[CML 051518] 【今日のブログ記事】■「東京新聞」は日本を代表する数少ないリベラル派・市民派の新聞メディアと言われているが彼らの「明治維新」「明治憲法(大日本帝国憲法)」「伊藤博文」の認識は完全に間違っている!

山崎康彦 yampr7 at mx3.alpha-web.ne.jp
2018年 1月 20日 (土) 07:31:45 JST


いつもお世話様です!

【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰する市民革命派のネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。    

昨日金曜日(2018.01.20)夜に放送しました【YYNewsLiveNo2473】の『メインテーマ』を加筆訂正して【今日のブログ記事】にまとめました。

【放送録画】69分57秒

http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/434855103

【今日のブログ記事】

■「東京新聞」は日本を代表する数少ないリベラル派・市民派の新聞メディアと言われているが、彼らの「明治維新」「明治憲法(大日本帝国憲法)」「伊藤博文」の認識は完全に間違っている!

私は「東京新聞」の今年1月1日の社説「明治150年と民主主義」を読んで「明治維新は日本に民主主義をもたらした」「明治憲法(大日本帝国憲法)は絶対的天皇制ではあるが立憲制と議会制をしっかりと明記したので日本民主主義のはじまりである」「伊藤博文は維新をじかに体験してきたので民衆の知恵も力も知っていた。つまり広場(議会)の意義もエネルギーも知っていた」と書かれていたので驚愕した!

記事に署名がないので誰がこの社説を書いたのかは不明だが、この社説の内容が全く間違っているのは、根拠の「前提」として使った評論家堀田善衛の随想「広場と明治憲法」の内容が全く間違っているからだ。

この東京新聞の社説は『「前提」が間違っていればいくら長文で論理展開しようが内容はすべては間違っている』という「至極単純な真実」の典型的な例だろう。

この社説を書いた論説委員がまず最初にすべきだった

ことは、評論家堀田善衛の随想「広場と明治憲法」の内容が歴史的事実に照らして「正しいのか否か」を自分で検証すべきだったのだ。

すなわち伊藤博文が起案し1890年に施行した「大日本帝国憲法」が、天皇に世俗的な五つの権力(々颪療治権軍の統帥権H鷯鐶膰↓さ腸餡鮖狂↓)法律起案権)を与えて「しっかりと明記された『立憲制と議会制』を骨抜きにした」ことを堀田善衛が一切批判していないことを問題にすべきだったのだ。

また「大日本帝国憲法」が、第一条「大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治する」の規定によって天皇を日本帝国の絶対権力者に祭り上げたこと、また第三条「天皇は神聖であって侵してはならない」の規定によって天皇を絶対不可侵の「生き神」にしたことを、堀田善衛は一切批判していない事実を問題にすべきだったのだ。

すなわちこの社説を書いた論説委員は、伊藤博文が「大日本帝国憲法」によって天皇に与えた「世俗的権力」と天皇の「絶対不可侵化」が堀田善衛の言う「立憲制と議会制」と「民主主義」を完全に否定しているという事実を自分の頭で考えるべきだったのだ。

この社説を書いた論説委員は誰もが「リベラル派」と認める堀田善衛の「リベラルな評論」を自分で検証することなく「100%正しい」と思い込んで社説の根拠としたために、「明治維新」「大日本帝国憲法」「伊藤博文」に関して何の客観的事実に基づかない堀田善衛の「思い込み」を「前提」にしたこのような「お粗末な社説」を書いたのだ。

もし「明治150年」を美化して「憲法改正=日本国憲法破壊=大日本帝国憲法復活」に利用する安倍晋三がこの社説を読んだら泣いて喜ぶことだろう!

