[CML 048380] シューナウの想い:あらゆる街づくりの原点 2012年10月14日 

りょうこ baffydct at gmail.com
2017年 6月 1日 (木) 12:00:41 JST


シューナウの想い:あらゆる街づくりの原点 2012年10月14日
http://www.cellcity.jp/document/Schoenau-towndevL.pdf
岩崎敬 1.”現実的な代替案”を実行するポジティブなドイツの市民運動
シェーナウ町に電力を供給している電力会社は、町との長期契約と引き替えに “町へ 100,000マルクの寄付”
をするという条件を提示していた。契約継続に反対する市民グ ループ:原子力のない未来のための親の会 は、これに対抗して市民が資金を集め自ら町
へ寄付することで、町と電力会社との契約解消への一歩とした経緯は、とても印象的で す。
一度は電力会社に変革を求めたものの拒否されました。その後は、理想的な建前論
や反対意見を言うだけでなく、現実的な代替策を提案・計画し自らその事業者にとって変 わる市民活動(市民ビジネス)は、とてもポジ ティブです。
課題の理解、 専門知識、 周囲の説 得、資金確保、許認可など、どれ一つをとっても 厳しいハードルがありますが、一つ一つクリアし ていく過程は見事です。
それだけ、チェルノブイリ事故から学んだ危 機感を我が身のモノとしていたこと、つまりリス クの共有がしっかりとしていたと言えます。 #シェーナウは
”黒い森” にある人口2382人の風光明媚な小さな町
2.小さな一歩だから実現した:”大きな単一システム”からの変革 たとえドイツであっても、始めから州(ドイツは連邦国家)の制度として実行するこ
とはとても難しかったでしょう。人口2,382人の小さな町の計画であったことが、成功へ の大事な要素の一つと言えます。
小さいということは、問題も解りやすく、成果も具体 的に確認できます、このことは活動を持続させることにつながったとも言えます。
14 Oct. 2012 Kei Iwasaki kiws at cellcity.jp
さらに付け加えるなら、小さなシステムであることは、トラブルが波及するリスクも
少なくなります。大きな一つのシステムより、小さな多くのシステムが支え合うシステム への変革でもあったのです。
3.曖昧にしないセンスと、親しみが持てるコミュニケーションセンス
“イエス/ノー”を明確に問う住民投票、それに答えるための具体的な情報が市民に行 き届いていたと言えます。
決定するための投票であるので「どちらとも言えない」「わか らない」という解答は存在しません。つまり、曖昧な情報(判断材料)を排除することの
重要さを感じます。 曖昧な情報のもとに判断を求めている限り、曖昧な結果しか得られません。曖昧なま
まの議論は、議論が積み上がらずいつまで経っても結論はでません。否決された側は納得
出来ず、議論も蒸し返すことになりかねません。シューナウでは、しっかりとした情報に
基づいた議論と民主的な手続きが積み上げられ、納得できる結果を得たのです。
一方、妥協しない“ぶれない運動”のなか、そのコミュニケーションセンスは、親しみ
を感じ解りやすいものでした。たとえば、節電へのモティベーションを高める”節電コン
テスト”、子供も気になるイベントや歌、それらのデザインは、街づくりのコミュニケー ションセンスとして印象深く 安っぽくないセンスです。
 14 Oct. 2012 Kei Iwasaki kiws at cellcity.jp
4.曖昧と妥協の災害復興
ご覧になった多くの方は、3.11福島原理力発電所事故での東電と国の行動や発言を思
い出いだしたことと思います。映画にでてきた電力会社と議会・行政との関係は、酷似し
ています。日本の”原子力村”に相当するものがドイツにもあったわけです。
原子力発電所の開発と同じようなプロセスが 3.11震災復興の中でも起きています。
国が掲げている東北の海岸線を7m~15mの堤防をめぐらし津波から守ろうという計画で す。
住民に対して、計画の妥当性を問う場面で様々な選択肢を排除し、復興の始めに巨 大堤防ありきで議論が進み今に至っています。
計画されている堤防の効果評価を始め、 様々な科学的現実や技術的課題、想定される市民生活の対応などを曖昧にしたまま市民に 判断を委ね、決断してしまう現実
は、シューナウのプロセスと大き く異なります。
この映画からは、市民が自ら のリスクがどのようなモノかを、 しっかりと認識することの重要さ を改めて感じました。
#写真は岩手件佂石市唐丹地区:高さ12.5mの堤防はあっけなく転倒破壊した
