[CML 055368] 「山本宣治終焉の地」記念プレート、設置

masuda miyako masuda_miyako1 at hotmail.com
2019年 3月 23日 (土) 16:09:37 JST


皆さま
 こんにちは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複、長文ご容赦を! 
もう1週間たってしまいましたが、17日(日)件名プレートの「除幕・献花、記念の集い」がありました。

 何かの集会でこのビラを見て、この週は毎日出かけていたので少々つらかったのですが「これは行かなくっちゃ」
(笑)と頑張りました。

 主催は「東京山宣会」です。
https://tokyoyamasen.web.fc2.com/index.html

 今年は、1929年3月5日、帝国議会議員でただ一人、最高刑を死刑とする改悪治安維持法に反対して右
翼テロの犠牲となった山本宣治の没後90周年になります。

 「東京山宣会」は2010年発足して以来、山宣記念碑の設置の運動をしてこられ、やっと、千代田区の事業
としての「千代田区まちの記憶保存プレート」の一つ…4つ目だそうです…として、実現したのです。
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/kioku/index.html

 場所は宣治の定宿で、「七生義団」の右翼に殺された…まだ39歳でした…神田光榮館の跡地(千代田区神田
神保町1-103)そばの歩道です。光榮館のあった場所には今、東京パークタワービルという高層ビルが建っています。

 除幕式前の写真…このMLは添付ができないのですみません…に写っているのは宣治の次女の方と、集会(東京
堂書店ホール)で親族を代表してご挨拶されたお孫さんの山本勇治さん(京都民医連九条診療所長)です。勇治
さんは、やっぱり、おじいさんの写真と似ているな、と思いました。

 集会会場に置かれた額…蛍光灯の光が写ってしまい見にくいですけど…は宣治自筆の「唯生唯戦」…意味は「ひた
すら生き、ひたすら戦う」…という1929年2月25日に書かれた書です。

 記念講演は荻野富士夫小樽商科大学名誉教授の「山本宣治と治安維持法」でした。荻野先生の著書『よみが
える戦時体制  治安体制の歴史と現在』(集英社新書)には、アベ日本会議政府によって特定秘密保護法・
共謀罪と「あらたな戦時体制形成の最終段階へ」この国が入っていることが証明されていて慄然としますが、お勧めです!

 集会でいただいたビラには『こころざしつつ たふれし少女(乙女)よ 伊藤千代子の生涯』という劇映画が「2020年に
完成・全国公開」と書いてありました。楽しみです。

 伊藤千代子についてはhttp://www.tiyoko17.org/
 1928年の3・15弾圧で特高の拷問・虐待・転向強要にあいながら屈服せず、しかし、精神を病み、24歳で獄死しま
した。

 大日本帝国敗戦後、追悼式で日本国の首相や天皇が「戦死者たちは現在の平和と繁栄の日本の礎となった人々」
という主旨のことを何十年も言い続けていますが、私は、それはフェイク(嘘)だと考えます。


 あのアジア太平洋戦争の「戦死者たち」は「大日本帝国=天皇主権・無民主主義・無基本的人権の国」を守れ、と強
要されて戦争に動員され、殺し・殺された大日本帝国政府の犠牲者であって、現在の「平和・民主主義・基本的人権尊重」
の憲法を持つ日本国を作ろうとして殺され、現在の「日本国の礎」となったのは、山本宣治や伊藤千代子たちだと思うのです。

 話が飛んでしまいましたが、神田神保町近くにいらっしゃった際には、ぜひ、この山宣記念プレートをご覧になってください。一
番近いのは地下鉄A9出口です。







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