[CML 057271] 講演録「韓国の人々を手を取り合うために」

donko @ ac.csf.ne.jp donko @ ac.csf.ne.jp
2019年 11月 23日 (土) 22:06:54 JST


アジア共同行動(AWC)・日本連の会員
http://www.awcjapan.org/index.html
として、熊本県で日韓市民交流、ハンセン病患者支援、被差別部落運動を行って
いる田中信幸さんが、韓国徴用工問題に関する講演を行いました。
 そのレジュメです。

 これを読みますと、安倍政権とその忖度を受けたマスコミ、ウヨの韓国非難の
合唱が嘘とデマに満ちたものであるか解ります。

 田中信幸さんの了承を得てFBに投稿します。
 拡散は歓迎とのことです。

(ここから)

      韓国の人々と手を取り合うために                
 
                        田中信幸
1,徴用工判決から1年

◆昨年10月30日の韓国大法院が下した徴用工裁判の決から1年を迎えるが、日韓関
係は戦後最悪の状況にある。これは同判決に対して安倍政権が「国際法違反」な
どと叫び、三権分立の民主主義国家である韓国政府に対して「判決の取り消し」
を要求するという「植民地宗主国」丸出しの対応をしたことから始まった。
 さらに7月1日に韓国への重要輸出品三品目の輸出規制、8月2日には「ホワイト
国」からの除外を徴用工判決に対する「報復措置」として発動した。これは明ら
かに経済制裁であり、「武器を使わない戦争」である。WTOのルールにも違反し国
際経済システムを破壊する行為だ。韓国政府もこれに対応する対抗措置を打ち出
した。

◆安倍政権は徴用工判決に対して「請求権協定で完全かつ最終的に解決された」
と主張し、これまでの日韓両政府の見解を全面的に否定した。そして「信頼でき
ない国」「約束を守れ」などと暴論をまくし立てたのである。残念なことに日本
の主要メディアはこの政府見解に対してその間違いを正さず、そのまま垂れ流し
た。それどころかテレビの情報番組、週刊誌、雑誌、ネット、SNS等あらゆる媒体
を通じて「嫌韓」報道が日本中にあふれている。安倍政権のウソをメディアが煽
り、それに国民がだまされるという本当にひどい状況である。

◆日韓条約―協定』は、簡略に記せば、以下のようなものである。
 日本政府は日韓基本条約(1965年)に、朝鮮に対する植納納民地支配は違法・
不当ではなく合法・正当なものであり、自らの非はなかったという立場で結んだ。
このことからの必然として、日本の植民地支配による被害への賠償などいっさい
行っていない。「日本による朝鮮統治」は合法で正しかったというのが政府の認
識―立場だったのだから、その非と責任を認めることを意味する補償・賠償など、
立場上・論理上、在り得なかったのである。

◆日本政府が、「請求権協定」で行ったことは「経済協力」だった〔注1〕。し
かも、この「経済協力」はお金(無償3億ドル、有償2億ドル)を直接、韓国政
府に渡す形ではなく、「日本国の生産物及び日本人の役務」で代替する形だった。
したがって、そのお金はその「生産物・役務」(商品や労働・サービスなど)を
提供した日本の企業や商社に渡された。そして、「経済協力金」を何に使うかに
ついては、韓国政府がその「実施計画」を作成し、日本政府と「協議」し「決定」
された。 
 つまり、それは、韓国政府が自由に使えたわけではなく、日本政府の承認が必
要であり、かつ、その「使い先」は日本企業であった。「経済協力方式」は、日
本―日本企業に利益を与え、かつ、それを土台―踏み台にして韓国での企業活動
―利益追求活動(経済侵略)を始められるようになることを意図して行われたも
のだったのである。

◆要するに、日本政府は、この『日韓条約―協定』において、過去の植民地支配
の非を認めず「清算」しなかったばかりでなく、これを、新たな新植民地主義的
侵略・支配の契機―踏み台としたのである。

