[CML 051074] 【今日のブログ記事】■(改題)「天皇制を廃止したらどのような日本になるのか?」を考える!

山崎康彦 yampr7 at mx3.alpha-web.ne.jp
2017年 12月 5日 (火) 12:38:32 JST


いつもお世話様です!

【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰する市民革命派のネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。    

昨日水曜日(2017.12.04)夜に放送しました【YYNewsLiveNo2437】の『メインテーマ』を加筆訂正して【今日のブログ記事】にまとめました。

【放送録画No1】05分09秒

http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/423769936

【放送録画No2】65分09秒

http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/423769936

【今日のブログ記事】

■(改題)「天皇制を廃止したらどのような日本になるのか?」を考える!

明仁天皇・美智子皇后の「慰霊の旅27年間」は、安倍晋三首相と自民党、日本会議、神社本庁、靖国神社ら極右ファシストたちと背後の世界支配階級の「日本国憲法破壊・大日本帝国憲法差し替え策動」「大東亜戦争賛美」「大日本帝国復活」に真っ向から反対する「抵抗運動」であり「反戦平和運動」であり「護憲運動」だった!

しかし同時に明仁天皇・美智子皇后の「慰霊の旅」は、戦前日本の本質である「昭和天皇裕仁の戦争責任」と、戦後日本の本質である「米国による日本支配の道具=象徴天皇制」に一切触れずにスルーして来たために「天皇制を廃止したらどのような日本になるのか?」の国民的議論が一切封印されてきたのだ。

▲「天皇制を廃止したらどのような日本になるのか?」

以下は私の考えです。

‥傾弔脇本国憲法第4条『天皇の権能の限界』の規定で「国事行為」のみで「国政行為」を禁止されている。しかし日本国憲法第6第2項目の規定で「内閣の指名に基づいて最高裁長官を任命すること」なっている。これは「行政権力」のトップ「内閣総理大臣」が「司法権力」のトップ「最高裁長官」を「天皇の名」で指名できることは「司法の行政権からの独立」の原則に違反している。

△靴燭って「天皇制が廃止」されれば天皇の名で最高裁長官を任命することができす「司法の行政権からの独立」が保障されることになる。

E傾弔脇本国憲法第7条『天皇の国事行為』の規定で「内閣の助言と承認によって」「国会の召集」(同第2項)と「衆議院の解散」(同第3項)を行っている。しかし「国会の召集」と「衆議院の解散」は「天皇の国事行為」ではなく日本国憲法第4条で禁止されている「天皇の国政行為」そのものである。

に寨茲琉嫐の「天皇の国事行為」であれば日本国憲法第7条第2項の文言は「国会を召集を公示する」、日本国憲法第7条第3項の文言は「衆議院の解散を公示する」とすべきなのだ。しかし日本国憲法を起案し1947年5月3日に施行したGHQ(米国支配階級)は、戦後日本を米国の100%の植民地にするために彼らが作った傀儡政党・自民党に、憲法の文言を巧妙にすり替えて「国会召集権」と「衆議院解散権」を与えたのである。

イ靴燭って「天皇制が廃止」されれば「内閣総理大臣が勝手に国会を召集したり自分たちに有利な特に衆議院を解散して総選挙すること」ができなくなる。すなわち衆議院は4年の任期満了ごとにに解散され総選挙が実施されるので、自民党が常に勝利することはなくなるのだ。

Π打椰源絢鸛蝓⊆民党、日本会議、神社本庁、靖国神社ら極右ファシストたちと背後の世界支配階級が推し進める「日本国憲法破壊・大日本帝国憲法差し替え」「大東亜戦争賛美」「大日本帝国復活」は、すべて「天皇の元首化」を軸として展開されるのであり「天皇制が廃止」されれば彼らのすべての策動は失敗し無に帰すのである。

天皇をはじめとする日本の皇族には日本国憲法が日本国民に保障する個人の自由や基本的人権は一切保障されていない。「天皇制が廃止」されれば、すべての皇族は一般国民となり日本国憲法が保障する個人の自由と基本的人権が保障され彼らは「天皇制のくびき」から解放されるのである。

日本国民は現行の「天皇制」を維持するために毎年360億円以上の税金を「皇室費」「宮廷費」などを負担している。「天皇制が廃止」されればそれらの税負担がゼロになるのだ。

【関連記事1】

▲退位19年4月30日 政府8日に閣議決定

2017年12月1日 毎日新聞

ttps://l.mainichi.jp/vsflPOb

政府は1日午前、天皇陛下が退位される日程を決める前提として安倍晋三首相が意見を聴く皇室会議を宮内庁特別会議室で開いた。皇室会議は陛下の退位日を2019年4月30日とする意見を決定した。陛下が19年4月30日に退位し、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位され、同日から新元号を施行する日程が固まった。12月5日の閣議に報告し、8日に退位日を決める政令を閣議決定する。

