[CML 045777] 映画「君の名は」批評。 塩見孝也 2016 年 11 月 23 日
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2016年 11月 24日 (木) 23:25:45 JST
新海誠監督の長編アニメ『君の名は』が8月の封切以来、評判となっており、興行成
績もこの5〜6年位ではではダントツに良い。これは、アニメ映画の興行成績において
5本の指に入ると報道されています。映画そのものが動員力を失っている現代では、こ
のことは戦後創作された全映画の中でも、5本の指に入る、と言えるのではなかろうか
?
この作品は、世界から注文が多数来ていることからして、興行成績はもっともっと上
がるであろう。
かくなれば、一応は観て置くべきであろうと思い、出不精の僕は、遅ればせながら、
近場(ちかば)の西武池袋沿線近くの某映画館に足を運んだ次第です。
観終わった感想としては、一度は、観て置くに越したことはない映画であるが、それ
以上ではない、に落ち着かせたつもりですが、それでも、どうも腑に落ちず、三日三晩
ぐらい、この映画について、あれこれ考え続けました。
いろんな批評が雑然と僕の中に渦巻き続け、とうとう僕は可なり強度な歯痛に襲われ
る始末と相成りました。
そして、この映画のテーマは、何であるのか、に的を絞り切り、そのテーマを確定し
た段階で、やっと僕は落ち着きを取り戻しました。その次に、なんでこのような映画名
をつけたか、などにも思考が及び、1953年の菊田一男の同名の「君の名は」(旧「
君の名は」と言っておきます)と比較したりもしました。
こうして、簡単な映画評をミクシー書いてみよう、と思い立ったのでした。
●主人公の男女が入れ替わったりするのは、今の時代の御馴染みの手法で別に珍しく
は
ないのですが、この監督の手に掛かると、入れ替わった男女の心理、精神描写が、活気
を帯びて行き、外界も全く別の様相を持って登場してくるし、入れ替わった事態で見る
≪夢≫の映像化は特に印象深かった。 時間を前後させながらのストーリー展開は、や
や観客を戸惑わせ、理解しにくくさせているのでは、とも感じました。ともあれ、何と
いっても、この作品が持つ、自然描写が、首都東京と対比されつつ美しく表現されてい
るのは素晴らしい限りでありました。しかし、自然描写に限らず、直近の現代日本社会
の文化、政治。思想状況、堅苦しくいえば、庶民の労働し、生産し、生活する映像が、
極めて的確で秀逸なのです。特に高校生の男女の生き様、恋愛模様のきめ細かい描写は
秀逸でした。
彗星落下の場所、「糸盛町」は岐阜県の山奥、飛騨市ではないか、とされていますが
、僕も含めた大方の見当は、長野県諏訪湖の沿岸と思われます。どうも新海にとってこ
の付近は何らかの思い入れのある地域のようだ。新海のこの地域の自然、習俗描写は古
神道の素養を表出していました。
● だが、このアニメ映画のテーマは、如何に自然描写、或は、社会描写を卓越させ得
る
かを目的、テーマとしているわけでは全くない。
結論から言えば、このアニメのテーマは、現代の時代の日本・世界を日々を生き歳、
生きる人々が押しなべて予感する、≪不安≫をどれほど、アニメの手法を使って、如何
ほど映像化してゆけるかに設定されていると思う。
この≪不安≫は、あらゆる方面で、覚知されつつある、世界の≪破局≫が近づきつつ
あ
る、という予感のことなのだが、にも関わらず、それは、はっきりしているようで、実
は茫漠とし、得体が知れないような事柄であり、ある程度、(唯物論の)科学で措定出
来るにせよ、そこには、沢山の零れ落ちる問題があるわけで、その真の正体をアニメと
いう手法で、如何ほど全体的に具象化して、映像化するか、このことにこの監督のテー
マ設定があったのでは、と僕は結論しました。
とは言っても、監督は、科学の限界を、宗教やその終末思想で補完しよう等とは夢に
も考えていない。監督は、科学を前提にしつつも、その限界を、アニメ言葉を使って、
独自の映画表現でもって「不安」の正体を描き出そうとしているのであろう。
現代は「<世界の破局>が近づきつつある」ということにおいて、以前の時代とは比
較にならない程、より具体性、確実性を帯びて感じ取られる時代である。
監督はこのような≪不安感≫を彗星落下の仮説を持ち出したり、男女高校生の恋愛模
様を通じて、それも男と女が入れ替わりや、そこから生ずる≪夢≫もって、その想像的
に措定、表現しようとしたものと思われます。
●一見、物質的「豊かさ」と「平和」な日本の状況。しかし、一皮めくれば、これを切
り裂くよう様な障害者の大量刺殺事件らら無数の悲惨な事件の激増、沖縄での米兵によ
る数々の日本女性の暴行事件、朝鮮国の連続核実験やミサイル発射。朝鮮半島や東と南
のアジアの不安定極まる領土紛争の事態、アラブ、アフリカの果てしない殺し合いの状
態、テロ、難民――或は、これまでとはまったく質の違う時代への転換を予感させるよ
うな大統領選挙戦が太平洋の向かい側の国では展開されていた。不安定極まる国際情勢
。或は、数を恃んでの安倍政権の9条改憲や原発再稼動、核独占国への追随の事態、集
団安保や沖縄問題の事態。以上は、政治言葉で語られる不安の諸事象であるが、新海は
これを芸術表現としてのアニメ言葉を駆使し、表現しようとする。 アニメ言葉の方が
、ある面で、より深く、広く、本質に迫れることもあるのである。
彼は一方で彗星落下の悲惨な事態に象徴させ、他方では、自然の美しさや恋愛の行方
のハッピーエンドの未確定性、すれ違いのもどかしさとして、このような不安を表出し
ようとしているのであろう。
● それまで、ラジオで放送され、その後、松竹で、1953年映画化された「君の名
は」
は、「国民的映画」と言って良いであろう。菊田一男原作、佐多啓二と岸恵子演ずる春
樹と真知子のラブロマンスで、この映画もすれ違いが重なるもどかしさがあった。
朝鮮戦争があり、やっと日本は、「敗戦」の痛手からの立ち直りを掴みかけてきた時
代である。 数寄屋橋で出会った恋人同士は、一つのりんごを分け合うような未だ日本
が貧乏国であったような時代の物語であった。
しかし、貧乏ではあったが、貨幣物神の合理主義は、未だしょうけつしていず、男女
の平等もやっと緒に就いたばかりの時代であったろうが、しかし、生きるための理想、
目的、希望があった時代といえる。
大局的に見れば、活力と明るさが差し込み始めた時代であった。この意味で、宮水二
葉と溝口俊樹が抱えるような、≪不安≫な時代ではなかった、と言って良い。
あれから、71年が過ぎようとしています。
この≪不安≫を乗り越えてゆくには、全ての日本民衆、国民が、真に自主、自立し、
強い意志を持ち、協働、共同し、自力更生で、インターナショナルに闘い抜き、与えら
れたものを真に自分の思想的、政治的営為でもって変革して行く以外に道はないと思い
ます。
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