【該当記事】

▲ 社説 年のはじめに考える 明治150年と民主主義

2018年1月1日 東京新聞 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018010102000139.html

明治百五十年といいます。明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか。振り返ってみましょう。

日本の民主主義のはじまりというと、思い出す一文があります。小説・評論家で欧州暮らしの長かった堀田善衛氏の「広場と明治憲法」と題した随想です(ちくま文庫「日々の過ぎ方」所収)。

◆明治憲法つくった伊藤

主役は伊藤博文。初代内閣総理大臣、枢密院議長として明治憲法起草の演説。渡欧し憲法とは何かを研究してきた。

起草演説の明治二十一(一八八八)年、伊藤四十七歳、明治天皇はなお若き三十六歳。

何しろ東洋初の憲法です。欧米に伍(ご)して近代国家をいかに創出すべきか。頭をふり絞ります。

そこで堀田の随想は、悩める伊藤をたとえばベネチアのサンマルコ広場に立たせてみる。
広場はベネチア共和国総督府の宮殿とサンマルコ大聖堂の並び立つ下。政治経済を行う世俗権力と聖マルコの遺骸をおさめる聖なる権威の見下ろす広場。

堀田はこう記します。

<重大事が起(おこ)ったときに、共和国の全市民がこの広場に集って事を議し、決定をし、その決定を大聖堂が祝認するといった政治形式を、(伊藤は)一瞬でも考えたことがあったかどうか>

堀田は大聖堂の権威に注目し、同じ役割を皇室にもたせるべく明治憲法はつくられたと考えを進めるが、その一方で、こんな想像はできないでしょうか。

武士最下級足軽出身の伊藤が総理、公爵、枢密院議長へと上り詰めようと、彼は広場の民衆を果たして無視できただろうか、と。

強大な幕府の打倒は志士に加え豪農富商、それに民衆の支えがあってこそ実現したのです。幕末期の民衆は当然のように欧米に追いつこうとしていたのです。

◆民衆の側からみる歴史

歴史の多くは支配者の側から書かれます。そうであるなら民衆の側からでないと見えない歴史があるはずです。

支配者のいう民衆の不満とは、民衆にいわせれば公平を求める正当な要求にほかなりません。

維新をじかに体験してきた伊藤は、民衆の知恵も力も知っていたにちがいないと思うのです。つまり広場の意義もエネルギーも知っていたのではないか、と。

維新後、各地にわき起こった自由民権運動とは、その名の通り人民主権を求めました。

日本には欧州の広場こそなかったが、民主主義を求める欲求は全国に胚胎(はいたい)していたといっていいでしょう。

その延長上に明治憲法はつくられました。絶対的天皇制ではあるが、立憲制と議会制をしっかりと明記した。日本民主主義のはじまりといわれるゆえんです。

明治憲法はプロシアの憲法をまねた。プロシア、いまのドイツは当時、市民階級が弱く先進の英仏を追う立場でした。追いつくには上からの近代化が早い。国家を個人より優位に置く官僚指導型国家を目指さざるをえない。

国家優位、民主制度は不確立という、今から見ればおかしな事態です。広場は不用、もしくは悪用され、やがてドイツも日本も国家主義、軍国主義へと突き進んで無残な敗北を迎えるわけです。

むろん歴史は単純ではなく明治憲法は大正デモクラシーという民主主義の高揚期すら生んでいます。それはやはり社会を改良しようという民衆のエネルギーの発奮でしょう。

戦後、両国ともあたらしい憲法をもちます。

日本では“押し付け”などという政治家もいますが、国民多数は大いに歓迎しました。

世界視点で見れば、一九四八年の第三回国連総会で採択された世界人権宣言が基底にあります。人間の自由権・参政権・社会権。つまり国家優位より個人の尊重。長い時と多くの犠牲を経て人類はやっとそこまで来たわけです。

振り返って今の日本の民主主義はどうか。

たとえば格差という問題があります。広場なら困っている人が自分の横にいるということです。資本主義のひずみは議会のつくる法律で解決すべきだが、残念ながらそうなっていない。

◆広場の声とずれる政治

また「一強」政治がある。首相は謙虚を唱えながら独走を続けている。広場の声と政治がどうもずれているようだ。

社会はつねに不満を抱えるものです。その解決のために議会はあり、つまり広場はなくてはならないのです。

思い出すべきは、民権を叫んだ明治人であり、伊藤が立ったかもしれない広場です。私たちはその広場の一員なのです。

(終り)

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