[CML 045797] 名誉白人の日本人は恥を知れ!~「カストロ氏はアフリカのアンゴラなど世界の紛争に介入し、「革命の輸出」をはかった」???~

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2016年 11月 27日 (日) 07:07:08 JST


檜原転石です。

▼ストロ氏死去 平等社会の夢、今なお

2016年11月27日(日)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_shasetsu_01


 フィデルが死んだ。

  1959年のキューバ革命で政権を握ってから半世紀近く、フィデル・カス
トロ氏は、敵対する米国の隣で革命家と独裁者の二つの顔を持ち続けた。

  強烈な個性で国際的にも長く存在感を放った人間像には、社会主義革命が遠
い過去のものとなった今なお、世界の不平等を問い続ける力があった。

  豊かな農場主の家で育ったカストロ氏は、もともと共産主義者ではなかっ
た。革命後にカストロ政権を敵視した米国に対抗してソ連と連携。社会主義体制
へとかじを切った。

  さらに米ケネディ政権下の出来事が反米主義を固めた。61年に米中央情報
局(CIA)が仕掛けた亡命キューバ人による侵攻事件と、62年にソ連の核ミ
サイルを米国が海上封鎖で撤去させたキューバ危機だ。

  カストロ氏はアフリカのアンゴラなど世界の紛争に介入し、「革命の輸出」
をはかった。国内では平等な社会づくりをめざして医療や教育に力を入れた半
面、反体制派や言論の自由を徹底して抑え込んだ。

・・・

*********

 いやはや、バナナ人とアジアから揶揄されているアパルトヘイトの南アの名誉
白人が「キューバが世界の紛争に介入」と書けちゃう無神経!!!

 だから今だに労働運動を担う奴らでさえトンデモ和製英語「ブラック」(「ブ
ラック企業」・「ブラック大学」など)を使って喜んでいるのだよ。

名誉白人の日本人、「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動を
忘れるな!


【ですがもうひとつのこと、私にとても感銘を与えたのはキューバ人
がアンゴラ政府を遇する尊敬です。これは非常に重要です、なぜな
 らアンゴラ政府の生き残りは本当にキューバ次第だったからです。
 絶え間ない脅威だった南アの侵略に対抗するシールドとしてキュー
 バの軍隊が存在し、またキューバは非常に大規模で寛大な技術的協
 力をアンゴラに提供していました。そして特異な才は、このように
依存する政府をある種の優越でもてなそうとしました。これは私が
国際関係で決して発見したことがない驚くべきものです。特にアメ
 リカを研究する誰かさんやアメリカに住んでいる誰かさんに一撃を
食らわせます、なぜなら、まじめな話ですがアメリカ政府はワシン
 トンに依存する政府をほとんど尊敬をもって扱いませんから。】






▼米・キューバ関係 秘史  キッシンジャーが反アパルトヘイトのハバナへ 空爆
を計画したことが明らかに

http://democracynow.jp/dailynews/2014-10-02


◇南アフリカのアパルトヘイトの終焉をいかにキューバが助けたか、
 公表されてない歴史◇デモクラシーナウ!
http://www.fair-port.com/tama/No-411.html

12月10日火曜日のオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ
国家評議会議長との歴史的な握手に世界の目が集中するとき、アパ
 ルトヘイトを終わらせることでキューバが果たした重要な役割と、
カストロがネルソン・マンデラ追悼式で演説するために唯一招かれ
 た世界の5人の指導者のひとりだった理由について私たちは振り返
ります。マンデラは、キューバ人は"白人圧政者の無敵神話を破壊し
 た… そして南アフリカの大衆に闘うきっかけをもたらした"と言い
 ます。
 歴史家のPiero Gleijesesは、南ア政府にナミビアを自由にするのを
余儀なくさせて南アのアパルトヘイトの後ろ盾を乱すのを助けたの
 は、アンゴラ人民解放運動を支援したキューバが1988年アンゴ
 ラで勝利したことだったと主張します。

NERMEEN SHAIKH:バラク・オバマ大統領がキューバのラウル・
 カストロ議長と握手した火曜の歴史的瞬間に注意を向けます。どち
 らも南アの反アパルトヘイト指導者ネルソン・マンデラの追悼式に
参加しました。握手は予定外だったとホワイトハウスは言いました。
アメリカの大統領がキューバの指導者と握手したことでは2000
 年以来はじめてと記録されます。ワシントンでは共和党議員らがこ
 のやりとりについて非道と表現しました。

エイミー・グッドマン(番組司会者):オバマ大統領とラウル・カ
 ストロ議長の握手に関する騒動が南アの反アパルトヘイト運動とキ
 ューバとの緊密な関係に人の注意を引きました。1991年にネル
 ソン・マンデラは当時フィデル・カストロが議長のキューバを訪れ
 ました。これは二人がはじめて会ったときのクリップです。

