[CML 053662] 今の沖縄は45年前のチリのような状況ではないでしょうか?沖縄県民の総意が権力によって圧殺されようとしています。今こそ本土からの連帯を!:私たちは「もう一つの9・11」を忘れない!Venceremos!:

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2018年 9月 11日 (火) 11:39:29 JST


今の沖縄は45年前のチリのような状況ではないでしょうか?沖縄県民の総意が権力によって圧殺されようとしています。今こそ本土からの連帯を!:私たちは「もう一つの9・11」を忘れない!Venceremos!:

https://www.youtube.com/watch?v=d02e_QAUMp8

9・17沖縄とつながる京都の集い

私たちは「もう一つの9・11」を忘れない!Venceremos!

「チリ軍部クーデター - 世界史の窓」より
https://www.youtube.com/watch?v=d02e_QAUMp8

1973年9月、チリのアジェンデ社会主義政権を倒したピノチェト将軍による軍事クーデター。ピノチェトは独裁体制が開始された。

 1973年9月11日、チリにおいて、ピノチェト将軍の指揮する軍部によって、アジェンデ大統領の人民連合政権が倒され、権力を掌握したピノチェトによる軍政がおこなわれた。

 アジェンデ大統領による社会主義政策により産業の国有化が進めれたことに反発した軍部及び保守派は、アメリカ(ニクソン政権)のCIAから、資金と軍事支援を得てクーデターを断行した。アジェンデ首相は首相官邸で武器を取って戦ったが、最後は自殺した。

戒厳令下の虐殺

このクーデターには選挙で合法的に選ばれた政権を武力を用いて倒したということで世界各地から非難の声があがるなど国際的な反響も非常に大きかったが、それよりも人々を驚かしたのは人民連合派に対する軍部の迫害の激しさであった。クーデターと同時に、アジェンデ派と目される人々は根こそぎ逮捕され、臨時の強制収容所と化したリチ・スタジアムに連行されて、食べ物も水も与えられず何日も放置されたあげく、拷問にかけられて多くの人々が死亡した。クーデター直後に殺害された人々は二千人から三千人、またクーデター一年後になお投獄されていた人々は七万人とも言われており、その凄まじさがわかるであろう。<G=ガルシア=マルケス『戒厳令下チリ潜入記』の後藤政子解説などによる>
 チリの詩人で1971年にノーベル文学賞を受賞したパブロ=ネルーダは、アジェンダ政権の下でフランス大使を務めた。ガンに罹ってチリに戻り、療養しているときに軍事クーデターが起こった。左翼と見られていたネルーダの家は警官隊に荒らされ、ネルーダも連行されたが、その途中で病状が悪化し死んだ。ネルーダは軍事クーデターの犠牲者のひとりとなった。

Episode もう一つの9.11

(引用)2001年9月11日の同時多発テロで、世界はアメリカに同情したが、南米チリの人々は冷ややかだった。28年前の同じ火曜日にチリでテロを行ったのは、他ならぬアメリカだったからだ。1973年9月11日、南米チリでピノチェト将軍率いる軍部がクーデターを起こし、アメリカの同時多発テロの被害者を上回る、3000人を超す市民を殺害した。これを演出したのが、アメリカ政府機関であるCIAだった。アメリカがチリで行ったことを知れば、民主主義の代表のようにいわれるアメリカが、自国の利益のためには、他国の民主主義も人権も踏みにじったことがわかる。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.116>



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