[CML 048994] 沖縄戦と共謀罪

りょうこ baffydct at gmail.com
2017年 6月 27日 (火) 10:52:09 JST


沖縄戦での日本軍による残虐行為と住民へのスパイ視という組織的犯罪
<http://blog.livedoor.jp/mark22003/archives/51545914.html>
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沖縄戦では日本軍によるさまざまな残虐行為が住民に対してなされた。これは沖縄戦を語る際に欠かすことのできない大きな要素である。

直接に日本軍が手をくだしたケースだけでも、住民からの食糧強奪や軍へのガマの提供をしぶった者、軍民雑居の壕内で泣き叫ぶ乳幼児、米軍に投降した者や保護された者、米軍から食糧をもらった者、投降を促す米軍のビラを所持していた者、日本兵からの尋問に答えられなかった聾唖者や精神障害者など、実にさまざまな理由で日本軍による住民虐殺がおこなわれており、その多くはスパイなどという名目で処刑された。

その処刑のやり方も凄惨をきわめ、公開処刑のようなこともおこなわれた。
沖縄守備軍の坑道の入り口にスパイの嫌疑で30歳ぐらいの女性がつれてこられ、憲兵が「これから処刑する」と言い、近くの電柱に縛り付けた。そして、壕内にいた朝鮮人慰安婦4~5人に日の丸の鉢巻をしめさせ、手には40センチぐらいの銃剣を握らせて、憲兵の「次」、「次」という命令によってつぎつぎに刺突させた。次には縄を切って将校が軍刀を振り下ろして斬首し、それを見ていた兵隊や学徒隊員らが次々に女性に石を投げつけたという事例が「玉城村史」に記載されおり、投降しようとする住民を背後から射殺した事例や、米軍のビラを持っていただけのいたいけな少女をスパイとして捕らえ、拷問のうえに殺した事例など枚挙にいとまがない。

*敗北の責任を住民の「スパイ行為」に転嫁した日本軍!*
このような頻発する日本軍の残虐行為の根底には沖縄戦が「国体護持」、すなわち天皇制を守るための戦いとして位置づけられたことがある。
上官の命令は天皇の命令であり、住民に対しては下級兵士の言うことであっても「天皇の命令」として強制され、将兵が生き延びるためには住民から食糧や避難場所を奪うことも、当然のこととされた。

そして、天皇の軍隊である「無敵皇軍」が負けるはずもなく、劣勢に追い込まれていくのは住民の中にスパイがいるからだとされ、その責任は沖縄住民に転嫁された。
沖縄の住民がスパイをしているという話は軍司令部や部隊本部などで公然と語られ、軍内部でも組織的に通達されており、「沖縄の奴らはみなスパイだ」とさけぶ将兵が多かったことは数多くの証言集などにも残されている。

神の国である日本の皇軍が負けるはずはないと思い込んでいる者たちにとって、日本軍が負けるのは内部にスパイがいるからだとしか考えられず、理性を失って物事を客観的に冷静に見られなくなった日本軍の将兵たちはその矛先を沖縄住民へと向けていった。
沖縄戦における日本軍の残虐行為は一部の兵士による例外的な行為ではなく、絶対的な存在の天皇を担ぐ「皇軍」である日本軍そのものの体質が生み出したものであった。

*住民のいのちを救った良心的な日本兵がいたことについて!*
さて、沖縄戦における日本軍の姿勢は住民をできるだけ利用するが、その生命と安全は度外視し、いざという場合には米軍への投降は許さずに死を強制するというものであった。
また、日本軍の内部においても同様に将兵は投降を許されておらず、死が強制された。(自決や玉砕という名の自殺攻撃)

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だが、日本軍の将兵の中には追いつめられた極限の状態において、自分は死ぬしかないが、沖縄の民間人や学徒兵、朝鮮人軍夫までも道連れにするのは忍びないと考え、彼らには捕虜になっても生き延びるように諭し、その命を救い出したという人々もいた。
家族で自決しようと考えていた際に、壕の奥にいた日本兵に「あんたたち、アメリカ兵は住民をけっして殺しはしないから、安心して出て行きなさい」と手りゅう弾や銃を取り上げられ、壕から出ていって助かったという事例(糸満市における沖縄戦の体験記集)や、兵から避難民だけでも助かりなさいと投降をすすめられて助かった事例(沖縄県史)など、住民に対して投降をすすめた日本兵の存在も少なくない。

