[CML 045482] ドゥテルテ大統領と.軍拡.虐殺.人権侵害を放置しての日本韓国フィリピンの友好はなく日本の歴史を直視し日本―フィリピンの軍事協力強化に反対する声明してこそ友好が生まれます。
dctthanks at excite.co.jp
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2016年 11月 1日 (火) 10:30:39 JST
日本政府はアムネスティ等人権団体から批判されているフィリピンの麻薬撲滅対策に対して批判する声明を出していない等日本政府の人権意識が欠けておりフィリピン日本双方の人権尊重を求め日比軍事協力の強化に反対しフィリピン人元慰安婦等問題を訴えてゆく必要があると思いました。フィリピンで韓国人殺害事件が相次いでいます。。日本の人々に聞きたい。イスラム教徒を女性を差別し壁を作り分断し戦争しようとするトランプ氏のように差別を助長し麻薬撲滅の名の下市民を虐殺するフィリピンのドゥテルテ大統領が親日だといえますか?。日本と韓国とフィリピンの平和と友好は大統領等政府間ではなく市民同士.民間同士の繋がり交流を増やすことによって生まれると思います。
ドゥテルテ大統領は支持率は高いがホロコースト(国際人権法違反のジェノサイド)を行っており大統領の資格はなくICCによって裁かれるべきだと思います。
【緊急】市民の命を奪うフィリピン大統領を止めて!
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/philippine_201608.html
フィリピンでは6月30日にロドリゴ・ドゥテルテ新大統領が就任しました。ドゥテルテ大統領は、選挙で薬物犯罪を厳しく取り締まることを公約に掲げており、就任直後から警察や自警団が薬物取引に関与したとみられる容疑者を殺害する事件が相次いでいます。
薬物取引に関与するような犯罪者は他の犯罪に手を染める可能性が高く、治安を悪化させる、だから撲滅しなければならない、とドゥテルテ大統領は主張しています。そのため、「犯罪者は射殺だ」「逮捕に抵抗したら射殺する」「麻薬王、薬物犯罪の資金元、薬物密売人が一人残らず降伏し、投獄されるまで闘おう。向こうがその気なら埋葬されるまで手をゆるめるな」と警察などに呼びかけていました。
地元メディアは「麻薬戦争」と呼び、大勢が殺されていると報じています。レナート・ベルテスさんとジェイビー・ベルテスさんは、薬物反応の検査のために連れてこられたメトロ・マニラの警察署で殺害されました。18歳だったジュリウス・ラビーナさんは、家の外で、薬物犯罪の容疑者とされる父親を探していたオートバイの男に射殺されました。ジェファーソン・バンナンさん、いとこのマーク・アンソニーさんは、密売人を探して警察が家宅捜索したとき、その場で射殺されました。
このような殺害は国際法や国際基準により禁止されています。国連の法執行官のための行動綱領は、警察官は人権を保障する措置をとらなければならず、武力の行使は絶対的に必要な場合に限るとしています。警察官は市民を守るためにいるのであって、命を奪うためにいるのではないからです。力で対応する前に、力を用いず対応しなければなりません。
フィリピン:もう許さない!警察による拷問
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/philippine_2015.html
フィリピン:ドゥテルテ大統領のもとで絶えぬ殺害
http://www.amnesty.or.jp/get-involved/ua/ua/2016ua186.html
関東大震災と朝鮮人虐殺
http://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no48/kikou1.htm
