[CML 051112] 昔の話・・・「わが内なる天皇」という戯言

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2017年 12月 8日 (金) 12:46:49 JST


檜原転石です。

本多勝一が昔、天皇についていいことを言っていて、まあおおざっぱな記憶では、税金で飼育している者に支配されちゃあいけないとか言っている。もっともアキヒトは東電株まで持っていたようで、かように国民は天皇のことなどほとんど何も知らない。何も知らなくても、オカミや周りの人が偉いと言っているから、天皇は偉い思うのは、人間のする思考ではなく、結局のところ、まあボス猿が居座る温泉に入れないサルと何ら変わらず、奴らには力で負ける、そう暴力を怖がっているだけかもしれない。多少とも天皇教の歴史を知れば、暴力右翼のテロで天皇教が守られてきたことは明白だ。今日でも反天皇の街頭デモは暴力右翼と公安警察で滅茶苦茶にされている。よって本気で反天皇なる行動を取るなら、多少の暴力被害を覚悟すべきかもしれない。アキヒトを持ち上げる臣民、たとえば内田樹などに、そういう本質的な質問でもしたらいいのに、どの記者も何も言わない。存在悪を守るには、当然暴力装置が必要なので、アキヒトを持ち上げる似非文化人がそれを無視するのは、自己保身の為と言っても良い。

そういえば昔は、自己保身のために「わが内なる天皇」という戯言も流行ったが、今ではそんな目くらまし戦法を使う人間はいない。彦坂諦が言うには──「「わが内なる天皇」の重さなどを語るのは、つまるところ、天皇とのゴエンは永遠に切りませんと告白しているにすぎないじゃないか。そのくせ、そのことを、わが身ひとつのこととして語るのではなく、なにか日本人という宿命ででもあるように語るのは、傲慢もはなはだしい。」。彦坂も言うように、天皇などがもし心の内に住んでいれば、さっさと追い出せばいいだけで、私に言わせれば、節分の「鬼は外」より実は簡単。

近代の歴史をひもといても、戦犯ヒロヒトは侵略戦争で大儲け。敗戦を遅らせ、原爆2発も食らい、敗戦後は沖縄を売り、安保に関与して本土も米軍基地として売った。これだけでも反天皇など当たり前なのに、本質的には「人間は平等」という人類の叡智にも反する存在悪。どうして人はこれだけの悪を気にもせず、恥ずかしくも臣民になれるのか?

最後に、彦坂諦の話──

 天皇制というのはれっきとした政治制度です。しかし、その政治制度が、いま話したような、みんなでがんじがらめにしていくような状況をわたしたちのなかにはびこらせていく。これが、じつは、天皇制という制度のなかに潜んでいる文化的暴力なんですね。そうした文化的暴力の中核が、そして、天皇という名の肉体的存在であり、その人物をとりまく皇室という名の存在であり、その実態に触れることを自粛するジャーナリズムであり教育でありその他もろもろのシステムです。そういったものの総体が天皇制という制度であるとでも言えばいいのでしょうか。


注:以上、彦坂諦発言は、堀内哲(編・著)『天皇条項の削除を!』JCA出版、2009年、より引用







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