[CML 046328] 「人生は帰らざる河なのだ」−−映画「帰らざる河」批評、わが賛歌。塩見孝也 2017 年 01 月 07 日

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2017年 1月 7日 (土) 22:28:40 JST


●僕は、前映画批評・「女群、西部へ」で、僕が惹かれている西部劇は三つあることを
表明しておきました。残りの映画として、「帰らざる河」と「大いなる勇者」を挙げま
した。この三つの西部劇は、なんとしても批評しようと天蚕糸(てぐす)をひねって待
っていたのです。すでに「大いなる勇者」の方は、録画済みで、この「帰らざる河」に
続いて批評すべく準備しています。 
 「帰らざる河」はいろいろ手を尽くし、八方探していたのですが、なかなか見つかり
ません。ところが、12月20日、BS3チャンネル・プレミアムシネマでリバイバル
上映されることを知りました。僕は天にも昇る気分で、録画し、今回批評したのです。
 
 気になる映画の批評は、自分を分からせてくれ、かつ癒してくれます。 
●名画と言われるものは、人の心に突き刺さる軸芯となる詩情を探り当て、それをシン
プルに凝集させ、歌い上げる。オットー・プレミンジャー監督は原作者(フレイス・ラ
ンツ)のモチーフを十分に汲み取り、手練の脚本家、カメラ映像家、音楽家をスタッフ
化し、綜合芸術としての映画を作り出してゆく。又こういう陣容作りと並行してか、あ
るいは原作の映画化を決意したもっと最初の段階で、しかるべき俳優が誰かを、イメー
ジしつつ選定してゆく。  
 この選定に合わせ、脚本、カメラ、音楽構想を上記の段階で、整除しながら作ってゆ
くのであろう。監督は、映画主題歌の出来が、その映画の興廃を決めるであろうことを
知っていたであろう。 こうして、すでに酒場の歌手のケイ(マリリン・モンロー)、
開拓農民の父子はロバート・ミッチャム、9歳の息子マ−クは子役トミー・レティブと
決まってゆく。イカサマの賭博師ハリーはロリー・キャールハンとなる。 
●「帰らざる河」の主要なロケ地は、カナダ領、北部ロッキー山脈の裾野のアルバータ
州、サスカチ湾州に跨るバンフ国立公園である。ここにアサヴィスカ河やボウ滝がある
。アメリカ領内のポー河、スネーク川も使われたが、副次的なもののようだ。 
 何故、カナダ領、カナディアン・ロッキーの河が選定されたのだろうか?カナダ・ア
ルバータ州、サスカチ湾州の川は峻厳な北ロッキーの連山が連なる峡谷を流れ下る。こ
こはすでに寒冷地帯であり、深い自然を宿す。7大陸の河はいずれも巨大な生命力を有
しているが、それぞれの個性があると思う。カナディアン・ロッキーの峡谷を流れ下る
これらの河は、縹渺とし、無窮性を示すが、その特性は何よりも<静けさ>に凝集して
いると言えるのではなかろうか? 
 この静寂性は、自然の深さに呼応して生まれ、誰おもが感じる、ある種の<神韻性>
を有しているように思われる。 
 映画は冒頭で、カメラは北ロッキーの連山とその峡谷、その峡谷を縫って流れる「帰
らざる河」の景観を一望の下に映し出す。こういう映像は、カラーでないと映画になら
ない。 
 そして、この雄大な自然に育まれつつも、開拓農民、マットは一人、斧を振るい、樹
を伐採し、いくばくかでも開墾地を広げようと労働に勤しんでいる。もうすぐ、一人息
子がやってくることも彼の励みなっている。 
 監督はこの冒頭のシーンで、「あなたがこれから見ようとする映画は、この様な自然
に育まれ、他方でこの自然と闘って生きぬかんとする開拓農民の親子と生活のために酒
場を渡り歩き、歌を売って生き抜き、回生しようとしている一人のオンナの物語ですよ
」と予告したのであろう。 
● 映画主題歌・「帰らざる河」は、素晴らしい。この主題歌があってこそ、この映画
は画龍点晴を得るのである。名画は、常に人生を凝縮するような、それゆえに人々の音
感に触れ、自然と口ずまされれる様な主題歌を生み出してゆく。シネマ・ミュージック
は、一つの芸術分野として、堂々たる価値を持っているのだ。 
 この名曲が映画の節目、節目で流れる。これは、男の専門歌手が歌う。いい謡(うた
い)であるが、モンローが、最後に、一度だけ情感を込めて謡った「River of