ネルソン・マンデラ:私たちがなにか言う前に、あなたがいつ南ア
 フリカに来るのか、私に教えなければなりません。ほら、ダメです、
ちょっと待って、ちょっと待って。

フィデル・カストロ議長:なるべく早く。

ネルソン・マンデラ:私たちの友人、キューバ、我らの民を鍛える
 ことで私たちを助けてくれた、時の流れが私たちの苦闘に賛同する
算段を私たちに与えてくれた、医師やSWAPO(ナミビアの独立を
 めざした黒人の解放組織)として我らの民を訓練してくれた、あな
 たは私たちの国に来ていません。いつ来るんですか?

フィデル・カストロ議長:私はまだ祖国南アを訪問していない。訪
 問したい、あなたと南アフリカの人々を愛するようにホームランド
 として私は南アを愛している。

エイミー・グッドマン:さて、南アのアパルトヘイトを終わらせる
 ための苦闘でのキューバの欠かせない役割についてさらに詳細を知
るためにジョーンズホプキンス大学先進国際研究学校アメリカ外交
 政策教授のPiero Gleijeses に加わっていただきます。

Piero Gleijeses教授、ようこそデモクラシーナウ!に

 この欠かせない関係について、なぜキューバが反アパルトヘイト運
 動にとってそれほど根本だったのか、話してください。

Piero Gleijeses:キューバは、アパルトヘイトの軍隊に立ち向かわ
 せてアパルトヘイトの軍隊、南アフリカ軍をくじくために1975
 年、1976年、そして1988年と二度にわたり自国兵士を送っ
 た世界で唯一の国です。そして1991年6月、訪問先のハバナで
 ネルソン・マンデラは、1988年のアンゴラでの南アに対するキ
 ューバの勝利について言及しています。アンゴラでのキューバ人の
勝利、Cuito Cuanavaleが、私たちの大陸とわが国民のアパルトヘ
 イトの災いからの解放のターニングポイントであると言いました。

エイミー・グッドマン:ごくわずかしか知られていない国のために、
キューバの経験、アンゴラでの軍事介入について説明してもらえま
 すか?

PIERO GLEIJESES:はい。アンゴラの植民地脱却があります、ポル
 トガルの植民地は1975年11月に独立国になるはずでした。キ
 ューバが支援する運動組織(キューバ人はポルトガル人との闘いに
 おいて何年にもおよび支援しました)と南アフリカとアメリカが支
 援する他の2つの運動組織とのあいだに内戦があります。そしてキ
 ューバが支援する運動組織、自由な選挙で勝利して今日アンゴラで
政権を握るMPLAは、内戦に勝利する寸前でした。当時アンゴラの
CIA局長が私に話したことをわかりやすく言い換えると、最高の指
 導者と最高の計画を有する最も明確な政治意識を持った運動組織だ
 ったので、内戦に勝つ寸前でした。そしてMPLAの勝利を妨げるた
 めに1975年10月、ワシントンに駆り立てられて南アフリカが
侵略しました。そして南ア軍はルアンダに向かって進軍しました、
もしもフィデル・カストロが介入を決めなかったなら、彼らはルア
 ンダを占領してMPLAを壊滅させていたことでしょう。1975年
 11月から76年4月の間に3万6000人のキューバ兵がアンゴ
 ラに殺到して当時南アフリカが支配したナミビアに彼らを押し戻し
 たのです。

そして、これには南アについて話す南アの白人と黒人の双方に計り
知れない精神的インパクトがありました。そして主要な南アの黒人
の新聞 The Worldが、まだ南アの軍隊がアンゴラにいた1976年
 2月の社説にキューバ人が彼らを後退させている、南ア軍が中心の
 アンゴラを撤退したと書きました。彼らはアンゴラ南部にいました。
 書かれた記事は壁に貼られました。そしてこの新聞 The Worldは、
 「ブラックアフリカはアンゴラでのキューバの勝利によって生じる
波に乗っている。ブラックアフリカは完全な解放を成し遂げる可能
 性という酔わせるワインを味わっている」と書きました。そしてア
 ンゴラにキューバの軍隊が到着したのを知った1975年に彼は刑
 務所にいたとマンデラは書きました、そして何かを取り上げるのた
 めではなくてアフリカ人がその自由を成し遂げるのを助けるために
国が他の大陸からやってきたのはそのときが初めてだと書きました。

