[CML 049380] 福島県飯館いいだて村のまでいの力

りょうこ baffydct at gmail.com
2017年 7月 8日 (土) 00:40:43 JST


http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/44eb4d4b34e47cae12914681d74f56a8

私が、原発問題で一番憤るのは「人権侵害」「コミュニティの分断」。
それまで丁寧に作られて来た人の信頼、絆、築かれた一つ一つが、「高濃度汚染地域」になった途端に崩れてしまう。

いや、崩れはしないのかもしれないけれど、この「絆」が「速やかに避難」の足かせになることはあると思う。

「原発事故さえなければ」…悔しくて涙が出ます。

どうして飯舘村の人たちが、地元を離れたくないか、こちらを読んでもらえたら分かります。

とても素晴らしい地域コミュニティが成り立っていた飯舘村は、この震災に負けずに乗り越えようとしている。
でも…「応援してるよ」と言えない自分がいる…。

みなさん、どう思いますか?

以下、MLの情報を(抜粋して)転載します。

……………

タイトル「までいの力」の「までい」とは、「真手(まて)」という古語が語源で、「手間ひま惜しまず」「丁寧にこころを込めて」「つつましく」という意味。
今風にいえば、エコ・もったいない・節約、思いやりの心・人へのやさしさ、です。

あれだけの汚染があると分かったのに、なぜこの村の人たちがすぐに自主避難しないのか・・・不思議に思っていましたがこれで納得です。

この本の販売収益は飯舘村復興のために役立てられるそうです。

[SEEDS出版,飯舘村]     までいの力
SEEDS出版,飯舘村
SEEDS出版


参考までに、震災後に書かれた村長の「まえがき」を添付しておきます。

具体的な取り組みの数々には目を見張るものが満載。

◯男性職員に育児休暇を義務付けた「パパクォーター制度」。
休暇取得者は必ず「パパの子育て日誌」と配偶者である妻の感想文を提出する。

◯村営のかわいい本屋さん「ほんの森いいたて」。
約1万5千冊という品揃え。
テーブルや椅子も設置され、座り読みも歓迎の本屋さん。

◯「読まない絵本を送ってください」と全国に呼びかけ「絵本リレー」。
呼びかけ10日間で1万冊!

◯「小さい村で生きているからこそ、井の中の蛙ではダメ。大きな視野で物事が見えるようになってほしい」と、小学校6年生を対象に「沖縄でのまでいの旅」や、中学3年生が福島大学の大講堂で教授の講義を受ける「一日体験入学」などを実施。

◯ラオスの現状を知った子どもたちが討論し、「ラオスに学校をつくろう」と発案。
「ふるさと納税」のお金を「ラオスに学校を作ろう!プロジェクト」に。
子どもたちの相互交流も図っていく予定だった。

◯給食は村内産食材100%。
小さい村なので生産者のこともみんな知っている。
そして、小学生は年に2回、自分で手づくり弁当を作る日がある!

◯ないならつくっちゃおう!
「村らしい」観光名所。「愛」のある俳句を全国に募り、句碑に。
森に囲まれた癒やしの空間「あいの沢」をつくった。

◯村の卓球大会「までいライフ 思いやりピンポンラリー大会」
相手を倒すのではなく、相手と気持ちを一つにして何回ラリーが続けれられるかを競う。

◯中学生が村長を交えて体育館の床に車座になって語り合う「村長さんと語る会」で、「雨が降ると泥だらけになる学校の前庭をきれいにしたい」という夢が持ち上がった。
その夢は議会で承認を得て実行されることに。
生徒たちが実行委員会をつくり、全校生徒と村民からデザイン案を集め、生徒たちも工事に関わりながら完成した。

◯飯舘村の昔ながらの暮らしを再現しつつ、環境に負荷をかけない最先端の技術を散りばめて造ったエコハウス「までいな家」。
宿泊もできる。

◯公用車の電気自動車、「乗ってみねぇとわがんねぇべ」と、住民や「までいな家」に宿泊した人に週末に貸出。

◯村唯一の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」では、小さな人数に分かれて「家族」のように暮らしている。
「家」の中心にあるのは大きなソファが置かれたみんなの共有スペース。
「家族」でひとつの食卓を囲み、お風呂も家の中にある。

◯村に嫁いできたお嫁さんが、花のヨーロッパ研修「若妻の翼」。
これにより生まれたのが女性起業家たち・・・農業体験もできる民宿を始めた人、どぶろくの許可を取得し農業レストランを始めた人、山を開拓し喫茶店をつくった人、オリジナルのじゃがいも品種「イータテベイク」を開発した人、飯舘村の米粉をつかったパンの製造を始めた人、自然農法とレストランを始めた人・・・村には生き生きと輝く女性たちがいる。

◯夜な夜な若者が集まって語り合う「夢想塾」。
ルールを作らないことがルール。
何かやりたいことがあれば「この指と~まれ!」と言い出しっぺが声をかける。
賛同する人はその指に止まる。いやならその指に止まらない、そして邪魔しない。

◯「夢想塾」から生まれたアイデアのひとつが、新年早々にみんなの前で大ボラを大声で叫ぶ「初夢拾う(披露)会」。
飛び出したホラの中に「若妻の翼」があった。


・・・震災後に書かれた村長の「まえがき」・・・

まさかこのような中で「までいの力」の発刊になろうとは。
今、飯舘村は村誕生以来の危機に瀕している。
いわゆる原発事故という目に見えない災害との戦いを強いられているのだ。
不安と憤りは計り知れない。
しかし、飯舘村は負けてはいられない。

私たちの先人は、あの第2次世界大戦後の荒廃の中から持ち前の勤勉さと努力を持って、今の日本や飯舘村を作って手渡してくれた。
ここで私たちは、この難局に対し力を合わせ、歯をくいしばり、この村をしっかりと作って次の世代にバトンタッチする役目がある。

幸い、多くの住民や職員などが、なんらひるむことなく頑張ってくれている。
多くの方々から応援のメッセージや善意が村に届けられている。
正にこれが、わが村が進めてきた「までいライフ」の実践の姿であろう。

「までいライフの飯舘村」「飯舘村のまでいライフ」今や多くの方からささやかれる。
私たちの村が進めている「までいライフ」の1つの大きなメッセージは、暮らし方を少し変えてみようではないかということだ。
戦後、一貫して大量生産、大量消費、大量廃棄によって作られてきた今日の日本経済の中に少しスピードをゆるめてみようと。
走っている人は歩く、歩いている人は立ち止まる、立ち止まっている人はしゃがんでみる。
そうすると足元の花の美しさが見えてくるような気がする。

もう1つの大きなメッセージは、人と人のつながりを深めようということだ。
他の国に誇れる日本人の国民性は、「トラさんクマさん醤油貸してよ、味噌なくなったのよ」の関係であったはずだ。
戦後一貫して効率一辺倒、スピーディーにお金が全ての全てという価値観で進めてきた結果、人と人との関係が希薄になり「自分さえ良ければ病」になってしまった。

「お互い様」のまでいの心が必ずや新しい日本を再生する基礎になると思う。

私たちの「までい」の発信は、ささやかなものであるが、必ずや住みやすい地域をつくり、地方の生き残り策になるものと確信している。

この「までいの力」がその役を十分果たしてくれるものと大いに期待してやまない。

飯舘村 村長 菅野典雄(2011.3.28)


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