[CML 044965] 強姦罪弁護の新たな切り札 裁判員裁判

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2016年 9月 13日 (火) 07:09:55 JST


檜原転石です。

二世男優の強かん事件(?)が予想通り(?)の収束をみましたが、日本の現実
がこんなものなのです。

世の中に無関係なものはありません。利己的動機で沖縄を売ったヒロヒトとも強
かん事件は当然つながっています。

声を上げる少数者はいる!しかし沈黙する被害者が多数、そして傍観者が多数な
ら、世の中は何も変わらないという現実──


▼性犯罪者の頭の中
中川寛子
http://allabout.co.jp/newsdig/c/66686

幻冬舎新書の新刊、「性犯罪者の頭の中」である。



NHKで報道番組を作っている鈴木伸元さんが、何人もの性犯罪者に取材した内容
をまとめたものだ。一般に性犯罪は性的欲求が抑えきれずに行動に走るものと思
われているし、私自身もそういう短絡的、衝動的な犯罪と思っていたが、この本
を読んで、その考えが根本的に間違っているかもしれないことを知り、かなり、
ショックだった。



同書によると、性犯罪は「ムラムラして」ではなく「計画的」がほとんどだそう
で、犯罪を犯した後の達成感は統制不能、そして「自分の力ではもう引き返せな
くなっていました」というものとか。



ここまでが1章目なのだが、この時点で思ったのは性犯罪って依存性みたいなも
の?ということ。



実際、続く「性犯罪者の特徴」の章では、性犯罪に限らず、万引き、詐欺といっ
た犯罪を犯した人たちも、犯罪を重ねることで自分がスキルアップしているとい
う感覚を抱く例があること、犯罪を犯している間には緊張感、スリル、終了後に
は達成感、充実感を味わうことで、そこから抜け出せなくなってしまう経過が描
かれており、欲望、モノが目的ではなく、行為そのものが目的という、複雑な心
理がよく分かる。

・・・


▼#246 人を力で支配することは愚かしい

小林 美佳 さん(性犯罪被害者支援活動「みかつき」)

http://www.mammo.tv/interview/archives/no246.html


▼性犯罪被害者支援活動「みかつき」
http://www.apple-eye.com/micatsuki/index.html


▼"天皇メッセージ"
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html

000同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用
掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の
見解をまとめたメモです。【資料コード:0000017550】

天皇メッセージ

   内容は概ね以下の通りです。

(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。

  メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の
影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。

  1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わ
りを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土
の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとること
で潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・
外交的影響についてはなお論争があります。

▼「全基地撤去を」 抗議の波、全県に拡大 米軍属女性遺棄事件
2016年5月21日 05:05
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-283059.html

 米軍属死体遺棄事件について、県内では20日、事件を強く非難し、抗議の意
思を示す動きが広がった。市民団体は嘉手納基地前で抗議行動を展開し、緊急に
開かれた抗議会見では女性らが涙ながらに事件を厳しく指弾した。被害者の命と
尊厳を守ることができなかった悔いが事件への怒りと共に重く全県に広がってい
る。繰り返されてきた米軍関係者による事件の再発を許した日米両政府への対応
にも反発が強まっている。

 北谷町の嘉手納基地第1ゲート前で開かれた抗議集会の参加者は、全員による
黙とうで亡くなった島袋さんの冥福を祈り、基地に向かっては怒りの拳を突き上
げた。
  「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」など16の市民団体が合同で
県庁で会見し、沖縄からの全基地・軍隊の撤去を日米両政府に求めた。
  訪米後に台湾の総統就任式に出席していた翁長雄志知事は20日夜、帰国し
た那覇空港で会見し「非人間的な事件が発生したことは、基地と隣り合わせの生
活を余儀なくされている県民に大きな衝撃を与え、新たな不安を招くもので、断
じて許されるものではない」と非難した。
  また「(これまでも)再発防止などを強く要請してきたが、またもや事件が
起きたのは激しい怒りを禁じ得ない」と述べた。
  石垣市議会は別議案の審議のため開会が予定されていた20日の臨時会に抗
議決議を急きょ提案し、全会一致で可決したほか、多くの市町村議会が決議に向
けた調整を開始した。閉会中の県議会も事態の深刻さを重く見て、23日に米軍
基地関係特別委員会を開くことを決めた。決議と意見書の本会議上程を審議し、
決定する見通し。26日にも開かれる臨時会で採決する。
  県内政党は相次いで外務・防衛両省の出先に抗議に赴き、事件への強い抗議
のほか、再発防止策の明示、日米地位協定の抜本改定を促した。
  市町村長らからも政治的な立場の違いを超えて一様に厳しい発言が相次い
だ。県市長会会長の古謝景春南城市長は「心が苦しく、怒り心頭だ」と述べた。
  「基地の県内移設に反対する県民会議」は大規模な集会を25日に開くこと
を決めた。場所は今後決定する。