5.認知不能による災害・事故:曖昧さが深刻な事故や災害を創り出す 想定不能(特定不可能)な自然災害や原子力事故の波及災害など、人の智力ではいか
んともしがたい限界が存在します。 何が可能で何が不可能であるかを認知しない限り、 有効な対策を得ることはできません。
それを無視した災害・事故を、認知不能による災 害と呼んでもよいでしょう。
 14 Oct. 2012 Kei Iwasaki kiws at cellcity.jp
巨大災害を考え対処する視点には、科学的知見、経済的知見、技術的知見、政治的判
断、市民感情がありますが、それらが錯綜してきている言えます。自然現象はだれも覆す
ことはできません。それを説明する科学的知見の基に、技術と経済の視点から可能な手段
を見いだし、市民意識や政治的判断により選択する、という明確な優先順位に基づく段階 的な判断が必要です。
しかし残念ながらこれらの段階的であるべき議論が錯綜し、曖昧な まま結論づけてしまうことが多々見受けられます。放射能被曝許容度を変更して避難区域
を設定すること、15m防潮堤の効果が曖昧なまま復興計画を策定すること、直接被害の
数値予想(波及被害を加味しない)による減災対策などは、実態を認知しない検討の例で
す。自然の摂理を無視するような技術的対応、経済的価値が自然の摂理に優先する社会的
決定、そのような経過を曖昧に受け入れる社会など、予想されるリスクを認知しないま
ま、様々な社会決定がなされている不可解さを、この映画は感じさせてくれます。
6. 安全環境を得るための、根本的現実:自然に対して曖昧な態度はあり得ない
安全とはなんだろうか、持続とは何だろう、環境に優しいとは? 考えてみるとじつ に曖昧な“言葉”で議論が進んでいると思いませんか?
そもそも”安全”とは相対的なもの で絶対安全は存在しません。さらに、想定された災害に基づくプログラム通りに、次の災
害が起き、準備された通りに行動する確率は極めて低い、つまり想定外は必然的です。
そもそも技術開発は、特定の仕様=災害スペックに基づいているので、見方によって は自然に対する掛けに近いとも言えます。
検討すべき事は賭けをしないですむ根本的な方 法です。 さらに、安全 の要件は個人個人で異な ります。同じ場所にいて も、体力や地域環境の認
識、家族などの様子、極 端に言うとその時にはい ている靴によっても、生 死の分かれ目となるかも しれません。つまり減災 プログラムは個人によっ
て異なり、一元的に決め られません。 滞在して いる環境の潜在的な安全
 14 Oct. 2012 Kei Iwasaki kiws at cellcity.jp
自然との同化 自然を受け入れるプログラム
地形・地勢を活用する潜在的に安全な土地利用 自立と創造を実現する自己組織化コミュニティ 安 全 が 持 続 す る 街
安全が安心を造り持続コミュニティを実現する 防災ハードインフラ 防潮堤:技術の限界、信頼性の限界 防災ソフト
避難計画などの限界:避難できない人、間に合わない人、しない人、それを助けに行く人
*観光客、外国人、高齢者、障害者、病人、乳幼児、妊婦
高齢者の避難困難な状況が著しい(右は岩手県) 持続・自立するプログラム
:最低限のエネルギー(水、通信)、次世代インフラ(スマートグリッド、資源循環) 孤立させない支え合うプログラム
:学習コミュニティ、心のケア、地域連携、日常的な交流人口との関わり 地域生産プログラム(新地場産業)
:ウエルネスツーリズム・ライフ(食・健康、安心コミュニティ)、一次資源、風景資源の活用 自然と立ち向かうプログラム ?
・「迎えに降りなくても良い」安全な土地に住む ・「逃げ場を失わない」より高いところへつながる避難ルート 根本対応 補足対応 罹災者 災害前人口
7-18 才 19-64 才
65 才以上 性と、自らの対応能力を認知し、個々人のリスクを知ることから安全プログラムの検討が
始まります。医療のQOLと同様安全のQOLが必要です。そして、リスクを認知した個々
人、そのコミュニティは、安全へのプログラムを具体的に検討する基盤となるのです。こ
れを安全プログラムの自己組織化と言い、安全コミュニティをつくる基本となります。三
陸沿岸地域で古くから言われている”てんでんこ”は、最も小さなスケールの安全プログラ
ムです。技術的な装置、避難訓練などは、あくまで根本的な安全環境を補足するものと考 えておくことが大事です。 #三陸地域の安全対応の概念
14 Oct. 2012 Kei Iwasaki kiws at cellcity.jp


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