[CML 049916] 8・9平和宣言「原爆と原発は人類と共存できない」

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2017年 8月 14日 (月) 23:57:51 JST


 坂井貴司です。
 
 以下は8月9日の長崎平和式典で被爆者の深堀好敏さんが述べた「平和への誓
い」全文です。
 
 注目すべきことは、「原爆と原発は同じものだ。日本は脱原発へ向かうべきだ」
とはっきり述べていることです。

 これを聞いていた核武装論者で原発推進の安倍首相は、不快な面持ちでした。

 核兵器禁止条約に参加しなかった安倍政権を批判した長崎市長の田上富久さん
の平和宣言はよかったですけれど、「核と人類は共存できない」と核兵器と原発
に否を突きつけた深堀さんの宣言は同じくらいいいものでした。

2017年8月9日付け西日本新聞夕刊より

(ここから)

「平和への誓い」全文

 原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3,6キロ離れた長崎県疎
開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感
じ慌てて机の下に潜り込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人金比羅
山を越えて帰ろうと山の中腹まで来たところ、山上から逃げてくる多くのけが人
に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って
歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、
別世界に迷い込んだようでした。ようやくたどり着いた山王神社近くの親戚の家
は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で
18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、
せめて最期に声を掛けられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。さ
らに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るととも
に怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。ここ平和公園の横を流れ
る川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親
に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘
(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔
の正面からは熱気と臭気が迫り目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地
面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。
あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びもつかの
間、えたいの知れない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろし
いことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。
 
 2011年3月東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停
止され、核の脅威におびえました。しかし、リスクの巨大さにあえいでいる最中、
事もあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあっていか
なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は
もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」
を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬
と信頼は決して失ってはなりません「また、唯一の戦争被爆国として果たすべき
責務も忘れてはなりません。
 
 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでにさ
まざまな人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の
下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の
恒久平和と核廃絶のために微力を尽くすことを亡くなられたみ霊の前に誓います。

                  2017年(平成29年)8月9日
                  被爆者代表 深堀好敏 
                  
(ここまで)

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
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