▼在日米軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%BB%8D
・・・
事件・事故

在日米軍が起こす事件・事故の数は、防衛施設庁が提出した資料によると、1952
年から2007年までに公務内外で在日米軍が起こした事件事故件数は20万件、日本
人が巻き込まれて死亡した人数は1,076人である。2010年に公開された外務省文
書によれば、復帰前も1965年の時点で年間1000件に上っていた[24]。また、1985
年から2004年までに在日米軍の起こした事件・事故で軍法会議にかけられた者は
1名で、懲戒処分者は318人である。これについて日本共産党の赤嶺政賢衆院議員
は「多数の事件・事故が起きているのに(二十年間で)軍事裁判はたったの一
件。米軍の犯罪は野放しにされている」と述べた[25]。

1951年、浅草の国際劇場向かい側にあった在日朝鮮人経営の旅館で、オーナーと
口論の末、投石などを受けて米兵数名が死傷する事件が発生した。事件に先立っ
て、3月2日には密入国者を中心とした朝鮮人408名が、建国して間もない大韓民
国に強制送還されており、これを不服とした在日朝鮮人の間には、アメリカやイ
ギリスを中心とした連合国の占領軍に強い不満があった(浅草米兵暴行事件)[26]。

1954年から1964年にかけて、在日米軍軍政下の沖縄では米軍による沖縄住民のボ
リビアへの強制移住が行われた。沖縄住民の約3,218名がこの期間に在日米軍沖
縄軍政府によりボリビアへ強制移住させられ、今日までに生存できた被強制移住
者達は、その子孫を含めても806名に過ぎないことが判明している[27](沖縄住民
ボリビア強制移住)。

1955年、嘉手納村の通信基地付近の原野で、何度も強姦された形跡のある当時6
歳の幼女の惨殺遺体が発見された。幼女は石川市(現うるま市)の6歳の幼稚園
児であることが判明。遺体は下腹部から肛門にかけて刃物で切り裂かれていた。
この事件は在日米軍兵による沖縄軍事支配下での通称由美子ちゃん事件として知
られている[28](嘉手納幼女強姦殺人事件)。

1957年、8月3日、茨城県の当時同県にあった在日米軍水戸補助飛行場から離陸し
た米軍機が離陸後、超低空飛行を行い、滑走路から500m離れた道路を自転車で走
行していた親子に後方の車輪が接触、母親の北条はる(当時65歳)は首と胴体を
まっぷたつに切断されて即死した。息子の北条清(当時24歳)も重傷を負った。在
日米軍は、当初遺族に対し異常気象の熱気流による偶発的な事故と釈明したが、
7日地元の市議会は操縦者のジョン・L・ゴードン中尉(当時27歳)によるいたずら
によるものと判定した[29](米軍機母子殺傷事件)。さらに同年、群馬県相馬が原
演習場で、一緒にいた日本人農夫の証言に依ると金属類を拾いに来ていた地元住
民農婦の坂井なか(当時46歳)を、ある在日米軍兵士が故意に空の薬莢をばらまい
ておいて、片言の日本語で「ママ、だいじょうぶ。ブラス(薬莢)たく。」など
と手招きし近くに呼び寄せた上で、約10mの距離に近づいた時に「Get out of
here!(ここからでてけ!)」と叫んで射殺した[30]。殺人事件ではなく傷害致
死事件で処理する密約が日米間で合意されていたことがのちに判明する(ジラー
ド事件)。