寄稿
関東大震災と朝鮮人虐殺
後 藤 周
関東大震災 (1923年 9 月 1 日) は関東地方に大きな被害をもたらしました。 とりわけ横浜市は中心部が壊滅し、 市内95%が倒壊・焼失、 死者・行方不明者26,600人、 住民の92.4%が罹災する大災害となりました。 県庁、 市役所、 そして 7 つの警察署のうち 6 署が倒壊・焼失し行政は機能せず、 救援、 治安活動の最もおくれた地域でした。 このような状況の中で、 1 日夜には市南部の避難地では 「朝鮮人が襲ってくる」 という流言が生まれ、 朝鮮人虐殺が 2 日、 3 日と全市に拡大します。 流言から虐殺という動きは東京、 千葉、 埼玉など関東地方全域で起こり、 多数の朝鮮人が虐殺されました。 関東大震災の朝鮮人虐殺について、 できるだけ横浜の事実を見ながら考えてみたいと思います。
1. 朝鮮人虐殺の実相
横浜には大震災の後に小学校で書かれた子どもたちの作文集が残っています。 そのうち南吉田第二小、 寿小、 石川小は学区を接しており、 火に追われた子どもたちはほぼ同一地域に避難しています。 横浜でもっとも早くデマの流れた中村町から根岸にかけての地域です。 作文は、 この地域の警察と人びとが一体となってむかった虐殺のようすを生々しく伝えています。 その幾つかを紹介します。 (朝鮮人のことを 「鮮人」 と書いている子どももいます。 蔑視を含んだ言葉で現在では使いませんが、 原文通りにしています。)
南吉田第二小6年 1日夜、 稲荷山
ワーワーという叫び声。 「朝鮮人だ」 「鮮人がせめてきた」 という声がとぎれとぎれに聞こえた。 あまりのおどろきにどうきは急に高くなった。 きん骨たくましい男の方たちはそれぞれ竹を切って棒にしたり、 ハチマキをしたりと用意にいそがしくなった。 …何百何千の山の上にいる人々は、 ただただ朝鮮人が来ないように神に願うほか道はありませんでした。 万一の用意にと女子供までも短い棒をもった。 そして今来るか来るかと、 私とお母さんはたがいにだきあって、 他の人々とすみの方へ息をころしてつっぷしていた。
南吉田第二小6年 1日夜、 稲荷山
おまわりさんが 「朝鮮人が刃物をもってくるから、 来たら殺してください」 と言って来ました。 ぼくはそれを聞いたとき、 びっくりしました。 ぼくは兄さんとナイフをもって竹林に行って、 まっすぐでじょうぶな竹をとって竹やりを三本こしらえてくると…
寿小高等科1年 1日夜〜2日朝:横浜植木会社、 唐沢交番 (寿署仮警察署)
「私、 朝鮮人あります。 らんぼうしません」 といいながら、 私たちにむかっていく度も頭をさげておじぎをしました。 そこへおおぜいの夜警の人が来て…いくら何をされても朝鮮人は一言も話さなかった。 しらべていた人が 「おい、 しかたがねえから警察のだんなの前でお話しろよ」 そういいながら、 おおぜいでよってたかってかつぎあげて門の方へと行ってしまった。 翌朝…寿警察の前をとおりこそうとすると、 門のなかからうむうむとうめき声が聞こえてきた。 私はものずきにも昨夜のことなど、 けろりとわすれて、 門のなかに入った。 うむうむとうなっているのは五、 六人の人が木にしばられ、 顔などはめちゃめちゃで目も口もなく、 ただ胸のあたりがぴくぴく動いているだけだった…
石川小高等科2年 2日朝:自宅 (相沢付近)
…明け方である。 巡査が来て、 今、 桜町方面へ十五、 六人の鮮人が、 松明をつけて残家を焼きつくすと言っておしよせたから用心せよ、 と言って走った。 さあ、 それからと言ふものは、 米がないからじゃがいもをゆでて腹をこしらえ、 大事な物は皆かくし、 又、 極大切な物は持ち、 家はくぎ付けにして来るのをまった。
寿小高等科1年 2日朝:山元町の交番
