自衛隊基地だとばかり思いこんでいました。

「実は、米軍基地を自衛隊が借りているのです。」!? そんなアホなっ!? 「ほとんどの人は知らないの
ですけどね…」

 WIKIにも載ってました。「1945年9月にアメリカ軍が接収した後、しばらくは米空軍の基地(木更津エア・ベ
ース)として使用されていたが、1956年に航空自衛隊木更津基地が発足し、輸送機部隊や飛行点検隊などが主に
使用するようになり、その後、米空軍の部隊は1961年に立川飛行場(東京都・1977年全面返還)に移転」

 つまり、その後、米軍は全く木更津基地を使っていないのです。しかし「1968年12月の第9回日米安全保障協議
委員会における在日米軍施設区域調整計画で基地返還が検討されたが、米軍が『不可欠の任務のため当施設を継続
的に使用する権利を有する』ことになり、現在まで全面返還は実現していない。」…って!?

 その根拠は日米地位協定「第二条4(a) 合衆国軍隊が施設及び区域を一時的に使用していないときは、日本
国政府は、臨時にそのような施設及び区域をみずから使用し、又は日本国民に使用させることができる。ただし、
この使用が、合衆国軍隊による当該施設及び区域の正規の使用の目的にとつて有害でないことが合同委員会を通じ
て両政府間に合意された場合に限る。」です。

 まさしく、属国協定ですね! わが日本国政府は、米軍が58年間も「一時的に使用していない」広大な「わが国固
有の領土」を…木更津基地の面積は、日比谷公園と同じくらいの面積の竹島なんかより、よっぽど広い!?…を「返しな
さいよ」ってことも言えない…

 情けないですねぇ…私は、けっこう、愛「国」心が強い人(笑)なので、韓国に対する態度とは真逆にアメリカに
対してだけは卑屈で、国家主権(固有領土!?)を差し出しながら、屈従に甘んじている我が日本国政府に怒りを覚
えます…

 さて、ここに来年3月からアベ首相がトランプさんにへつらって爆買いしたオスプレイ17機がやってくることになっ
ています。しかし、沖縄から「整備のため」として持ってきたオスプレイの1機目の整備が終わったのは25か月後で、
今、来ている2機は6ヵ月以上、3ヵ月以上「整備」しているけれど、いつ整備が終わるのか見当もつかない状況とか!?
 こんなもの、使い物になりませんよねぇ…

 この木更津自衛隊駐屯地の正門の直ぐ隣と言っていい位置には保育園があるのです。

 この橋の真ん中で、東京全労協の仲間たち、「オスプレイ来るな・いらない住民の会」の方たちとシュプレヒコール
「オスプレイは来るな! オスプレイはいらない! 木更津にいらない! 日本にいらない! 」。

 これで今回の学習は、ほぼ終了。木更津駅前で美味しいランチをいただき、私は我孫子市ですので、バスで帰る皆様
と別れ電車で帰宅。

 本当に有意義な交流合宿でした。こんな素晴らしい企画をしてくださった東京全労協のスタッフでに感謝! ありが
とうございました!









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