[CML 049338] M&R研究会の告知。

服部 一郎 kamitotomoni at yahoo.co.jp
2017年 7月 7日 (金) 07:54:47 JST


服部です。下記研究会の案内です。ぜひご参加ください。
なお今回の研究会をもってM&R(マルクシズムアンドラディカリズム)研究会は解散します。

★2017年7月8日(土) 14時〜17時 M&R研公開フォーラム

【テーマ】世界のこわれかた/こわしかた

【論者】栗原康さん(東北芸術大学)

【subject】「仕事」のこわれかた

【参考文献】『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバ・ブックス)『現代暴力論』(角川新書)

【場所】専修大学神田校舎7号館7階773教室(http://www.senshu-u.ac.jp/) JR中央総武線水道橋駅、地下鉄神保町駅近く

M&R研究会第23期フォーラム
『現代暴力論−「あばれる力を取り戻す」』の栗原康さんを呼ぶ
高橋潤

M&R研第23期は「世界のこわれかた」というテーマで、7月8日(土曜日)、東北芸術大学の栗原康さんをお招きする。1979年生まれの栗原氏の専門はアナキズムであり、『現代暴力論』『はちらかないでたらふく食べたい』『学生に賃金を』などで、独特の文体を表出している。
私達がまず引きつけられたのは『現代棒暴力論』(2015年)「はじめに」における著者が参加した反原発デモに対する率直な違和感である。「そのデモにしても、いつのまにか秩序の動員力にのみこまれていて、一つの目的が設定されてしまっている」。警察と協調する主催者、「ちくしょう」。そしてかれは「闘え/闘いは生の花である/実り多き生の花である」という大杉栄の詩を置いて謂う。「大杉によれば、生きるということは暴力をふるうということだ。あばれたい。おもうぞんぶん生きてみたい。…あばかれゆく力、暴力だ」。支配のための暴力をしりぞける暴力である。
かつて暴力に揉まれ、「武装」にときめきを感じていた私など1970年台までを知る世代にとって栗原氏の出現は、出るべきものがやっと出たという感じで、喝采を贈りたいものがある。
栗原氏の出発点は大杉栄研究である。「生きたいとおもうことは、暴力をふるうのとおなじことだ」という著者の原点は大杉のいう「生の拡充」。個人の生の義における自我である。だが著者は自我といってもほとんど他人の自我であり、それを「棄脱」するのが「成長」であるとする大杉の叙述を引く。そうしてそれがさらに「労働の棄脱」に進展して、労働運動に打ち込んでいく大杉や大正労働運動の姿を紹介する。それは打ち壊しを含む自己目的としてのストライキの姿であり、「賃上げを上回るスト資金」というマルクスの労働運動への共鳴とも通じるものがある。
一方支配のための暴力については、ロベルト・ユングの『原子力帝国』を引き「1.負債による労務管理/2.原子力生活の全面化/3.対テロ戦争の日常化」を挙げ、リスキーな高度技術とそれをかく乱する要素の排除=啓蒙の弁証法−つまり管理社会全般の批判を含意しているように思われる。それは反原連などにみられるシングルイシューへの批判ともとれるが、著者自ら強調するのは「負債」という観点である。これが「生の負債からの解放宣言」を副題とする『はたらかないで、たらふく食べたい』(2015年)における奨学金、年金、結婚、移民、山谷とのかかわりのなかでの著者の体験ともつながっていく。
なお、本フォーラムのサブジェクトは「仕事のこわれかた」だが、M&R研運営会議においてはテーマの「こわれかた」に対し「こわしかた」を付記し、サブジェクトも「政治のこわしかた」としたいという意見もあったことを付記しておきたい。「価値秩序」なるものの「崩壊」の是非はともかく、栗原氏の専門であるアナキズム的問題にひきつければ「国家の廃絶」と関係における「労働の自由」(M・シュテルナー)か「労働の廃絶」(マルクス)かという論争が想起されるのだが、こうした観点の違いが反映されているかもしれない。もちろんシュテルナーや大杉の時代における「労働の自由」の主体は職人であって、現代の非正規労働者の現存に適用できないことは言うまでもない。


CML メーリングリストの案内