[CML 052963] 明日は74回目の沖縄6.23です。「美しい死」と「不潔な死」
T. kazu
hamasa7491 at hotmail.com
2018年 6月 22日 (金) 21:17:19 JST
みなさま
明日は74回目の沖縄6.23です。
私は弁護士会館で牛島司令官のお孫さんのお話を聞くつもりです。
http://www.labornetjp.org/EventItem/1527657186570emi
昨年書いたものを整え直しました。
↓
ver15はこちらからダウンロードできます
https://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3305.html
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「美しい死」と「不潔な死」
軍の司令部の付近の住民がスパイといって虐殺された?
そんなことありません。絶対そんな不潔なことしません、と
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スローガンは、
「軍官民共生共死の一体化」
「一人十殺一戦車」
住民を巻き込んだ沖縄戦は、1945年3月23日空爆、24日艦砲射撃の開始、4月1日の米軍上陸に始まり、摩文仁の丘で司令官と参謀長が自決した6月23日(22日という説もある)まで、3ヶ月間続いた(沖縄では9月7日を終戦と考え「沖縄市民平和の日」と定めている)。司令官が自決に先立って「足腰の立つものは尺寸の土地が存する限り戦いつづけるよう」命じていたので、実際は9月まで潜行戦が続きいっそう犠牲者を増やした。20万人の死者を数え内12万人以上が沖縄出身者で、実に県民の1/4が犠牲になった。県外出身将兵は6万6千人が亡くなった。
沖縄守備隊である第32軍は「持久戦」を展開した。人も大砲も食糧もすべて地下陣地に隠して立て篭もり、米軍を引き寄せて撃つという戦法をとった。その総司令部が、首里城の下に掘った32軍司令部壕だった。
伊波苗子さんは、牛島司令官付き看護婦として辻遊廓から32軍司令部に呼ばれ、首里の司令部壕から摩文仁の司令部壕に至る3ヶ月間、司令部に従軍した。伊波さんが,美しい殉国の死と不潔な住民虐殺の死と、目撃した2種類の女性の死を語った。
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Ver.15(全58ページ)2018.6.22
PDFダウンロード (7.69MB) [https://img.atwikiimg.com/common/_img/exlink.gif] http://xfs.jp/YWcxu
お時間のあるときにお読みくだされば幸いです。
田島直樹
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