◆昨秋の韓国大法院の徴用工判決は、「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民
地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提と
する強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権は、『請求権協定』の適用
対象に含まれていない」とする。
 つまり、日本の違法な植民地支配下での「日本企業の反人道的な不法行為」に
よる被害は賠償されなければならないとしている。韓国憲法は前文で「大韓民国
は、(1919年の)三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統」を継承す
る明記されている。
 したがって、韓国大法院が、1910年の「韓国併合条約」に依拠した日本の植民
地支配を不法と判決したのは当然のことで、判決は国際法違反とは言えない。韓
国政府は「韓国併合条約」が1910年時点で「すでに」無効であったという事実を、
日韓基本条約でも一貫して主張してきた。

◆したがって、いま、日本政府・メディア、私たち「日本国民」が問われている
のは、自らの植民地支配の不当・不法を認めるか否か、その一点である。

(注1) 当時の外相・椎名悦三郎は当『条約・協定』調印後の批准に向けた国会
で次のように答弁している。「経済協力というのは純然たる経済協力ではなくて、
これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありま
すが、法律上は、何らこの間に関係はございま せん。あくまで有償・無償5億ド
ルのこの経済協力は、経済協力でありまして・・」
        (参議院本会議/1965年11月19日)

◆まさに、日本企業・政府のために存在したと言えるこのような新植民地主義的
システムの「経済協力」を起点として開始された日本企業の韓国への怒涛の「進
出」は、経済侵略と呼ばれる性格のものだった。
 76年3月1日に、金大中など12人の民主人士が発表した『民主救国宣言』
には、「現政権のもとで締結された韓日協定は、この国の経済を日本経済に完全
に隷属させ、すべての産業と労働力は、日本の経済侵略のいけにえにされてしま
った」と記されている。

2,日本帝国主義による植民地支配をふり返る

<日本の侵略思想の原点>

◆1840年のアヘン戦争による清の敗北は江戸幕藩体制下の支配層に深刻な危
機感を与えた。「古事記」「日本書紀」を根拠に、日本の天皇が世界で最も徳が
高く、世界の中心であると説く国学が注目されるようになり、維新の中心人物は
アジア侵略主義で武装していた。

◆吉田松陰は獄中で「朝鮮を責めて、質を納れ、貢を奉ずること古の盛時のごと
くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(フィリピン)諸島を収め、進
取の勢を示すべき」「国力を養ひて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」と
書き送り(『吉田松陰全集』第一巻「幽囚録」)、これを受け松陰の弟子である
桂小五郎(木戸孝允)も「征韓論」を唱えていた(注2)

(注2)国学者佐藤信淵は「凡ソ他邦ヲ經略スルノ法ハ弱クシテ取リ易キ処ヨリ
始ルヲ道トスニ當テ世界萬國ノ中ニ於テ皇國ヨリシテ攻取リ易キ土地ハ支那國ノ
滿州ヨリ取リ易キハナシ」と書き、中国 征服を世界征服の第一歩として捉えた。
軍事的及び経済的に満州以北を征圧した後中国本土へ台湾と寧波から侵攻し、そ
して南京に仮の皇居を定め、中国を征服した後はヨーロッパへ 侵攻せよという。
戦前の軍や右翼の中には、この佐藤信淵の影響を受けた者が多い。

<朝鮮人民を殺戮し続けた日本帝国主義>

◆1894−5年の日清戦争は、清国の支配から朝鮮を略奪するための初めての対外侵
略戦争。最初に王宮を占領し、皇帝を虜にして、皇帝が清国軍を追い出すよう日
本軍に要請したという口実で清国軍攻撃に進んだ。
 そして朝鮮南部で戦う東学農民軍の殲滅戦を1894年11月から95年2月まで行い、
農民の犠牲者は死亡した人だけで5万人を超え、負傷者も入れたら30万人との推測
も。日清戦争での日本軍死傷者2万人、清国軍3万人の合計を遙かに上回る農民の
殺戮を行う。旅順大虐殺 閔妃殺害事件