1958年9月7日午後2時頃、埼玉県入間市にあった在日米軍ジョンソン基地所属の
兵士ピーター・E・ロングプリー(当時19歳)が走行中の西武池袋線の下り電車に
向けてカービン銃を発砲し、基地内へバンド演奏に行く途中だった乗客、武蔵野
音楽大学生、宮村祥之(当時21歳)が射殺された(ロングプリー事件)[31]。

1970年、12月20日午前1時半ごろ、沖縄市で、具志川市(現うるま市)に住む男
性が京都ホテル前の24号線(現国道330号)を横断中、米人車にはねられ軽傷を
負った。ちょうど糸満町(現糸満市)での女性れき殺後間もなかったことから、
米憲兵とコザ署による事故調査を見ようと、中の町歓楽街の飲み客ら大勢の人が
集まった。「女性の二の舞になるな」など罵声(ばせい)が飛ぶ中、米憲兵が威
嚇発砲した。これにより住民の米軍への不満が一気に爆発。1000人に膨れ上がっ
ていた群集は、米憲兵車や米人乗用車をひっくり返しガソリンをかけて放火し
た。その後も、沿道に駐車中の米軍ナンバーなどの米人車を次々に焼き打ちした
[32]。なお大暴動だったにも関わらず米軍側が住民の負傷を恐れて住民の基地へ
の侵入を排除しなかったため暴力行為を働いた住民は負傷しなかった。彼らが壊
した軍人・軍属の自家用車等に対して地元の琉球民政府は一切補償を行なわず、
後日日本政府が賠償を行った。また騒動と基地侵入に時間差があったこと、基地
の侵入に対して地元民に知られていない煽動者がいたことから、いざこざに乗じ
た反米活動の可能性も指摘されている。(コザ暴動)。

1995年9月4日に、在日米軍海兵隊員2名と在日米軍海軍軍人1名の計3名が12歳の
女子小学生を拉致し暴行した上、集団強姦(輪姦)した。実行犯である3人が日米
地位協定の取り決めによって引き渡されなかったことが問題になった(沖縄米兵
少女暴行事件参照)[33]。

1996年1月、沖縄北谷町の国道で泥酔した普天間基地所属在日米軍海兵隊員が運
転する車が交通事故を引き起こし、日本人母子三人が死亡した。また、2月には
北中城村で、5月には石川市で米兵絡みの同様の交通死亡事故が相次いで起きて
いる[34](在日米軍兵飲酒運転過失致死事件)。

1998年、飲酒運転した海兵隊員が18歳の女子高生が運転するバイクに衝突し、ひ
き逃げして死亡させた[35](米兵女子高生ひき逃げ過失致死事件)。

2002年11月2日、海兵隊少佐が駐車した車両内でフィリピン人女性に暴行を加
え、強姦しようとしたが抵抗されたため未遂に終わり、さらに女性の携帯電話を
強奪し投げ捨て損壊した強制わいせつ、器物損壊事件、強姦未遂事件が発生した
(沖縄米兵強制わいせつ未遂事件)[36]。さらに、同年4月横須賀で、空母「キ
ティホーク」乗組員の在日米軍兵が在日オーストラリア人女性キャサリン・
ジェーン・フィッシャーを強姦した。容疑者は逮捕される前になぜか“名誉除隊”
で帰国し逃走した。依然刑事処分を受けていない。また逆に被害者キャサリン・
ジェーン・フィッシャーが、日本の神奈川県警による事情聴取の段階で6人の神
奈川県警警察官たちからセカンドレイプを受け、事件から8年間は人とご飯を食
べられないなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんできた[37](キャサ
リン・ジェーン・フィッシャー強姦事件)。

2004年8月13日午後2時15分頃、在日米軍普天間基地所属の大型輸送ヘリコプター
CH-53Dが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、
炎上した。搭乗していた乗員3名は負傷したが、1号館内にいた大学職員20数名、
他民間人に負傷者は出なかった。この墜落事故により同大学は電話・インター
ネット回線等を切断され、また接触した1号館はローターによる損傷と炎・スス
による被害を受け、またその周辺の木々も焼かれてしまった[38](沖国大米軍ヘ
リ墜落事件)。