 no retern] には敵わない。「帰らざる河」とは、二度と帰って行くこと
ができない激しい河、この河の流れに、人は、過ちも正しいと思われる生き様も、すべ
てない交ぜにして、投げ込み、この流れに人生を託し、下ってゆく以外にはない、と。
 
 「帰らざる河」は、流れの激烈さ表している、と同時に、人の人生を意味する。モン
ローは素晴らしい歌手でもあったのでは?彼女は、大半、酒場で、「1ドル銀貨」「登
記」など、やや蓮っ葉な酒場用の歌を謡う。しかし、最後に歌う「帰らざる河」は一番
情感が籠もり、詩心に充ちて、人の心をを撃つ。これまで、愛したハリーは死んでしま
い、今は遠くに逝ってしまった。そして、今、ケイは難行苦行の河下りを通じて、ハリ
ーとの愛に決着をつけ、自分がマットら父子を愛していることを知っている女である。
がそれは、女のプライドに掛けて、自分の口からは言えず、別れを告げざるを得ないの
である。 
 筏の河下りを闘うGパン姿のモンローは、凛々しい限りの勝気で、それでいてしっと
りした西部女を演じる。彼女は、子供の頃歌った「四季の移ろい」をギターで奏でつつ
、マイクに歌って聞かせる。これは、酒場での歌とはまったく違う、少女時代に歌った
、可愛いらしい童話である。 
 ケイは言う。「私、河下りで鍛えられタフになったのよ」と自分の境地を語る。マリ
リンは、この映画作りを担う過程で、実生活でも、多大な心境の変化をなし、“セック
ス・シンボル・スター”というハリウッド資本が作り出した逸名から脱却しようとして
いるのである。しかし、それは、無念にも果たせず、逆に、この逸名に溺れ、ケネディ
ー兄弟と浮名を流したりし、36歳の若さで1962年、自殺してしまう。 
 彼女は、ハリウッド資本に利用されつくし、使い捨てになったのだ。アクトレスが大
成するとはどんなことであろうか?果たして大成することなんてあるのだろうか?僕は
バーグマンやグレース・ケリー、リズ・テーラーを振り返る。 
 彼女は、非常に度胸もある、賢い女性であった。であるが故にこのハリウッドの戦略
から脱出不能を悟るや否や、“狂”に徹し、華々しく散っていたのだろう。彼女こそ、
悲劇の大女優といわれるにふさわしいのである。 

 誰でもが口ずさむ、この歌のさわりの部分を紹介し、僕流の訳をつけてみます。 
Tere isu a ribver calld the river of No
 retern。 Somtimes its peaseful and some
times wild and free 
(帰らざる河と呼ばれる河がありました。時には穏やかで時には、激しく荒れ、傍若無
人。) 
Love is a traveller on the rever of no 
retern.Swept on forever to be lost,in t
he stormy sea 
(愛はこの帰らざる河に乗って下る旅人。最後は、荒れた大海に、飲み込まれ、いつも
いつも永遠に消えて行く。) 
 ともあれ、この映画への出演時、モンローはこれまでにないほど、活き活きとしてい
たことは確かであるし、映画ファンは、モンローが始めて西部劇に出演する、そして謡
うということで、全世界で、又日本でもしきりに噂になっていた、のを思い出す。 
● 映画は、二種類の動機から成り立っている。ひとつは、対自然との闘い、(ここに
、先住 
民との闘いも含ませます)。そして、もう一つはイカサマ賭博師、ハリーの不意打ちの
暴行による銃と馬泥棒の行為をどう見るか、これを是と見るか、非と見るか、許すか、
どの程度許すかにおけるマットとケイの対立という動機です。この二種類の動機のうち
前者は、3人が無事、目的地のカウンシル・シティにたどり着いたことで消失してしま
います。しかし、後者の動機は、逆に激化して行き、殺し合いへと発展してゆくます。
決着をつけない限り、マット、ハリー、ケイ、マイクの4人は身動きがとれず、前に進
んで行けないからである。そして、決着は、意外な展開を見せるが、最終チャプターで
、身を退かんとするするケイに対して、新しい家族を出発させようとするマットの提案
がなされ、ケイが、それを受け容れてゆくこととなる。3人の対自然との闘いでの共同
・協同・協働性が、この正しい最終決着を、すでに準備していたからである。すべての