◆義兵闘争への殲滅戦−1904年朝鮮支配を確実にするための日露開戦。日本軍は
ソウル占拠し、2月23日日韓議定書調印、日本の保護国に。05年ソウルに乗り込ん
だ伊藤博文11月17日第2次日韓協約(乙巳保護条約)により朝鮮の外交権を剥奪。
07年伊藤博文が高宗の退任、国軍の解体などの第3次日韓協約を強要。1907年以降
義兵闘争が活発化。日本は第6師団(熊本)などの軍隊を派遣して鎮圧しようとし
た。
 日本側発表で1911年までに義兵17779名を殺害、負傷者3706名、捕虜2139名とい
う。

◆1919年3.1独立運動−全土で200万人を超す人々が参加した平和デモに対して朝
鮮総督府は軍隊、憲兵、警察を使って弾圧。死者7509人、負傷者15961人被逮捕者
46948人、水原の堤厳里(チェアムリ)教会への焼き討ちでも多数の住民を殺害。
『朝鮮独立運動の血史』朴殷植より

◆1923年関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺−軍が直接虐殺に加担し、国(内務
省警保局)が無線を通じて関東近辺の自治体に 「不逞鮮人」 による放火、爆弾
投擲、井戸への毒物投入、暴動があったとの誤った情報を伝達したことにより、
関東各地に自警団が組織され武器を所持して朝鮮人・中国人(中には地方から出
てきた日本人も含む)を大虐殺した。(ジェノサイド)殺害された数は6000人を
超すと言われる。
 特高警察による社会主義者や無政府主義者大杉栄などの虐殺も行われた。
 一般民衆が直接手に武器を持って、朝鮮人を虐殺するという植民地主義の暴力
性が象徴的に示された事件。

<植民地支配は朝鮮を近代化したのか>

◆1910年に植民地支配に乗り出した日本は、港湾の工事、鉄道建設を積極的に進
めたが、これは第1に中国、満州へ向かう侵略のための兵站設備として戦略インフ
ラであった。第2に日本国内へ朝鮮の資源、生産物を運ぶためのインフラ設備であ
った。それが、朝鮮人の移動手段、経済活動の利用価値があったことは否定でき
ないが、朝鮮独自の経済発展、朝鮮人の生活を豊かにすることが目指されたわけ
ではなかった。

◆土地調査事業により朝鮮の農地を奪い取った。併合前から日本の資本は朝鮮の
土地所有を目指した。その代表的企業が東洋拓殖。併合後、総督府が1910年から
18年にかけて土地調査事業を実施。
 不当なやり方で農民の土地を一部は国有化し、他は大地主の所有地にした。国
有化した土地は東洋拓殖などに払い下げた。日本人大地主が多数現れ、朝鮮南部
などの肥沃な土地を買い占め、多くの朝鮮農民はその小作人へと組み込まれた。
1927年全羅北道金堤郡の報告には「住民の85%が小作農である。小作料が5割から
6割に達しているので、小作料を納める日が食料が絶える日である。」と書かれて
いる。1941年の統計では朝鮮農民一人あたりの農業収入は103円、日本人が9,
909円。その差なんと96倍に達する。1910年代から30年代にかけて日本人一人の米
消費量は1.1石内外であるが、朝鮮では1910年の0.77石から30年0.40石へと激減し
ている。植民地支配は明らかに朝鮮農業を衰退させた。日本帝国主義が朝鮮の米
を奪い尽くしたといえよう。

◆学校教育は朝鮮の識字率を上げたのか。
 植民地支配から20年後の1930年の総督府識字率調査以外、まともな調査は行わ
れていないが、全年齢層トータルでは、ハングルを読み書きできる人は22.2%
(男36.0%、女7.9%)。学齢期の10代ですら識字率が男性で半分いかず、女性に
至っては1割台なかば。日本帝国は初等教育の普及を怠った。朝鮮総督府は最後
まで義務教育を施行しなかった。識字率は独立後急速に回復した。
 朝鮮のGDPも、1910−45年の間は殆ど横ばいである。

3,徴用工問題とは

<朝鮮人強制連行>
◆日中戦争1937年7月。38年4月国家総動員法、9月に国民徴用令が国内で施
行。朝鮮では1944年9月から実施。1939年7月朝鮮総督府が労務動員計画を施行。
日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によ
って地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた。「募集方式の段階から
会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」(水野直樹)