これは南アの解放へのキューバの最初の本当の貢献でした。白人の
巨人、アパルトヘイト軍隊が撤退を余儀なくされたのは今でも人の
記憶に残るはじめてのことでした。そして白人ではない軍のために
彼らは撤退したのです。国内の植民地主義という情況においてこれ
 はきわめて重要です。そしてそのあとキューバ人らは南ア軍からア
 ンゴラを守るためにアンゴラに残りました。キューバ人たちがアン
 ゴラの独立の引受人だったのをCIAでさえ認めました。そしてアン
 ゴラで彼らはマンデラのANC(アフリカ民族会議)を訓練しました。
 両者のあいだに非常に緊密な関係が創り出されました。
このまま続けますか、それともなにか質問で中断したいですか。

 (ゲバラの役割について中略)

エイミー・グッドマン:ここでアメリカのヘンリー・キッシンジャ
 ー元国務長官を引き入れます。フィデル・カストロがアンゴラに送
ったキューバの軍隊についてなぜアメリカが心配したかキッシンジ
 ャーが説明します。映像は「CIAとアンゴラ革命」から。キッシン
 ジャーの後、フィデル・カストロの話を聴きます。

キッシンジャー国務長官:アンゴラに関して、もしもソ連が断じて
伝統的なロシアの安全懸念でないそのような遠い所に介入する可能
 性があるとしたらと我々は考えた、そしてキューバの軍隊がもしか
 すると遠い紛争地域に差し込まれるとき、そしてもしも西側諸国が
 それに対抗力を見いだせないとしたら、そのときは国際的なシステ
 ム全体が不安定になりうると我々は考えた。

カストロ議長:それは、アメリカの全世界に広められる圧力と嫌が
 らせに向かい合う世界化する私たちの闘いという問題だった。これ
 に関して、ソ連の見解と一致しなかった。私たちは行動した、けれ
 ども彼らの協力なしにだ。まるっきり正反対。

PIERO GLEIJESES:オーケー、2つのポイント。ひとつは、南アの
侵略に答えてキューバ人らが介入したことや、アメリカが南アと共
 謀して南アに侵略するようせきたてたことにキッシンジャーは言及
しなかった。つまりここではむしろ重要な年代順配列の問題があり
 ます。

 二つ目のポイントは、日常的に非常に尊大な人物のキッシンジャー
 が間違いをしたと認めます。彼の間違いはキューバ人がソ連の代理
として介入したと言っていることです。そして実はそれはキューバ
 の決定でキューバ人が介入してソ連の眼前に既成事実を突きつけた
 と、彼は回想録に書きます。そうして回想録のなかで彼は質問をし
 ます、なぜカストロはこの決定をしたのか?と。そして、フィデル・
 カストロはたぶん「当時、権限のある最も誠実な革命の指導者だっ
 た」というのがキッシンジャーの答えです。実際に真実であること
 を少しは言っている回想録のキッシンジャーと二人のキッシンジャ
 ーがいます。

エイミー・グッドマン:フロリダ選出の下院議員がジョン・ケリー
 を攻撃しているのは耳に入ってますね。ソウェトスタジアムでのオ
 バマ大統領とラウル・カストロ議長の握手の重要性。

PIERO GLEIJESES:それはどうしようもない、アメリカの倫理とア
 メリカの政策を反映すると思います。オバマ大統領は南アで話をす
 るときなど喝采して迎えられます、彼がアメリカの初の黒人大統領
だからです。しかし南アの解放に苦闘する、国として政府としての
 アメリカの役割、過去の政府は恥ずべき役割です。日常的に私たち
 はアパルトヘイト政府の側にいました。そしてキューバの役割は解
 放に賛成するみごとな役割です。この特定の問題より先に出る握手
はとっくに行われてよいものです。通商停止は不合理で不道徳です。
そして私たちの大統領はサウジアラビアの王にお辞儀する大統領で
 す、サウジがまったく民主主義でないのは確かです。私が言ってい
 るのは、オバマはまったくこれをわかるべきだということです。で
 すから不合理な状況です。オバマに関する問題は彼のスピーチはよ
 いということ、彼のジェスチャーはよいがフォローアップがまった
 くありません。なので残念ながら握手はただのジェスチャーです、
 恥ずべきアメリカの政策を変えない待望のジェスチャーです。

NERMEEN SHAIKH:1分だけあります。この歴史について、キュ
 ーバのアーカイブにおけるリサーチであなたを最も驚かせたことは
何だったか話していただけますか?

