[CML 049918] インパール作戦

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2017年 8月 15日 (火) 01:44:01 JST


 坂井貴司です。
 転送・転載歓迎。
 
 太平洋戦争末期の1944年、世界戦史上最も無謀と呼ばれることになった
「インパール作戦」を日本陸軍は行いました。
 占領していたビルマ(ミャンマー)から2000メートル級の山岳地帯を越え
て、陸路でイギリスの植民地支だったインドへ攻めこんだ作戦でした。

 これは太平洋戦線で敗退を重ねる日本軍が挽回を図るためと、「欧米列強の植
民地支配からアジアを解放し、大東亜共栄圏を建設する」というスローガンを掲
げてインドを「解放」するのが目的でした。これは、日本軍と協力してインドを
イギリスの支配から解放しようとしたスバス・チャンドラ・ボースの要望でもあ
りました。

 この作戦を立案し、実行させたのが、盧溝橋事件で「撃たれたら。撃ち返せ!」
と命令して、日中戦争の発端を開いた牟田口廉也でした。
 この作戦は、ビルマにいた部隊から強い反対を受けました。
 「ビルマからインドへ向かう道は獣道同然の狭い道で、部隊の移動は困難であ
る。補給もままならない。攻め込むインドのアッサム地方は世界有数の豪雨地帯
であるため、雨季になれば土砂降りが続いて行動ができなくなる。またビルマか
らインドの国境地帯は、マラリアなどの伝染病が猖獗している危険地帯である」

 牟田口は傲然と言い返しました。

 「イギリス軍は臆病者の集まりである。空に向けて一発撃てば逃げ出すに決ま
っている。いや銃はいらない。竹を割って地面を叩けば、銃声と勘違いする愚か
者どもだ。
 食料は、徴発した水牛に搭載すればいい。なくなれば、水牛を食べればよい。
これはジンギスカンの戦法である。
 私の練りに練った不敗の作戦を持ってすれば、雨季が来る前にインパールを陥
落させることができる。後は、デリーへ向けて一直線だ。来年はインドで正月を
祝うだろう」

 強引に実行されたインパール作戦は、悲惨な敗北に終わりました。
 輸送のために徴発した水牛は山を越えることはできませんでした。山道を登る
ことができない水牛を射殺し、兵士は100キロを越える重い物資を担いで20
00メートル級の山を登る獣道を登りました。
 イギリス軍は準備万端の体制で日本軍を迎え撃ちました。堅固な陣地を構築し、
空から飛行機で物資を輸送しました。マラリアの薬キニーネを用意し、開発され
たばかりの農薬DDTを散布してマラリアを媒介する蚊を駆除しました。
 やっとの思いで山を越した日本軍に、イギリス軍は陸と空から砲弾や銃弾、爆
弾を雨あられと打ち込みました。日本軍が一発撃つと、一万発撃ち返されました。
 まもなく雨季が来ました。一時間でドラム缶がいっぱいになるほどの豪雨が連
続して降りました。道は交通不能になり、日本軍は行動不能になりました。補給
はできなくなったために、食料と弾薬が底を尽きました。マラリア、デング熱、
アメーバ赤痢などの熱帯性伝染病が蔓延しました。
 現地部隊は何度も、「作戦継続は不可能。撤退の許可を求む」と司令官だった
牟田口に打電しました。牟田口は「撤退は許さない。インパールへ進撃せよ」と
繰り返すだけでした。その牟田口は、司令部で白装束を着て、「靖国の英霊よ、
我を助け賜え。作戦成功を祈願申し上げたてまつる」と毎日狂ったように祈って
いました。
 もはや限界だ、と現地部隊は司令部の許可を得ないで、独断で撤退を始めまし
た。空腹と伝染病に苦しむ日本軍の兵士は、豪雨の中を徒歩で元来た道を歩きま
した。
 その撤退の様子はまさに地獄でした。悪夢が現実になった光景でした。日本軍
が通った道には腐乱したり、白骨化した死体が途切れることなく続きました。
 「イギリス軍の弾に当たって戦死した者は幸運だった。ほとんどは飢えや伝染
病で倒れ、自分の身体がウジ虫や赤アリに食べられていくのを感じながら死んだ」
と生存者は証言します。
 インパール作戦の失敗によってビルマ戦線は総崩れとなりました。中国の雲南
省で中国軍と戦っていた日本軍もビルマへ敗走しました。
 雨季が終わると、イギリス軍は追撃を行いました。
 それに追い打ちをかけたのが、日本軍の占領統治に不満を抱いていたビルマ人
部隊の抗日蜂起でした。
 太平洋戦争が始まる直前、アウンサンスーチーさんの父親であったアウンサン
をはじめとするビルマ人の独立運動家たちは、日本へ亡命して協力を要請しまし
た。日本軍は彼らに武器を与えて軍事訓練を行いました。
 太平洋が始まると、ビルマ人部隊は日本軍を先導してイギリス軍と戦いました。
 イギリスの植民地支配に苦しんでいたビルマの民衆は、日本軍と解放者だと思
って熱烈に歓迎しました。これによって、日本軍はあっという間にビルマを占領
しました。 
 日本はビルマを「独立」させました。しかし実態は日本の植民地支配でした。
日本軍の物資徴発(=略奪)、泰緬鉄道などの強制労働、軍票乱発によるハイパー
インフレによって、歓迎の気分は失せ、敵意を抱くようになりました。 
 インパール作戦の失敗で日本の敗北を見たアウンサンたちビルマ人部隊は、反
乱を起こして日本軍を襲いました。
 敗戦まで、日本軍はイギリス軍と敵に回したビルマ人を相手に凄惨な戦いを続
けました。
 
インパール作戦については、多くの書物やテレビ番組が描いてきました。

 8月15日に放送されるNHKスペシャルは、これまで取材が許されなかったビル
マとインドの国境地帯に入って、70年以上が経っても残るインパール作戦の痕
跡をたどります。

NHK総合
NHKスペシャル
「戦慄の記録 インパール」
 http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170815

放送日:8月15日
放送時間:午後7時30分〜8時43分  

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
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