◆日本政府の労務動員計画一39年1月からの「募集形式」二42年からの「官斡旋方
式」三44年9月からの「徴用令方式」の3段階があった。一応期間は2年間。その
最初の募集の段階から、行政・警察当局による強力な勧誘があり、募集とは言っ
ても実態は強制連行であった。募集人員を無理矢理確保するため「寝込みを襲う」
「田畑で作業中の農民を無理矢理自動車に押し込む」などの実態があった。

◆北海道から九州までの炭鉱への配置が多かった。「たこ部屋」に追い込み、
12時間を超える平均労働時間、粗末な食糧事情、生命の危険が多い作業で死亡率
が高かった。給料は直接渡されないケースが多く、強制的に貯金させられた。朝
鮮に残された家族は生活の糧が断たれ、家族への援護は総督府から実施されず、
餓死するケースも生まれた。 もちろん家族同伴は認めなかった。

◆それでも不足する戦時下の労働力確保を急いだ政府は、1942年11月の閣議決定
で中国人労務者の内地導入を決めた。「仕事を世話してやるなどとだまされたり、
突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行された」「農作業中に日
本軍の襲撃を受け連行された」(西松建設)あるいは日本軍が捕らえた「俘虜」
も集めて移送したとされる。文字通りの強制連行・奴隷労働。日本全国の135事業
所に38,935人が送られ、6,830人が死亡。

<韓国大法院の徴用工判決と日本政府の対応>
◆日本政府は個人の請求権を認めている−日本政府やメディアはひた隠しにして
いるが、これまで日本の外務省もまた、国会で何度も「日韓請求権協定は、個人
の請求権そのものを消滅させたものではない」と明言している。(注3)

(注3) 1992年2月26日の土井たか子議員に対する柳井俊二条約局長の答弁「そ
の個人のい わゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、
この協定におきましては いわゆる外交保護権を放棄したということでございまし
て、韓国の方々について申し上げれ ば、韓国の方々が我が国に対して個人として
そのような請求を提起するということまでは妨げ
ていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交
保護権を放棄 しておりますからそれはできない、こういうことでございます。」

◆このような解釈に従い、韓国人被害者が提訴した数十件の戦後補償裁判で、国
側は日韓請求権協定で解決済みと主張することはなく、これが争点になることす
らなかった。

◆和解を勧めてきた裁判所−徴用工裁判で97年日本製鉄が1人200万円で和解。
99年に日本鋼管が1人410万円で和解。2000年には不二越が女子勤労挺身隊と
3000万円で和解。中国人徴用工三菱マテリアル訴訟で1人170万円、総額64億円を
企業が払い、謝罪和解した。これに日本政府は一切口を挟まなかった。

◆日本政府のちゃぶ台返し
 ところが2000年になると、日本政府は解釈を突然変更し、「あらゆる戦後補償
裁判で条約(サンフランシスコ条約、日韓請求権協定、日華平和条約、日中共同
声明)により解決済み」と主張し始めた。外国人被害者から賠償請求を受けると、
「条約により日本の国内手続きで、請求することは不可能になったので、日本国
には賠償責任がない」と手の平を返したのである。個人の実体的権利は消滅して
いないが、訴訟を通じて行使することは出来ないというのだ。これを最高裁が受
け入れたため、下級裁判所でも裁判で請求することはだめとなった。

※この背景には2000年にドイツの政府と企業がナチス時代の強制労働被害者に
「記憶・責任・未来」財団を作ってそれぞれ50億マルクを拠出して百カ国以上の
166万5000人に、43億6980万ユーロ(約7210億円)が支払われたことにたいする日
本政府の恐怖がある。

◆世界人権規約を批准している日本政府は、個人が裁判を受ける権利を保障する
義務を負っている。「権利はあっても裁判を受けられない」という日本の主張で、
自由権規約で義務づけられた裁判を受ける権利保障を真っ向から否定する解釈が
付け加えられた。とんでもないことである。