だが、これらの振る舞いも沖縄戦末期の南部戦線で日本軍の組織が事実上解体し、将兵たちが一人の人間としてふるまえるようになった時に、しかも自らは死を覚悟した状況の中での出来事にすぎず、日本軍の軍記が維持され、組織として機能している中でのこのような振る舞いはスパイや非国民として処刑の対象とされ、米軍に投降しようとする住民も日本軍に殺された。
それゆえ、このような良心的な日本軍将兵が存在したことが事実であったとしても、これを根拠に日本軍は良いことをしたという評価を下すことはできない。

日本軍という組織は人間としての良心や理性にもとづく判断や振る舞いをすべからく排除し、将兵や住民の犠牲のうえに戦争を遂行した組織であり、それが解体したのちにはじめて、一人ひとりの将兵や住民たちが自分の判断にもとづいて行動できるようになったにすぎないからだ。
また、日本軍のなかには人間的にもひどい将兵が多かったことも事実であり、将兵の人権や人間性を徹底的に抑圧し、人間の内側に潜む非人間性を促進助長したのが日本軍であった。

*スパイの汚名をきせられ沈黙させられた虐殺の犠牲者たち!*
さて、沖縄戦での日本軍による住民虐殺事件は各地で発生しているが、本格的な調査が十分なされているとは言いがたく、全容はいまだに明らかになっていない。
相当数の事例が判明しているが、それもいまだに氷山に一角にすぎないというのが現状である。
その理由はスパイという名目で処刑された犠牲者たちは生命を奪われただけではなく、スパイや非国民という汚名を貼り付けられて、人間としての尊厳さえも奪われてしまったからだ。
それゆえに遺族でさえもこれを世間に公表するのを憚るのである。

参考 沖縄戦が問うもの 林博史 大月書店

住民虐殺
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/29 17:29

米軍は初期から沖縄の一般住民を日本軍から救出する準備をしていました。

空からは「命を助けるビラ」がまかれ、スピ-カ-でも呼びかけましたが住民はなかなか出てこなかったのです。

住民は日本兵に監視され、「敵に投降する者はスパイとみなして射殺する」と脅かされていたからです。

両手を挙げて米軍に投降する住民や兵士は日本軍から狙撃されました。

また泣き叫ぶ子どもは絞め殺されました。

まるで日本軍は沖縄の住民を盾にして時間をかせいだ感じですが、

住民のスパイ視には国士隊という組織が一役買っていました。

住民虐殺の多くは闇に埋もれたまま不明ですが、明確に分かっているだけで40件以上、

犠牲者は200人以上です。

いくつかの例をあげてみます。

* 知念村の前城さん 名目 非協力分子

球部隊に陣地構築用の資材を納入、代金を請求に行ったが、資材を協力するのは当然として射殺された。

* 知念村の大城さん 名目 反軍的非国民

日本兵の泥棒の振る舞いを注意してその場で銃殺刑

* 知念村の与那城さん 名目 危険分子(スペイン語がわかるため)

南米移民からの帰国者で、避難小屋で斬冊された

* 久志村 名目 敵への投降

米軍の収容所にいた避難住民の女性40名が日本兵に連行され、手榴弾を投げられ何人かが即死。

* 本部 名目 スパイ容疑

耳が遠い校長がウロウロしていたが、スパイとみなされ射殺。

* 真壁村(糸満)真栄平 名目 反軍的非国民

6月21日頃、米軍の包囲が迫ってきた時、日本軍避難していた墓や洞窟から住民を追い出し、

命令に従わない者を射殺した。

被害者は100人以上。

* 大宣味村

住民役90名が米軍に保護されていたが、5月中頃山から降りてきた敗残日本兵は、

男数名を斬殺し、婦女子に手榴弾を投げ25名を殺害、15名に重傷を負わせた。

食料、毛布等は全て盗まれた。

* 国頭ではハワイ帰りの人が中学1年生位の孫を射殺された。

英語が話せる為。



[久米島・鹿山隊の虐殺]

久米島には海軍見張所があり、隊長は鹿山正海軍兵曹長だったが、そこでも26人の虐殺が行われた。

* 久米島郵便局・有線電話保守係の安里正二郎さんは米軍の捕虜になり、

その後米軍の使いとして投降勧告状を届けに来たところを殺された。

* 北原区長、警防班長等9名は、米軍上陸時捕虜になったが即日帰宅を許された。

2日後9名は鹿山隊に射殺された。

* 仲村渠さんは沖縄本島で捕虜になり、8月18日米軍とともに久米島にわたり、

戦争終了を伝えて歩いたが鹿山隊に捕まり、親子3人手榴弾で虐殺された(子どもは1歳)

* 朝鮮出身の谷川さんはスパイ容疑をかけられ8月末一家全員7人が日本刀で斬殺された。

合計26名が殺害されたと思われています。


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