[CML 054170] ルネサンス研究所、公開学習会の告知。

服部 一郎 kamitotomoni at yahoo.co.jp
2018年 11月 6日 (火) 10:50:09 JST


服部です。恒例の研究会告知です。テーマの記述を読み興味を持たれた方は参加をご検討ください。

11月のルネサンス研究所の定例研究会

・11月12日(月)18時〜21時
・専修大学神田校舎1号館41教室(JR水道橋駅、地下鉄神保町駅、九段下駅すぐ)
・テーマ:対抗運動にとって階級概念とはなにか:ラカン派左翼の論争について(高橋若木)

  今回の発表では、2011年以後の日本のデモ運動について昨今流通している支配的な見方を運動当事者の視点から批判するうえで、ラカン派左翼と呼ばれる一群の政治理論家のうち、エルネスト・ラクラウとスラヴォイ・ジジェクの論争を紹介したい。
 3.11以降の反原発デモは、秘密保護法反対をきっかけに安倍政権をファシズムとして名指し、デモと選挙の両面で対抗勢力を形成しようとしてきた。東京の反政権デモが採用した「ファシズム対民主主義」という対立構図は、左翼がリベラルと連携する意味でも、アメリカ民主党的なリベラリズムを肯定してみせる仕草においても、人民戦線戦術を意識したものだった。かつての労働者本隊論や階級政治が機能しなくなった時点で、かつてない大衆的・組織的な基盤を手にした極右反動の猛攻に抵抗するため、人民戦線的な「民主主義」は避けられない緊急措置だったと考える。
 しかしながら、筆者が「あえてする緊急措置の戦術」として意識していた「民主主義」の体裁は、あらたな正統主義となり、運動にとって本音の教義ともなってしまいかねない。国家、資本、近代に対する批判は、後景に退いても本音として保たれ、大衆的なデモクラシーを喧伝しつつも隠れたエンジンのようにデモの現場でつづくと思っていたが、果たして現時点でそう言い切れるか。こうした疑念は、反安倍運動のなかで天皇が肯定的なシンボルとして語られる際、強まらざるを得ない。
 とはいえ、単純に労働者本隊論や階級による決定の概念にもどることもできない。いま必要なのは、階級の概念を再構成し、現代の民主化運動のなかで実践しなおすことである。この困難な課題を考えるうえで、ラカン派左翼内部の論争が参考になる。一方に、3.11以降の運動とその周辺でほとんど正統理論となりつつあるエルネスト・ラクラウのヘゲモニー理論がある。他方には、精神分析の理論を背景として階級概念の重要性を再主張し、ラクラウを批判するスラヴォイ・ジジェクがいる。階級決定論に対するラクラウの批判は今でも妥当だが、果たして私たちにはラクラウが語るような民主主義のラディカルな実践としてのポピュリズムしかないのだろうか。
 現代の民主主義と左翼政治に関するこうしたジレンマは、筆者の知る限り、すくなくとも北米とスペインでも似た形で展開している。発表では、サンダース派の内部論争と、スペインのポデモスについても言及したい。


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