◆このため、韓国の強制動員被害者は、日本の裁判所に見切りを付け、韓国の裁
判所へと舞台を移して裁判を進めてきた。

<韓国政府と世界の対応>

◆ 「解決済み」論を基本としてきた韓国でも変化が表れたのは2005年。当時の盧
武鉉政権が日韓会談文書の公開を受けて、「日本政府や軍が関与した反人道的不
法行為は、請求権協定で解決したとは見なせない」と表明した。これにより元
「慰安婦」やサハリン残留韓国人、在韓被爆者を協定の対象外とした。元徴用工
をめぐっては、2012年大法院判決が「日本の判決は強制動員を不法とみる韓国憲
法と衝突する」として日本の裁判所による確定判決の効力を否定した。今回の判
決もその延長である。

◆国家間の条約で個人の請求権を一方的に消滅させることは出来ないとして、人
権、人道の観点で強制動員問題の解決を目指す取り組みは国際的潮流となってい
る。 2001年の「ダーバン宣言」で、国際社会は、植民地主義が残した人種差別な
ど過去の被害はもちろん、現在までも継続される被害は、時間を遡及して非難さ
れる事柄として、再発の防止がなされなければならないことであると確認した。

◆ドイツに次いでイタリアは、2008年にリビアとの間で、友好、パートナーシッ
プおよび協力に関する条約を締結する中で、植民地支配に対する謝罪と反省を表
明し、そのような過去を終結させるため、50億ドルにのぼる投資を約束すること
で賠償を実施した。欧州の植民地主義によってアフリカで引き起こされた、過去
から今でも継続されている不正義と人道に対する犯罪の歴史を、欧州連合の機構
や会員国が公式に認め記念するよう促した経緯がある。国際社会における植民地
支配責任に対する認識は、大きな進展を遂げている。昨年の韓国大法院の判決は、
このような国際社会の植民地支配責任に対する認識の発展とも、軌を一にするも
のである。

4,韓国民衆との連帯−熊本の経験から

<きっかけは教科書問題>

◆ 1997年全国的に安倍首相を含む右派勢力がその年に採択が行われる中学校の社
会科教科書に日本軍「慰安婦」のことが記述されることに対して、「中学教科書
から慰安婦記述を削除せよ」という議会請願を開始した。
 これに対して熊本では市民と県教組、退職教師を中心に立ち上がり、逆請願を
熊本県議会に提出した。
 この時熊本県と韓国の忠清南道が83年以来姉妹関係にあることから、忠南の市
民団体に抗議のメッセージを熊本県議会に届けてくれるよう要請してみた。直ち
に県議会宛にFAXが送られ、6月議会では忠南の代者2名が来熊して、県議会に
要請した。
 その結果、請願は取り下げとなった。

◆国際連帯の力が政治を変えることを実感した熊本の人々は、直ぐに忠南に代表
を派遣し相互訪問が始まった。そこで気づかされたのが、熊本の人々の歴史認識
に過去の植民地支配の記憶が欠落していたことだった。それは忠南天安市にある
独立紀念館を訪問することで気づかされた。
 2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」の偏向教科書が検定合格し採択にか
けられたが、この時忠南から教科書訪問団が来熊し、各地域の教委に要請行動を
行った。熊本は「つくる会」が狙った地域だったが、採択を阻止できた。それ以
降05年、09年と4年ごとの採択時には行政も含む訪問団が来熊している。「あぶな
い採択地区」には忠南の代表が全市町村教委を表敬訪問して訴えている。
 来年の中学教科書採択でも来熊する。

<共通の課題を抱える市民同志の交流>

◆それ以降お互いの代表団が相互訪問を続ける中で歴史認識だけでなく、お互い
の市民社会がかかえる問題が共通していることが見えてきた。03年からは熊本県
高教組と忠南の全教組忠南支部との交流が始まり、同じ時期熊本の農民グループ
と忠南の農民組合との交流も開始された。
 さらに、水俣病の問題、川辺川ダムの問題を抱える熊本の環境運動「環境ネッ
トワークくまもと」と忠南の「みどりの忠南」との交流も始まった。お互い相互
訪問し、文化的な要素も取り入れた。

