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masuda miyako
masuda_miyako1 at hotmail.com
2016ǯ 10·î 6Æü (ÌÚ) 13:33:24 JST
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以前、8月5日~9日の件名交流についてお知らせしまたが、参加した高校生の感想文集が日本側主催者「第2次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会」に送られてきたそうです。12人のうち2人だけですが、日本語に翻訳されました。少し長いため一人ずつご紹介します。メール数を増やして申し訳ありません。
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富山で見た一筋の明るい光 大光女子高等学校 2年
韓日のサッカー試合を見る時に、両国の人は非常に鋭敏になり、自国が勝つことに全力を挙げ応援する。韓日問題と関連するニュースを見ると、人々はすぐ悪口を言う。果たして日本の朝鮮統治時期に、我国の人々にどんな恨みがあったのだろう? 漠々(果てしなく)と見える韓日関係に平和が再び訪れる方法はあるのだろうか? この2つの問いが、日本に行く時に私が答えを探してみようと決心したことだったし、(韓日)青少年平和交流活動は、この2問以上に大切な事を私に分からせてくれた。真実を教えようとする増田先生の感動的な講演で始まった交流活動は、尹奉吉義士の密葬地訪問と三菱、不二越の両地下軍需工場トンネルの訪問、そして不二越富山工場の門前行動を参観することで構成されていた。他人の視線を気にかけない強靭な信念の人たちの姿に尊敬の念が起きたし、会話は言葉ではなく、真心でするということも分かった。
学生たちに真実を知らしめようとしていた増田先生は、2005年、盧武鉉大統領の韓日関係の和解に関する3・1節演説を見て感銘を受け、中学生たちと一緒に大統領に手紙を送る活動をされた。しかし、侵略戦争を歪曲したという先生の手紙内容に対し、日本は不満の反応を示した。教職員研修センターでは、トイレに行く時間すら記録して徹底的に監視し、結局解雇されてしまった。しかし闘いを放棄せず、訴訟を準備したと話された先生の眼から、強い意志と情熱を感じた。『私は敗訴するだろうことは分かっていたが、せねばいけないことはしなければ』という貴重な言葉を聞いて、私はこの言葉を忘れたくなくて、直ちにノートに書き留めると共に、心の奥深くにしまっておいた。
尹奉吉義士の死刑執行地に到着すると、少し水の流れる山中だった。尹奉吉義士の密葬地が、幼い時の遊び場だった金秉権先生は、そこがそうとも知らずに友達と踏みながら遊んだことが生涯の後悔だった。そして日本人4人がいろんな風説をたどり調べていって、草木ばかりの遠い山中が尹奉吉義士の死刑地だったことを探し当てた。また今回の私たち平和交流団の為に、高齢にもかかわらず死刑地に行く道の雑草を抜いて下さったその話に、またまた感動したのだった。
三菱と不二越の地下軍需工場のトンネルに行く道には、熊の出没を防ぐためのとげとげの電気線があり、我々を喜ばせた(?)しかし、私の記憶に残ったのは、とげとげの電線でも、暑い天気でも、坂の道でもなかった。こんな深い山中に深く掘られたトンネルで、ここが果たしてどこかも分からずに、命ぜられるまま仕事をせねばならなかった過去の朝鮮人の悲しみと恨みが、真っ暗なトンネルの中にちらついた。故郷と家族への懐かしさをじっとこらえねばならなかった人たち。金を得るため、トンネルでのつらい労働しか選べなかった人たちの為に黙祷をした時に、私は心の中で「今からでも、皆さんの苦痛と鬱憤の涙と汗を私たちは忘れません。韓国に帰ってからも多くの人に話して、二度とこんなひどいことが起きない様にしますから、どうぞ安らかにお休み下さい」と語ったのだ。