2008年2月、キャンプ・コートニー所属の38歳の海兵隊員二等軍曹タイロン・ハ
ドノット容疑者 (38) は、10日日曜日の夜に自分の車の中で14歳の沖縄の少女を
駐車車両内で強姦した容疑で逮捕された[39](米海兵隊員14歳沖縄少女強姦事件)。

2013年8月3日、米海軍横須賀基地(横須賀市)で行われた基地開放イベントで、
米兵が子どもを含む見学者に銃を持たせたとして市民団体が抗議していた問題
で、同基地は8月29日、銃は実際に部隊で使用されている本物だったことを認め
た[40]。また8月5日には、キャンプ・ハンセン内の山林に空軍救難ヘリが墜落、
乗員4人全員死傷。日本の消防に救急車が要請されながら現地では敷地内への入
場を拒まれた。この墜落事件を受けて翌月3日、沖縄県の又吉進知事公室長は、
ワシントンの米国務省で同省や国防総省当局者と米軍普天間飛行場移設問題をめ
ぐり会談し、先の米空軍ヘリの墜落事故などを受け「沖縄の米軍基地に対する考
え方はむしろ厳しくなっている」と楽観論を戒めている[41]。

2016年5月19日、同年4月28日頃にうるま市の当時20歳女性を殺害・遺棄した疑い
で当時32歳の元海兵隊員米軍属男性を逮捕[42](沖縄女性遺体遺棄事件)。

機密解除された米国の公文書によると、2008年5月17日までに、日本は在日米軍
関係者の犯罪について、1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄す
る」密約に合意し、その後5年間に起きた約13000件の事件のうち、実際に裁判を
行ったのは約400件で、97%の裁判権を放棄していたことが判明した(在日米軍裁
判権放棄密約事件)[43]。また、1958年、日米安全保障条約改定にあたり、米側
は岸信介首相に、密約が結ばれている裁判権放棄を公的に表明するよう要求した
が、国民からの批判を恐れ、岸は認めなかった。

▼キャサリン.ジェーン・フィッシャー 『涙のあとは乾く 』井上里・訳、講談
社、2015年

 米兵による暴行事件の被害者、キャサリン・ジェーン・フィッシャーさんは
2002年4月5日神奈川県横須賀市で、当時米海軍航空母艦キティホークの乗組員
だったディーンズという男に強姦された。
 被害者でありながら神奈川県警から屈辱的な取り調べを受けた上に、横浜地検
は同年7月に理由を明らかにしないまま加害者を不起訴処分にした。その後
フィッシャーさんは加害者に損害賠償を請求する民事訴訟を起こし、2004年11月
に東京地裁で勝訴判決(暴行認定、被告に300万円支払いを命じた)を勝ち取る
が、審理中に名誉除隊し帰国した加害者の所在がわからず、賠償金は支払われな
いままとなった。
2012年5月、フィッシャーさんは加害者である元米兵が住む米国ウィスコンシン
州ミルウォーキーのウィスコンシン郡巡回裁判所に、2004年11月の東京地裁判決
の履行を求めて提訴し、2013年10月15日、勝訴の判決を得た。
さらに日本での民事訴訟の審理中に米軍が加害者に指示をして帰国させたという
ことも、米国での裁判の過程で明らかになった。この判決は、性暴力事件に対す
る外国判決を容認し、執行した米国で初めての判例であるとされる。
 強姦、セカンドレイプ、日米地位協定の実態を抉る驚愕のノンフィクション自伝!
公正な裁きを求めて、財産も家も失いながら闘い続けた顛末が、一切包み隠すこ
となく綴られた感動と勇気の書!