◆2005年、21名もの熊本県人が係わった「閔妃殺害事件」(1895年)の犯人国友重
章の孫に当たる河野龍巳さんと、同じく犯人家入嘉吉の親族である家入恵子さん
が命日(10月8日)に閔妃(明成皇后)の墓前を訪れ、謝罪した。韓国国内では大反
響を呼ぶ。
 この時同行した人たちを中心に「明成皇后を考える会」が作られ、それ以降毎
年10月8日には墓参のため訪韓し交流している。又、07年からは独立紀念館歴史研
修ツアーを開始し、本格的に日韓の過去を学び直す活動にも取り組んできた。こ
のツアーには浄土真宗や日本キリスト教団からも宗教者が参加し、忠南の宗教者
と「宗教者サミット」も行うことができた。このツアーは13年まで続けた。

◆10年には韓国のミュージカル劇団「エイコム」による「ミュージカル明成皇后」
の日本初公演が熊本市で行われ、好評を得た。
(東京、大阪、名古屋などでの公演ははすべて拒否された)
 09年には安重根処刑100年のシンポジュームを開いたが、安重根の通訳を務めた
菊池出身の園木末喜に安重根が獄中で書き贈った遺墨二通が今日の日韓関係にも
その解決の方向性を示すものであると思われるので紹介する。「日韓交誼善作紹
介」(日韓の友好のためにはお互いよく知り合うことである)「通情明白光照世界」
(情が通じ合う親しい関係が出来たとき光は世界を照らす)
来月には、日韓の最悪の関係を打ち破るために、熊本と忠南の交流が一つのモデ
ルとなるようにさらに発展させることを願う県民のメッセージを持って代表が忠
清南道を訪問する予定である。

5,終わりに

◆安倍首相は戦後70年の談話で「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子ども
たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」と言ったが、この発言
には、安倍の「戦争責任」と「謝罪」に関する浅薄な考えが如実に表れている。
 戦後世代には、確かに日本軍が犯した戦争犯罪に対する直接の責任はない。し
かし、そうした過去の国家責任を十分にとらないどころか、戦争犯罪を犯した事
実すら否定してしまう政権に、歴史的事実を明確に認識させ、正当な国家責任を
とらせることを追求しなければならない国民としての義務と責任が、戦後世代の
我々にはある。私はそのことを『一道背負』(人民日報社)という本の中で書い
た。
 今謝罪しなければ、被害国からは孫ひ孫の時代まで謝罪要求は続く。「ますま
す高いものになる」ことを覚悟しなければならない。

◆人権に関する国際的な動きの中で、先進国と言われる国で日本ほど頑なに過去
に向き合わず、一切謝罪しない国はないだろう。
 ドイツの大統領は今年9月にもポーランドを訪問し大地にひざまずいて謝罪した。
アメリカでさえ、第二次大戦中の日系人の強制収容を謝罪賠償した。イタリアも
リビアに謝罪した。
 ところが安倍は15年の朴槿恵政権との「慰安婦合意」でも被害者である高齢の
ハルモニたちに対しては直接に「謝罪」表明は全くしないどころか、結局は「1
0億円出すから今後はこの問題については黙れ」と言った。
 結局、10億円という金で日本軍性奴隷の存在という歴史事実に関する記憶を買
い取り、その記憶を抹消することを目的とする「手切れ金」だったのである。

◆20年以上続けてきた熊本と忠清南道の市民交流は「歴史認識の共有化」をベー
スにしているので、どんなに「嫌韓」報道が続こうとも腰砕けになることはない。
 熊本地震の時でも、忠南の市民代表は真っ先に駆けつけてくれて、多額の見舞
金まで寄贈してくれた。本当にお互い気心が知れた間柄と言える。安重根が園木
に贈った遺墨の精神に一歩近づくことができたのではないかと密かに思っている。
以上

(ここまで)

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko @ ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
『伝送便』
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私も編集委員をしています(^^;)
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