チャプターは、この二種類の動機が絡み合って4人の行動と意識の変化を規定して行き
ますが、この二つの動機をしっかりと押さえておけば、各チャプターの展開は、それほ
ど複雑ではなく、むしろシンプルな弁証法的展開であることが分かる。 
 先住民との闘いを対自然との闘いの部分に監督も僕も含ませましたが、それは、以下
の様な謂いを踏まえてのことである。カリフォール二ヤなどでの金鉱の発見、<欲ボケ
(マットの批判的な言説)>になった人々が、狂気をはらんでゴールド・ラッシュし、
先住民の平和的な生活環境を壊していったことがしっかりと押さえられておくべき。雑
貨屋の親父は、「狂気の一攫千金を狙う白人のラッシュ、それを追っての先住民の白人
襲撃の頻発する殺しの行動」の悪循環について、「一体、今の時代はどうなっているの
だ」と慨嘆する。これが、当時の時代性であった。この構造は、今でもアメリカで続い
ています。 
● あらすじをチャプターを追いつつ紹介して行きます。既に見ている人には、読むに
面倒ですが、若干丁寧に辿ってみます。 
 ・マットは親友を守るために、その時の事情で、背後から撃たざるを得なかった。刑
務所暮しの間に、最愛の妻は、一人息子を残し死んでしまう。「進む道に迷った時は、
振り出しに戻って再出発するのが一番良い」「自分にとって<振り出し>とは開拓者農
民である」と息子に戒懐する。マットはこう思い定め、ゴールド・ラッシュには目もく
れず、あるいは、先住民の襲撃にも物怖じせず、せっせと開墾に励みつつ、出獄後、一
人息子を呼び寄せるのである。ロバート・ミッチャムは、朴訥だが堅実で、逞しくて、
英知ある西部男、マットをどっしりと演じている。この風格は「眼下の敵」、ドイツ・
Uボートの艦長、クルト・ユールゲンスと張り合う駆逐艦長の演技に引き継がれていま
す。9歳の息子マ−クを演じる子役トミー・レティブは、マーク、ケイ、ハリーを繋ぐ
重要な役どころであり、鑑賞者の疑問、質問を解いてゆく、もっとも純で、計算なしの
隠れた先導者といえる。 
 ・ケイは生きるために酒場の歌手となった。イカサマ・賭博師ハリー(ロリー・キャ
ールハン)と恋人関係、二人は結婚しようとしている。 
 ハリーは馬と銃をマットから不意打ちで強奪し、カウンシル・シティーの鉱山の登記
を図らんとする。ケイは、ハリーが傷つけたマットを看病しようと残ることを提案する
。ハリーは承認し、登記したらすぐ帰ってくると約束し、一人で出立(しゅったつ)す
る。 
 ・ 先住民が襲撃してきて、無防備ゆえに、家を焼き払われ、遭難の可能性が高いに
もかかわらず、筏で河下りする以外に延命の方策はなく、3人はそうしてゆく。 
 ・ 最初から、難所。第一の難所。なぜ、この河が「帰らざる河」といわれる由縁が
示されるほどの急流、激流である。マットとケイで、舵兼櫂の二丁櫓を操る。ケイが、
疲労、飢え、寒さ、心労でダウン。洞窟で休養。マットはケイをマッサージしたりして
、優しく労わり、看病する。ケイは、マットを見直してゆく。 
 ・ ケイは、ハリーについて、マットがどう考えているかを問い、許してやって欲し
い、と頼む。マットは、応じられない、とにべなく、対応する。自棄(やけ)になって
、ケイは筏を流そうとする。マットは怒る。 
 二人の間には、ハリーの馬・銃、暴行行為をどうするか、での対立が続いているので
ある。そこには、マットのケイに対する、流れ者の歌手という予断と偏見、軽蔑心も手
伝っている。息子マークはハリー許そうとするのだが。 
 論争は嵩じて行く中で、ケイは、マットが人殺しで、−−それも背後から撃っての−
−監獄にいたことを暴露する。それをマークが聴いてしまう。息子は、父親に不信感を
持つ。 
 ケイとマークの関係はケイとマットの関係とは異なり、素直に分かり合っており、二
人には、母子、年の離れた姉と弟のような親密の関係が出来ている。 
 ・ 筏で河下り。二匹のつがいの泳いでいる鹿を見つけ、投げ縄で捕獲する。食料問
題はこれで解決。疲労困憊から回復したケイは、河で行水し、元気を取りもどす。ケイ
はこの過程でマットの立場も理解できるようになり、好意を抱く。その尊敬心をマット
に伝える。 
 マットの方は、率直なケイの好意表明が理解できず、オトコのムラムラが湧き、強引
にキスをし、ねじ倒そうとする。ケイは必死で抵抗する。 