PIERO GLEIJESES:さて、多くのことがあります。ひとつはソ連に
相対しているキューバの独立政策です。フィデル・カストロとゴル
 バチョフのあいだに衝突があります。アンゴラでのキューバの軍事
 的任務の指導者とソ連の指導者とのあいだに衝突があります。私の
本の中で実際に引き合いに出していることで、読んで本当にひどく
魅了されます。

ですがもうひとつのこと、私にとても感銘を与えたのはキューバ人
がアンゴラ政府を遇する尊敬です。これは非常に重要です、なぜな
 らアンゴラ政府の生き残りは本当にキューバ次第だったからです。
 絶え間ない脅威だった南アの侵略に対抗するシールドとしてキュー
 バの軍隊が存在し、またキューバは非常に大規模で寛大な技術的協
 力をアンゴラに提供していました。そして特異な才は、このように
依存する政府をある種の優越でもてなそうとしました。これは私が
国際関係で決して発見したことがない驚くべきものです。特にアメ
 リカを研究する誰かさんやアメリカに住んでいる誰かさんに一撃を
食らわせます、なぜなら、まじめな話ですがアメリカ政府はワシン
 トンに依存する政府をほとんど尊敬をもって扱いませんから。

エイミー・グッドマン:ジョーンズホプキンス大学、SAIS(先進国
 際研究学校)のアメリカ外交政策の教授。私たちはあなたの本のプ
 ロローグを番組のウェブサイトに掲示します。『Visions of
 Freedom: Havana, Washington, Pretoria, and the Struggle for
 Southern Africa, 1976-1991』という本がノースカロライナ大学プ
 レスから出版されたばかりです。

http://www.democracynow.org/2013/12/11/the_secret_history_of_how_cuba


■マンデラと第三世界 

2014年2月14日

http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?m=201402



『現代思想』(青土社)2014年3月臨時増刊号「総特集 ネルソン・マンデラ」掲載

・・・

ふたつ目は、マンデラがキューバやパレスチナに対して抱いていた思いを浮かび
上がらせることである。マンデラは監獄から釈放されて間もない1991年、革命記
念日の7月26日にキューバを訪れている。キューバは1975年から91年にかけて総
計42万5000人に及ぶ兵士を、南アフリカ共和国の近隣国・アンゴラに派兵してい
る。長い闘争の果てにポルトガル領植民地から独立を遂げた社会主義国・アンゴ
ラに、まだアパルトヘイト体制下にあった南アフリカ共和国政府は兵を送り込
み、体制の転覆を企てた。近隣国における革命的な高揚は、自国のアパルトヘイ
ト体制をも揺るがす可能性を秘めていることを、彼らは敏感に察知したのであ
る。内戦も激化し、アンゴラ政府は友好国・キューバに派兵を依頼し、これに
キューバ政府が応えて支援部隊を派兵した。この派兵問題については多角的な観
点から検討したい重要課題がいくつもあるが(そのための萌芽的な問題提起を、
私は1998年に書いた「第三世界主義は死んだ、第三世界主義万歳!」で行なっ
た。『チェ・ゲバラ プレイバック』所収、現代企画室、2009年)、それは別な
機会に譲り、ここではマンデラの観点からのみ書くに留めたい。

マンデラは、キューバ革命が帝国主義による度重なる妨害を克服して、とりわけ
医療、教育などの分野で重要な成果を上げていることを強調した後で、キューバ
が一貫して国際主義的な任務を果たしていることに注目している。とりわけ
チェ・ゲバラの革命的な遺訓に触れて、「他ならぬ我が大陸における活動も含め
て、あまりにも力強いものだったので、検閲に勤しむ獄吏といえどもすべてをわ
れわれから覆い隠すことはできなかった」。

 「にわかには信じられないような規模のキューバの国際主義者たちが、アンゴ
ラ人民支援のために派遣されたと最初に聞いたとき、私は獄中にいた。アフリカ
にすむわれわれは、いつも、われらが領土を侵略したり主権を転覆しようとした
りする国々の犠牲にさらされてきた。われわれを擁護しようとする、他地域の人
びとがいたなどとは、アフリカ史上初めてのことである」。アパルトヘイト体制
がアンゴラに派遣した軍隊をキューバの部隊が打ち破ったキート・クアナバール
の戦闘が、アンゴラの勝利とナミビアの独立にとっての決定的な要素であったこ
とを強調した後で、同時にそれは「白人抑圧者の不敗の神話を打ち砕く」もので
あり、「南アフリカの内部でたたかう人びとを鼓舞した。あそこで人種差別の軍
隊が敗北したからこそ、われわれは、今日、こうしてここにいるのだ」。キュー
バ兵のアンゴラ派兵に関しては 先に述べたように、私には総合的に分析したい
問題が残っている。しかし、マンデラからすれば、それは、南アフリカ民衆がア
パルトヘイト体制から解放される道を、速度を速めて用意したのである。

パレスチナ解放闘争に寄せた支援も含めて、マンデラの思想と実践には、このよ
うに、日欧米諸国の首脳には本質的に受け入れがたい性格のものが確固として貫
いている。それを明確に押し出し、彼らによる囲い込みからマンデラを救い出す
こと。それが、ここでの第一義的な課題となる。


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