4日目に参観した不二越富山工場の門前行動は、一緒に行った交流団一行が最も強い印象を受けた活動だったと異口同音に話す、貴重な時間であった。不二越は戦犯企業として、かつて、勉強をさせてあげる、お金を稼がせてあげる等の甘い言葉で誘い、当時学究熱に燃えていた幼い少女たちを富山の不二越軍需工場で仕事の機械代わりにしてしまった。少しのご飯と、ちっともくれない無賃金も深刻な問題だったが、今になって見ると、灰色の歴史と しでかした大きな誤りをきちんと認定していないことが最も大きな問題だと思う。幼かった勤労挺身隊ハルモニたちの踏みにじられた人権を回復して、当時叫べなかった恨みの叫びを代わりに叫んでくれる毎月の門前行動をきっちりやって下さる日本の人たち。その方々の白い頭髪や曲がった腰でも堂々とした口ぶりに、なぜか青春の熱い情熱が感じられた。
日章旗と拡声器が満載の車に乗った日本の右翼勢力の粗暴な妨害に、心から湧き起こる怒りと憤怒。これまで、この堂々とした叫びを聞けなかった事に対する恥ずかしさと有り難さ、そして尊敬の念とが入れ替わり、拍手と涙が自然に出てきた。勤労挺身隊ハルモニたちのために一生懸命闘って下さるこの人たちに感謝を申し上げると、「私たちは韓国のためにやっているんじゃないよ。より良い自分、より良い日本、そして堂々とした国の為にやっているので、感謝の表現は適切ではないよ」との言葉に再び驚かざるを得なかった。皆が良心のまま、より良い自分、良い堂々たる国にする為に努めるのなら、やりきれない思いをする人もいないだろうし、世界は平和になるだろう。
今回の青少年交流活動の中で、省くことのできない貴重な経験がホームステイだ。日本語がだめな私は、一生懸命日本語のあいさつを覚えながら会話の心配をしたのだが、ホームステイを通して、意思は言葉でするのでなく、心でするのだと心から理解した。私が会った○さんと○○○○さん、○○○ちゃん、○○○ちゃんは、皆顔も心も美しい人たちだった。最初の晩に○さんの家で一緒にパーティを楽しんだ“7ヶ国語で話そう”会の方々と“369”と“009パンゲーム”をした。ゲーム説明は英語だったが、369ゲームでは数字が韓国語・日本語を混ぜながら楽しく進むのを見て、韓国と日本の未来もこんな風に互いに憎まず、仲良くなれることを願った。ホームステイの2日目には、日本の伝統衣装の“ゆかた”を着る体験をした。日本の家で日本の食事をし、日本の服を着てみた事は、新鮮で幸せな体験だった。たとえ使う言葉は違っても、もう心からホームステイ家族の人と話すことができた。韓国に帰って来て、Eメールと写真を送受信したけれど、実際に会えないことが大変悲しく、残念であった。
第7期 韓日青少年平和交流活動を通して、日本に行く前に何回か事前教育をして富山に行ったが、勤労挺身隊ハルモニたちの足跡をたどり学んだことは、新しく貴重なことだった。私が学び感じたことも重要だが、まだ勤労挺身隊ハルモニの涙についてよく知らずにいる周辺の友達や大人たちに、私が感じた感動と分かった事をそのまま新鮮に知らせなくちゃと、心から思えるようになった。韓国に着いた翌日、学校で私は皆の前で話す時間を持った。短時間ではあったが、私は韓国人がよく誤解している勤労挺身隊と「慰安婦」の違いに対し、明確に説明した。そして門前行動に直接参観する前までは良く分からなかった、北陸連絡会の人たちを始め正しい信念の為に熱心に闘っている方々の汗と努力について話した時に、自然と涙が落ちるのを止めることができなかった。
私の夢は韓国や全ての国が争わず、本当に平和な地球村を成す事に飛び回る外交官になることだ。今回の活動を通じて、私はこの夢がとても切実な問題だと思えた。また、勤労挺身隊ハルモニの痛さを察し、この真実を皆が知るようにと、私がもっと努力せねばと固い誓いを持つようになった。
今日も韓国のスポーツ競技に神経を鋭敏にする人たちに対し、私が経験した希望の光で照らし、その光が満ちる明るい世界になることを希望する。
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