▼アメリカ軍内の性的暴行に関する、アメリカ国防総省の新たな報告
http://parstoday.com/ja/news/world-i7768
・・・
アメリカ社会では、女性の6人に1人が性的暴行を受けていますが、一方でアメ
リカ軍の正式な統計によれば、アメリカ軍の女性兵士については3人に1人と
なっています。一部の人々は、残りの2人はこれについて発言することを好ま
ず、もしこれらの被害者が口を開いたならば、この性的暴行について、さらに正
確なデータが得られるかもしれないと考えています。今や、アメリカ軍の部隊の
一部では、男性兵士からの性的暴行への懸念から、女性兵士が屋外の浴場での入
浴や、夜間に数時間に渡り単身でいることを恐れているのが現状なのです。


▼街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

2012年5月24日 (木)

強姦罪弁護の新たな切り札 裁判員裁判

http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2012/05/post-1014.html


5月23日の朝日新聞が、裁判員裁判の影響で性犯罪の起訴率が下がっているこ
とを報じている。被害者は、一般市民の前で被害を証言することに、耐えられな
い思いが強いために性犯罪の起訴率が著しく下がっているという趣旨だったと思う。


この記事を読んで、思い出したくない事件の記憶がよみがえった。


 公園で遊んでいる知的障害のある20歳の女性に性的いたずらを繰り返したと
いう事件だ(準強制わいせつ)。

 本当は、やりたくなかったが、当事者とは、いろんな縁があり、依頼を断るこ
とができなかった。


 立派な会社の会社員だったが、仕事や家庭のストレスが暴発したような印象で
あった。


 起訴されて、事件が公になれば、退職を余儀なくされ、もともと事情があっ
て、経済的な余裕がなかった家計は破綻するだろう。


マチベンは、とてもじゃないが、やりたくないと心底思いながら、不起訴(起訴
猶予)にしてもらうために、弁護に当たった。


 民事事件で認められるより多めの賠償金を用意させた上、被害者の親御さんに
連絡を取り、面談し、謝罪した。


あまりにも卑劣な犯行で、絶対に許せない、と言われる親御さんの気持ちが痛い
ほどわかる。


イヤな役回りで、マチベンにはどこにも正義はない。


 結局、この事件は、示談成立、起訴猶予で終わった。


 決め手は、親御さんが一番、心配していたことを告知したことだった。


マチベンは言った。



 「加害者が言っている内容と知的障害がある娘さんが言っている内容に食い違
いがある。



 仮に裁判になれば、弁護人としては、本意ではないが、娘さんの証人尋問をせ
ざるを得ない。



 忘れたい内容を、詳細にお聞きせざるをえない。



 傍聴者もいるかもしれない。


 本当にそれが、娘さんが望むことですか。



それでも、加害者を裁きたいですか」


こういうことが言えなくては弁護士ではない。


もっとしれっとして言う弁護士もいるかもしれないし、同様の事案を何度担当し
ても大丈夫なように、心に殻を付けた弁護士もいるに違いない。むしろ、その方
が普通かも知れないとすら思う。


でも、マチベンの心の皮は、やたらにやわだ。
 弁護士はそういうものなのだと、わかっていても、やりきれない。もう二度
と、同じことはしたくないと、思ってしまう。


さて、冒頭で触れたとおり裁判員裁判の導入で、裁判員の前で証言することを被
害者が嫌い、性犯罪の起訴率が激減しているそうだ。(5月23日朝日新聞・但
し、うろ覚え)


となれば、殺し文句は、さらに増える。



 「一般の市民から選ばれた9人(補助裁判員が3人だとして)が、観ている前
で、一から証言しなければならないですよ。


 加害者の言い分とずいぶん違うから、細かいことまで微に入り細に穿ってお尋
ねしなければなりません。


 裁判員には、スケベなオヤジがいないとも限りません。


 人の噂が大好きで、興味深々で話を聞く奥様がいるかもしれません。


 裁判が終わった後、どこかで顔を合わせるかも知れないですよ。


 法廷で証言した内容は秘密ではありませんから、口の軽い裁判員がいたってお
かしくありません。


あなたは、それでも、加害者を裁きたいですか」


 強姦致傷にならなければ、裁判員裁判にはならないのだが、そんなことは無
視。強姦は極めて重罪なのだから、当然、裁判員裁判になるような顔をして被害
者に迫ることになるのだろう。


 想像するに、裁判員裁判は、強姦犯の起訴前の弁護の新たな切り札になってい
るようである。


▼被害者側も望んだ高畑裕太との示談 不可欠だった弁護士声明
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/40532214.html


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