「朝鮮人が交番にしばられているから見に行かないか」 と大きな声で言っていました。 …朝鮮人は電信にゆわいつけられてまっさおな顔をしていました。 よその人は 「こいつはにくらしいやつだ」 と竹棒でぶったので、 朝鮮人はぐったりと下へ頭をさげてしまいました。
寿小高等科1年 2日朝:横浜植木会社付近
道のわきに二人ころされていた。 こわいものみたさにそばによって見た。 すると、 頭はわれて血みどろになって、 しゃつは血でそまっていた。 みんなは竹の棒をつっついて 「にくたらしいやつだ。 こいつがゆうべあばれたやつだ」 と、 さもにくにくしげにつばきをはきかけていってしまった。
2. 作文から読み取れること
(1) 人々が 「朝鮮人襲撃」 のデマを信じこみ、 恐怖と憎悪のなか武器をもって虐殺にむかったようすがわかります。 朝鮮人が襲ってくることは実は 1 件もなかった、 その事実が大震災後も伝えられていないこともわかります。 作文は震災の半年後に書かれたものですが、 虐殺への反省や自覚はありません。 「外人が我々のいる所へ来てあばれるなんて、 腹立たしい。 そこへ来て、 鮮人だと聞いてなおさらくやしい。 我が国でありながら、 ああ、 殺してもものたりない」 と書いている子どももいます。
(2) 警察官が朝鮮人襲撃や放火のデマを人々に告げていることや捕らえられた朝鮮人が交番へ連行され、 交番に殺された朝鮮人がしばられていたことを子どもたちは証言しています。 自警団は警察の指導の下に組織されたものもありますし、 少なくとも警察の公認、 黙認のもとに武器を手に取り虐殺にむかっています。 これが 「天下晴れての人殺し」 という意識を民衆に持たせていきます。
3. なぜ、 朝鮮人虐殺は起こったのか
第一に、 政府・行政の動きがあります。 大災害に際して、 正しい情報を伝え、 人々に冷静な行動を呼びかけて安全をはかるのが政府の役目です。 ところが、 政府は当初はデマを肯定し、 朝鮮人への警戒を呼びかけました。 例えば内務省警保局長から各地方長官 (知事のこと) 宛の電報があります。 東京の電信所が壊滅したため、 2 日午後伝騎により船橋海軍送信所へ送られ 3 日午前 8 時15分に打電されたものです。 「東京附近の震災を利用し、 朝鮮人は各地に放火し、 不逞の目的を遂行せんとし、 現に東京市内に於て爆弾を所持し、 石油を注ぎて放火するものあり。 既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、 各地に於て充分周密なる視察を加へ、 鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし。」 次に、 出動した軍隊、 警察の行動があります。 当初はデマを信じての治安行動ですから軍隊による虐殺、 警察官が自警団と一緒になって虐殺を引き起こしています。!
(B 従来から軍隊の虐殺証言はありましたが、 1993年に始まった松尾章一氏たち研究者の東京都公文書館、 防衛省防衛研究所図書館、 国立公文書館の史料発掘によって関東戒厳令司令官 「震災警備の為兵器を使用せる事件調査表」 が発見され、 東京、 千葉の軍隊による虐殺が軍の史料によって明らかにされています。
横浜の場合も 2 日に上陸した海軍陸戦隊は、 朝鮮人放火などのデマを肯定する報告を送っていますし、 加賀町署とともに 「不逞者防圧」 に出動したとあります。 寿小の作文では、 兵隊が 「朝鮮人と戦うために来たのだ」 と言ったと書かれています。 また先にあげた震災作文のように、 警察によるデマの肯定、 伝播があったことは明らかです。
このような政府・行政の動きの背後に朝鮮支配という絶対的な敵視・敵対関係がありました。 朝鮮の支配があり、 民族運動への弾圧があり、 それが朝鮮人への強い恐れと警戒となったのです。 大災害による治安の不安が、 軍隊による虐殺、 警察による自警団の組織化と民衆による朝鮮人虐殺を生み出したのです。