 その時、事件が発生する。焼ける肉のにおいをかいでピューマ(アメリカ豹)が襲来
し、二人の男も寄ってくる。二人の男は、ハリーのいかさま博打で金鉱を奪われかかっ
て、彼を追ってきた来た連中である。 
 マットとピューマとの闘争。二人の男の一人が、ピューマを射殺し、マットを助ける
。話し合う過程で、二人の素性もわかる。もう一人の男が、ケイに、「一緒に行かない
か」と誘うが、ケイは、それを「いくら危険でも、マット達と筏行を共にする」ときっ
ぱりと宣言する。その男が、マットを襲おうとするが、逆にマットによって押さえこま
れ、銃と弾丸を手渡さざるを得なくなり、宿営地から、追放される。 
 ・再び河下り。次なる事件は先住民の襲来である。激しい戦闘となるが、今度は銃が
あり、善戦し、寄せ付けない。弾が切れ、3人の先住民が泳いで筏に乗り込んでくる。
筏上で格闘し、追い落としに成功する。 
 ・ 一難去って又一難。今度は、滝のような段差を持った、この河随一の激流に筏は
突っ込む。  
 これが、ボー滝である。マットは、筏から振り落とされるが、舵にへばりつく。その
間、ケイは一人で筏を操縦する。こうした激闘の後、3人は無事に、この難所を乗り切
ってゆく。河は穏やかな流れに変わってゆく。その向こうにカウンシル・シティーが見
えてくる。上陸だ。 
 ・ ケイは、何とかハリーを謝らせようと、マットとハリーの会談の前に自分がハリ
ーに会うことを提案する。マットは一応、それを承認する。ハリーは、いい加減で、あ
れこれ言い訳するが、とにかく会談することだけは受け容れる。 
 会談の際、ハリーは隠し持った拳銃で、丸腰のマットをいきなり撃とうとするが、ケ
イが、すがりつくことで撃ち損じる。さらに、迫って撃とうとする。マットは絶体絶命
の危機に陥る。 
 ・ しかし、ハリーはその前に、背後で店にいて、銃を持っていたマークによって射
殺される。マークは、父マットを守るため背後から撃たざるを得なかったのだ。そのこ
とで、父が親友を守るために背後から撃たざるを得なかった事情も了解することとなる
。 
 ・ 困ったのはケイの方である。壊れかかってはいたが、一応恋人であったそのハリ
ーは死んでしまった。さりとて、河くだりの激闘をともにし、尊敬し、愛情を感じ、離
れがたくなっていたにもかかわらず、マットやマークには、自分から、その気持ちを言
い出すわけには行かない。結局、ケイは、酒場の歌手に舞い戻ってしか生きて行けない
と悟る。そして、酒場で歌うのである。恋人は「帰らざる河」のように、引き戻すこと
もできず、遠くへと逝ってしまった。自分もまた、「帰らざる河」で、やっと見つけ、
手に掛ければ掛けられるように近しくなった、親子と新たに家族を作り、再出発するこ
とをあきらめ、流れて行く以外にない、と。 
 このケイ(モンロー)の「リバー オブ ノー・リターン」の謡(うたい)には、悠
久な川の流れに託した、自分の人生の嘆きがこめられていた。最高の哀切さ、詩心が込
められ、酒場のオトコ達は聞き惚れてゆく。 
 ここで、マットが登場し、ケジメをつけねばオトコではない。 
 マットがやってきて、歌っているケイをいきなり肩ぎ上げ、足をばたつかせているケ
イをマークが待つ馬車に乗せる。「いったい、どこに行くの!」「家だ(マイ・ホーム
だ)!」とマットがぶっきら棒の答える。これは、ケイが待ち望んでいたが、決して自
分の方からは言い出せなかったマットのケイへの求婚の言葉であった。 ケイはマイク
を抱きしめ、その求婚を喜び、酒場で踊り、歌う際の商売道具のハイ・ヒールを馬車か
ら投げ捨てる。 
 男と女は、互恵・互助の平等の愛情関係に立っている、と思うが、(そう信じたいが
)、とわ言え、個別の男と女の関係においては、その人生の艱難の折節を乗り切って行
くに足るような、<運命的出会い>が必要である。これをもって、オンナ達は「<運命
の人>との出会い>」と言うのであろう。マットとケイ、そしてマークは、「帰らざる
河」で、この「運命的出会い」を知らず知らずのうちに、既に成していたのである。 
 そのことを、マットもケイもマークも最後のどん詰まりで、悟り、互いに家族となる
機会(チャンス)を逃さないのである。 
 
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