[CML 048211] (無題)

りょうこ baffydct at gmail.com
2017年 5月 23日 (火) 14:39:29 JST


同居はしていない、高齢、病弱な家族を抱えると、深夜や早朝の電話にドキリとさせられます。わが家では90を超えた義母と、パーキンソン病で入院中の実兄に、いつ何かあってもおかしくありません。いずれ必ずや来る日に備え覚悟を決めていますが……やはり電話は神経によくありません。

きょう5日午前7時前、電話が鳴りました。こんな時間帯の電話は、悲鳴のように聞こえます。万一の場合がついに起きたか?
一瞬そう思いましたが、それぞれの実家からではありませんでした。

すぐ近くの、一人暮らしのご婦人からでした。「おなかが痛い。救急車を呼んだ。助けて」とのこと。
連れ合いとは、東日本大震災の折、いろいろ助け合った仲です。平時になると、団地族の習性でしょうか、さほど深い付き合いをしていたわけではありません。しかし緊急時には助け合わねばなりません。救急車に同乗し、近くの総合病院で診てもらったそうです。

幸い、CT検査などを受けても、異常なし。持病の過敏性腸症候群の発作? と分かり、痛み止めなどの点滴を受けて、午前10時過ぎに私が車で迎えに行きました。

たったこれだけで済んだからいいようなものの、団地住まいの住民は今後、ご近所とは付かず離れず「隣は何をする人ぞ」とばかりに個人優先の生活を満喫してきたツケを払わねばならない、と痛感しました。
くだんのご婦人は、子ども2人は遠い他県で暮らしています。夫君を亡くした後、一人暮らしを続けていますが、時折腹痛に悩んでいたようです。健康なら一人暮らしを謳歌できるものの、持病を持ってしまえば夜がさぞかし不安なことでしょう。何でも話せる、何でも頼れる人の少ない、団地族のつらいところです。

きのう4日付け河北新報19面に、作家・重松清さんの随筆「暦の余白に」に興味深い一節が載っていました。おそらく共同通信などからの配信でしょうから、全国の地方紙に載ったかもしれません。

「核家族が急増した時代の子どもにとって、ちょっとノスタルジックなホームドラマは、昔のことに詳しいおじいちゃんやおばあちゃんの代わりだったのだろう」

「また、ホームドラマは町のおとなたちの物語でもある。主人公の一家はたいがいお店を営んでいて、いつも誰かが出入りしている。ご近所には頑固な職人、おっちょこちょいの弟子、インテリの町医者、行儀にうるさい芸事の師匠、ワケありな小料理屋の女将、さらには居候のおじさんや出戻りのおばさんまで…」

「70年代は、ご近所の付き合いが急速に薄れた時代だった。子どもたちは、自分の親と学校の先生以外のおとなとはなかなか出会えない。あの頃のホームドラマは、それを補うサブリメントの役割も果たしていたのかもしれない」

人さまからいただける無形のサプリメントは、大人にも、そして核家族が高齢化した今こそ必要かもしれませんね。一人では老いに伴う不安や病気に勝てるはずがありません。ズカズカと入り込み「おう、元気か」「酒でも飲むか」と言ってくれるお節介な暇人が、そばに居てくれたら、どれほど心強いことでしょう。

わが家もいずれ一人暮らしになります。どっちが先に逝くかは言わずもがなでしょう。残った者が寂しさと孤独と不安と病にも打ち勝ってもらわないと、おちおち成仏できません。核家族という選択が、人生の土壇場で「失敗だったかな」と思わないよう、いずれ一人暮らしを強いられる団地族は団結しないといけないのでしょう。

思えば「袖すり合うも他生の縁」とか「遠くの親戚より近くの他人」など、昔の言い伝えのありがたさを東日本大震災で十二分に味わったはずですから。


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