最後にデマを信じ虐殺にむかった民衆の問題があります。 目の前にいたのは朝鮮から仕事を求めて来ていた出稼ぎの朝鮮人労働者です。 地震に逃げ惑い火に追われた同じ被災民でした。 その実像とかけ離れたデマを容易に信じたのはなぜでしょう。
日本の朝鮮支配がありました。 植民地となったため朝鮮の農民は土地を失い生活が苦しくなり、 日本へ働きにきました。 差別のため日本人よりも低い賃金で建設現場や工場で働きました。 きびしい状況の中にあってもけんめいに働き生活をしていました。
多くの日本人はこのような朝鮮人の姿を理解できませんでした。 日本語のしゃべれない出稼ぎ労働者に対しては無関心でした。 植民地の人びとと見下し、 べっ視しました。 また、 独立運動を見て危険な人びとと警戒し、 恐れもしました。 無関心・無理解、 べっ視や何をするかわからない危険な人びとと見る偏見や差別が、 デマを広げ虐殺をひきおこしました。 偏見や差別が人を殺す、 関東大震災の虐殺はこうして広がったのです。
4. 朝鮮人虐殺から学ぶこと
デマが広がり虐殺が激しく行われた 2 日、 3 日、 少数ですが朝鮮人を守った日本人がいます。 その多くは土木請負業、 木賃宿営業など日頃から朝鮮人労働者と接していた人々です。 また、 田島町助役の栗谷三男や鶴見警察署長大川常吉がいます。 大川署長のことは地元の佐久間権蔵の 「日記」 や当時町議だった渡辺歌郎の手記 「感要漫録」 の発見によってその朝鮮人保護の経過が明らかになりました。
朝鮮人、 中国人約400名を警察署に収容保護した大川は、 朝鮮人追放を叫ぶ町民を粘り強く説得しています。 「恐るべき朝鮮人」 「憎むべき朝鮮人」 「悪魔」 とまで言って追放を要求する町議たちに確かな事実を示して、 「デマを信じるな。 彼らは鶴見で働く労働者であり、 あわれな被災者だ」 と反論し説得に成功します。 そして、 町の有力者、 町議たちの協力によって、 警察署の朝鮮人を襲おうとする町民の動きを止めます。 警察官という立場からであっても朝鮮人の親方たちとの日常のかかわりは、 この人たちを殺してはならないという強い思いとなって、 迫害される朝鮮人を守りぬいたのです。
関東大震災の朝鮮人虐殺は繰り返してはならない重い歴史事実です。 それは政府・行政の朝鮮人の抵抗運動に対する恐怖、 警戒から生まれました。 その背後に日本の朝鮮支配という絶対的な敵対関係がありました。 そして、 日本の民衆は目の前の朝鮮人労働者の存在に無関心でした。 かかわりが薄く、 関心のないところには理解は生まれず、 蔑視や偏見が育ちます。 そして、 朝鮮人労働者の実像からかけ離れたデマを容易に信じ、 虐殺へとむかったのです。
私たちが学ぶこと、 それは平和な国際関係 (敵対する国や民族をつくらない)、 社会のマイノリティへ関心をもつこと、 かかわりの大切さ、 理解、 そして、 正しい理解を実現する勇気、 人々を説得する力です。
「たとえ自分の身を犠牲にしても朝鮮人を保護するのは、 それが私の警察官としての責任であり、 また人の道に従うことだからです」 当時の史料 (中島司 「震災美談」 1924年 7 月) が伝える大川常吉のことばです。
(ごとう あまね 在日外国人相談センター・信愛塾理事)
8月11日、東京ウィメンズ・プラザにて、8月14日を、日本軍「慰安婦」メモリアル・デーを国連記念日に「戦時性暴力の被害者から変革の主体へ」と題された国際シンポジウムが開催されました。
なお、日本軍「慰安婦」問題について基礎的なことから学びたい方は、こちらのサイトをご覧ください。
今回は、午前中、フィリピンから来られたエステリーダ・デイさんの証言を中心に報告します(次回?では、午後の部を紹介します)