皇室会議は午前9時46分に始まった。約1時間の予定だったが、午前11時まで約1時間14分間、行われた。

首相は皇室会議終了後、皇居で陛下に結果を報告した。その後、首相官邸で記者団に退位日を4月30日とする皇室会議の意見が決定されたと説明し「政府としても皇室会議の意見を踏まえ、速やかに施行日を定める政令を制定するとともに、陛下の退位、皇太子さまの即位が国民の祝福の中でつつがなく行われるよう全力を尽くす」と語った。

6月に成立した陛下の退位を実現する特例法は、退位の日を政令で定めるにあたり、首相があらかじめ皇室会議の意見を聴くことを義務づけている。

会議は非公開で行われた。議長の首相をはじめ、常陸宮さま、常陸宮妃華子さま、大島理森衆院議長、伊達忠一参院議長、赤松広隆衆院副議長、郡司彰参院副議長、寺田逸郎最高裁長官、岡部喜代子最高裁判事、山本信一郎宮内庁長官の10人の議員全員が出席した。菅義偉官房長官も陪席した。議員全員が意見を述べ議論した後、首相が退位日を4月30日とする意見案を示し、決定された。採決はとらなかった。

菅氏は会議後の記者会見で退位日を4月30日とした理由について「国民生活への影響を考慮した。国民がこぞって天皇陛下の退位と皇太子さまの即位をことほぐにふさわしい日を選択した」と説明した。そのうえで、考慮した点として「陛下に19年1月7日の在位30年の節目を(在位のまま)迎えてほしい」「4月前半は人の移動が激しい」「19年4月は統一地方選がある」「4月29日の昭和の日に続いて退位、即位が実現することで、あらためて我が国の営みを振り返ることができる」--の4点をあげた。

政府は周知期間を設けるために新元号の事前公表を検討しているが、菅氏は公表時期について「国民生活への影響等を考慮しながら適切に対応していきたい」と語った。

政府は当初、18年12月末に陛下が退位し、19年1月1日から新元号を施行する日程を検討したが、年末年始に皇室行事が重なることから宮内庁が難色を示した。このため、年度末で区切りがよい「19年3月31日退位、4月1日即位・改元」とする日程も検討され、4月30日に退位する案と二つに絞っていた。【野口武則】

【関連記事2】

▲慰霊の旅 平成築く 「戦争の記憶 風化に危機感」

2017年12月2日 東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201712/CK2017120202000124.html

2005年6月28日、サイパンのバンザイクリフの崖を望める展望場所で黙礼される天皇・皇后両陛下=代表撮影

◆前侍従長・川島さん 象徴天皇の意義語る

天皇陛下は即位後、皇后さまと共に国内外で戦没者慰霊の旅を続け、海外では太平洋戦争の激戦地となった米国自治領サイパン、パラオ、フィリピンを訪問された。前侍従長の川島裕さん(75)は「戦争の記憶が風化することに、強い危機感をお持ちだった」と振り返り、具体的な行動で平和を追求してきた象徴天皇の意義を語った。

川島さんは在任中、一九三七(昭和十二)年七月の日中戦争勃発時、葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在していた昭和天皇が海軍の軍服に着替え、急きょ帰京したのを覚えていると陛下から聞かされた。当時の陛下はまだ三歳。「戦争の当事者的な記憶が節目、節目ごとにある。多くの人が亡くなったことを痛ましいと思っておられる」

初の海外への慰霊の旅となったサイパン訪問は、二〇〇五年六月。式部官長として同行した川島さんは「重い旅だった」と述懐する。米軍に追い詰められた多くの日本人が崖から身を投げた「バンザイクリフ」の前で、両陛下は深々と頭を下げ、犠牲者を悼んだ。その後ろ姿を撮影した写真は「平成を語る一枚だ」と、強く印象に残った。

両陛下は、事前公表の日程にはなかった韓国人犠牲者の慰霊塔も訪れた。当時、韓国人住民の一部が天皇陛下に謝罪を求めて抗議活動をした。しかし「あの後、静かになった」という。

パラオ・ペリリュー島の訪問(一五年四月)の前には、生還した元日本兵の二人を皇居・御所に招いた。陛下は東日本大震災の被災地を訪問した影響で風邪をひいていたにもかかわらず、冒頭の短時間二人と会った。その後を引き取った皇后さまは長時間、体験談に耳を傾け、二人が御所の長い廊下を退出するのをずっと見送っていたという。

約一年半後に終わりを迎える平成という時代。川島さんは「陛下が皇后陛下とお二方で築き上げた」と語る。

そして退位後の過ごし方についてはこう願う。「上皇(じょうこう)、上皇后(じょうこうごう)として人生をエンジョイされる姿は、同世代の人びとにとって励みになる。時間はたくさんあるので、素晴らしい時間を過ごしてほしい」

<かわしま・ゆたか> 1964年、外務省入省。イスラエル大使、事務次官などを経て03年、宮中儀式や海外との交際を取り仕切る宮内庁式部官長に就任。07年、平成に入って3人目の侍従長に就任し、約8年間務めた。 


(終わり)

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