[CML 053249] 国が災害対策を怠ることによって死んでしまう人をなくすために、 大前治さんの提言『自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感』を広げ、共に考え、実現させていきましょう。

京都の菊池です。 ekmizu8791 at ezweb.ne.jp
2018年 7月 26日 (木) 18:43:15 JST


国が災害対策を怠ることによって死んでしまう人をなくすために、 
大前治さんの提言『自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感』
を広げ、共に考え、実現させていきましょう。

転送転載歓迎

京都の菊池です。

鴻上尚史さんが、
扶桑社の週刊SPAに連載中のエッセイ ドンキホーテのピアスの今週号2018/7/31号での分でと、

守田敏也さんのブログ明日に向けて http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011 
の、
明日に向けて(1555)日本の避難所は世界の難民キャンプの最低基準以下で人権侵害そのもの!この状態をみんなで超えていこう! 
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4609fb376445897bc34a7ac3dc103c2c 
で、

紹介され、教えていただいた、

下記の大前治さんの提言は、


災害により死ぬ人をなくしていくためにも、
国が災害対策を怠ることによって死んでしまう人をなくすためにも、
読んで、実現していけるよう考え行っていくことが、必要と思いました。


*守田さんには、大前さんの文中にある、
スフィア基準を
NHK が紹介していることも教えていただきました。

・・・
● NHKでも取り上げられた国連基準(スフィア基準)

なおスフィア基準についてはNHKも本年5月1日にWEB特集で取り上げていました。大変参考になるのでこちらもご覧ください。

避難所の女性トイレは男性の3倍必要~命を守る「スフィア基準」
NHK NWES WEB 2018年5月1日 14時15分
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0501.html 

・・・


自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感(大前 治) | 現代ビジネス | 講談社(1ー4) 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56477

 

を読み、ぜひ、広げ、共に考え実現させていきましょう。


抜粋



なぜ日本の避難所は劣悪なのか

災害援助を「権利」として捉え直す


なぜ日本の避難所は劣悪な環境なのか。そこには、災害対策や復興支援についての日本と諸外国との考え方の違いが表れている。

実は、前述の国際赤十字の基準(スフィア基準)は、単なる避難所施設の建築基準ではない。

正式な題名は「人道憲章と人道対応に関する最低基準」であり、避難者はどう扱われるべきであるかを個人の尊厳と人権保障の観点から示している。

図説明文
国際赤十字「人道憲章と人道対応に関する最低基準」(スフィア基準)

日本語版で360ページ超の冊子は、冒頭に「人道憲章」を掲げており、次のように宣言している。

*災害や紛争の避難者には尊厳ある生活を営む権利があり、援助を受ける権利がある。
*避難者への支援については、第一にその国の国家に役割と責任がある。
(国際赤十字・スフィア基準「人道憲章」より)
つまり、避難者は援助の対象者(客体)ではなく、援助を受ける権利者(主体)として扱われるべきであり、その尊厳が保障されなければならない。

これは避難者支援の根本原則とされており、人道憲章に続く個別の基準にも貫かれている。

たとえば、避難所の運営や援助の方法については、可能な限り避難者が決定プロセスに参加し、情報を知らされることが重要とされる。避難者の自己決定権が尊重され、その意向が反映されてこそ有益な支援が実現できるからである。

避難者の意向が把握されず、供給する側と受け取る側とにギャップが生じた例は数多い。

衛生状態の悪い中古の下着が善意で寄付されたり、逆に、生理用品が必要だという声が行政に反映されない事態も過去に起きた。こうした事態も、自己決定権の尊重と意向聴取によって解消しやすくなる。

そしてまた、援助を受けることは避難者の「権利」であると位置付けることによって、それに応じることは国家の「義務」であると捉えることが可能になる。

避難所を設置して心身の健康を確保することは、国家が履行するべき義務である。劣悪な避難所をあてがうことは義務の不履行として批判されなければならない。




政府の考えは「自己責任」

今の政府は、どう考えているだろうか。


内閣府が2016年4月にまとめた「避難所運営ガイドライン」にも、この国際赤十字の基準への言及がみられる。

しかし、「『避難所の質の向上』を考えるとき参考にすべき国際基準」と紹介しているだけであり、援助を求めることの権利性や国家の責任については触れていない。

災害対策の基本法といえる「災害対策基本法」をみても、住民が「自ら災害に備えるための手段を講ずる」とか「自発的な防災活動に参加する」という自助努力を定める一方で、住民が援助を受ける権利を有するという規定は存在しない。

内閣府が作成した避難所パンフレットをみても、国民が権利を有するという視点はなく、むしろ国民は避難所でルールに従いなさいと言わんばかりの記載に驚く。

図説明文
リーフレット「あなたのまちの避難所について」(内閣府)

このように、避難者は作業や役割分担には参加せよと指示されるが、権利者として意思決定プロセスへ参加することは書かれていない。

プライバシーのための間仕切りも、国が責任をもって用意するのではなく、「あると便利です」と案内して自費で用意させようとしている。

避難生活も生活再建も、あくまで「自己責任」が原則であるという政府の姿勢が見えてくる。


人への支援か、物への支援か
避難者を含めたすべての個人が豊かな生活を送れるよう保障することこそ、国家の責務であり存在意義である。一人ひとりの暮らしを直接に支える分野にこそ、優先的に国家予算を投入するべきである。

ところが、日本政府が用意する復興支援策は、別の方向を向いている。

たとえば、東日本大震災の復興予算として2011~2016年度に支出された31兆円のうち、被災者支援に充てられたのは僅か6.3%(約2兆円)である。

これは医療・福祉・教育予算を含んでおり、これらを除いて被災者の手に届いた生活支援予算はおよそ3%(約1兆円)程度である。

そのほかの復興予算は、災害復旧や廃棄物処理、復興公共事業、原子力被害の除染作業、産業振興などに支出された。海上自衛隊が弾薬輸送に用いる輸送機(150億円)にまで、「災害対処にも使えるから」と復興予算を流用している。

このように、政府の復興予算は「人への支援」ではなく「物への支援」ばかりである。こうした国費の使い方に、被災者への姿勢がにじみ出る。

今回の大阪北部地震や西日本豪雨でも、「体育館で身を寄せ合う避難生活」の光景は、当たり前のように、あるいは我慢と忍耐の姿として報じられた。しかし、そこには今の政治の問題点が映し出されている。

この光景は、適切な援助を受ける権利を侵害されて尊厳を奪われた姿と捉えるべきである。この国の避難者支援の貧困が表れているのである。

個人の努力でボランティア活動をすることは素晴らしい。それとともに、政府は被災者へ十分な支援をせよと声をあげて求めること、それを通じて政治に変化を及ぼすこともまた、私たちができる被災者支援として大切なことだと思う。



 
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