[CML 048955] Re: 前川喜平氏の記者会見を見て

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2017年 6月 26日 (月) 01:15:04 JST


久下さん

くすのきです。
久下さんは多田賞選考委員の方と記憶していますので、ひとつ提案。
ノーベル賞&イグノーベル賞があったかと思いますが、前川氏にイグ多田賞を
贈呈してはいかがでしょうか?
(注・私はイグノーベル賞)のホントの意味を知りません)

すべての公務員は前川氏のような真摯な選択をすべきであるから、彼の証言は
公務員であれば、当然のこと。その当然のことをしない・できない官吏が多すぎ
必然の結果として前川氏が注目された、という皮肉を込めた「賞」はどうですか?

賞金を授与するのではなく、公務員は当然の義務なので、30万を贈与して
その場で30万を返金する義務を負う、などなど、皮肉を込めた笑えぬ世相の
年末の恒例行事にしたいものがあったらいいなあ、、、。

と、そんなことを思ってしまいました。
30余年も文部行政にいたこと自体、彼は国旗国歌強制の張本人でもあり、
決して赦されるべき官吏ではないのですが、、、、。
そんな皮肉を込めた「表彰?」パロディーはできないものか?、と思って
しまいました。





----- Original Message -----
Date: Sun, 25 Jun 2017 15:04:08 +0900
From: "久下格" <kuge_on_cml at aoisora.org>
To: cml at list.jca.apc.org
Subject: [CML 048951] 前川喜平氏の記者会見を見て


元国労組合員の久下です。IWJが流してくれた6月23日の前川前文科省次官の記者
会見を
見て、Facebook で公開した感想です。長文の投稿お許しください。
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● 個人の尊厳、国民主権 ●

 6月23日(2017/06/23)の前川喜平氏の会見はたくさんの人々に感銘をあたえ、ネッ
ト上でも様々な媒体が意見を表明しています。私にも触れたい点、書きたい点がたくさ
んあるのですが、ここでは前川氏が記者クラブの求めに応じて書いた「個人の尊厳、国
民主権」という言葉について書きたいと思います。
 「個人の尊厳」という言葉も「国民主権」という言葉も中学校で習ったように思いま
す。全ての個人がお互いを人間として尊重する「個人の尊厳」。「平和主義」「基本的
人権の尊重」とともに日本国憲法の三大原則の一つである「国民主権」。何となく皆が
、戦後日本ではあたりまえだと思っている原理、何もしなくても、空気のように私たち
の社会を規定し続ける原則だと、大半の人々が思っている原理です。しかし、実際には
そうではない。この二つの原則を、建前ではなく本当の意味で社会を律する原理として
確立するためには、国民(普段私は使わないのですが、ここではあえて「国民」)には
不断の努力が、あるときには自分自身の人生を賭けた行動すら必要となる。そのことを
前川氏は自らの行いによって私たちに示したと思うのです。

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 私は38年間、国家公務員をしていて、(中略)…仕事をする中で感じたのは「国家公
務員が自分を捨てて仕事をし ているのではないか」「滅私奉公のようなことをしてい
るのではないか」ということだ。それはいけないのではないか。国家公務員の仕事をし
ているとはいえ、 一人の人間として尊厳を持った存在ということを忘れないようにし
なければならない。
 自分の信念、思想、信条、良心はきちんと自分自身だけのものとして持っていなけれ
ばいけない。これが個人の尊厳ということを訴えた理由です。後輩の文科省職員に伝え
たい言葉です。
 「国民主権」もそうです。国家公務員として、全体の奉仕者として仕事をする一方で
、主権者の一人という国民の立場であるわけで、その立場でおかしいと 思ったことは
、何らかの形でこれはおかしいと言わなければならないのではないか。(中略)…一人の
個人であること、一人の国民であることを忘れないずに仕事をしてほ しい。これは後
輩の国家公務員に贈りたい。
https://mainichi.jp/articles/20170623/mog/00m/040/022000c
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 ここには、権力の中枢、官僚のトップにまで上り詰めた前川氏が、なぜ今回、公の場
で安倍政権の姿勢を批判する発言を始めたのか、そのおおもとにある考え方が示されて
いると思います。
 目の前で不正が行われているとき、それを正すことができずに目をつぶり、与えられ
た仕事をただ有能にこなすことで出世の階段を上がっていく、それでは「滅私奉公」で
はないか。人間の尊厳がないがしろにされているのではないか。いや、自分自身で人間
の尊厳をないがしろにしているのではないか。前川氏にとって「人間の尊厳」とは、「
個人の権利が侵されない」という受け身の権利ではなく、人が信念、思想、信条、良心
を持った一個の存在として能動的にふるまうことができるのかを問う、生き方の原理で
あると思います。省内で共有され、関係者すべてが存在を知っている文書がなかったこ
とにされ、関係者すべてが知っている官邸の関与がなかったことにされる。それが権力
の力で押し通される。それを黙って見過ごすしかない。そんな社会は「人間の尊厳」が
保証されている社会だとは言えません。
 国民主権にも同じような意味が込められています。目の前で「あったことがなかった
ことにされ」、首相による友人への巨額利益誘導の疑いの濃い事態が進行しているのに
、現に共有されている文書を政権がないことにしているのに、事実を公表できないとす
れば、それは主権を持った者の振る舞いであると言えるのか。権力者に臆して黙り通し
、自分の身の安全と自身の将来をはかるのは、主権を持った国民としての振る舞いでは
ない。国民主権という原理もまた、何もしないでも空気のように存在する「与えられた
権利」ではなく、一人一人が主権者として振る舞う努力を通して、本当のものにしてい
かねばならない、そうした権利として、前川氏はとらえていると思います。
 今、私たちは、こうした考えにもとづいて、権力の中枢と巨大マスコミが共謀した謀
略報道の脅しにも負けず、人生をかけて発言した前川氏を、なんとしても守り抜かねば
ならないと思います。

ここで負けたら…、
「やっぱり、権力に楯突いてもいいことはない」という結果になってしまったら…、

 人間の尊厳も国民主権も、もっと言えば、私たちが学校で習ってきた民主国家日本の
あり方は、あまりに空疎な建前になってしまう。いや、さらにもっと言えば、長く、あ
まりに空疎な建前になっていた、人間の尊厳、国民主権という原理、民主国家日本とい
う原理を、前川氏は自分自身の人生を賭けた行いによって、いきいきとした原理として
、公正、平等で民主的な社会を作るための原則として私たちの前に提示してくれたのだ
と言えます。
 今、問われているのは、私たち一人一人です。私たち一人一人が、人間の尊厳をかけ
て、主権の保持者としての責任をもって行動することができるのか。
 臨時国会を開催して全関係者の証人喚問を実施するために、加計学園問題の全容を解
明するために、みんなが自らの持ち場で一歩前に踏み出そうではありませんか。

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久下  格 
https://www.facebook.com/KUGE.Itaru
http://aoisora.org/



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