本シンポジウムは、韓国の元「慰安婦」にさせられた金学順(キム・ハクスン)さんが、日本軍性奴隷制度について世界で初めて長い沈黙を破った8月14日を、国連記念日にするための連帯のためのシンポジウムでした。
元「慰安婦」にされたフィリピン人女性の証言ほか、元国連安全保障理事会の議長を務めたアンワウル・チャウドリーさんの講演、そして、長きにわたり韓国の元「慰安婦」にされたハルモニたちを支援してきた、尹美香(ユン・ミヒャン)さんの「日本軍「慰安婦」被害者が変革の主体となるとき」という講演、そして岡真理さんによる記憶の普遍化をめぐる議論など、とても重いシンポジウムでした。その一方で、閉塞した日本社会を少しでも開放できる切り口を示すような、わたしたちに希望を与えてくれたシンポジウムでもありました。
開会の挨拶に立たれた、梁澄子さん
オレの心は負けてない―在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい
出版社:樹花舎( 2007-09 )
定価:¥ 1,728
単行本 ( ページ )
ISBN-10 : 4434110756
ISBN-13 : 9784434110757
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梁さんからは、1991年8月14日、金学順さんの勇気ある証言以降、22年間の長く、重い歩みが紹介されました。被害者女性たちは、被害に関する証言をするなかで、自らの被害の意味、自分自身が価値ある存在であること、そして活動家の一人となっていくこと、翻って彼女たちを支える運動のあり方も被害者の証言を聞く中で変化してきたことを語り、本シンポジウムの意味を説明されました。
ずっと宋神道さんの訴えに耳を傾けられてきた梁さんの経験に裏づけられた、開会の挨拶だったのだと思います。
わたしがこれまで伺ってきた証言は、その多くが韓国の女性被害者たちのものでした。フィリピンでの被害状況をみると、日本軍は略奪するかのように女性たちを連行したことが分かります。また、フィリピンでは「アジア女性基金」の受取がすすみ、あたかも補償がなされたかのように喧伝されていますが、被害者女性たちは教科書記載をはじめ、今なお日本政府による正義の回復を求めていることがよく分かりました。
まず、フィリピンでのデモの様子のビデオが流されました。
来日が予定されていたのですが、体調が思わしくなく来日が適わなかったピラール・フィリアスさんはビデオ出演でした。
彼女はビデオを通じて、正義を返して、謝罪と補償をしてほしい、教科書でわたしたちのことを教えてほしいと訴えられました。
「これがわたしの物語」だと。
エステリータ・デイさんの証言
1942年12歳の頃、日本軍がやってきた。家族は、さとうきび園経営をしていた。
14歳になって市場で鳥や野菜を売っていたさい、日本軍がトラックでやってきた。そして、市場でゲリラ兵を殺し始めた。みな逃げ始めたが、自分は逃げ遅れ、トラックへ連行された。駐屯地にそのまま連れていかれ、ある部屋でレイプの連続。抵抗すると、壁に頭を打ち付けられて意識を失う。ほかのフィリピン人女性リンダに「日本兵には抵抗してはならない」と。
3日はリンダのおかげでレイプを免れた。だが、その後は、3週間のあいだずっとレイプされ続けた。
1993年ラジオで『慰安婦』として名乗り出るようニュースが流れ、最初は恥ずかしいと思ったけど尊厳を取戻すために名乗り出た。
デイさんは、 被害者の一人として政府に、謝罪、歴史教科書への記載、合法的な補償、この三つができて初めて被害者への正義が回復されるのだと訴えられました。戦争を二度と起こしてほしくない、と。
午前の部では最後に、ロラを支援する、リラ・フィリピーナの活動家、レチルダ・エクストレマドゥラさんの話がありました。
彼女の言葉で、わたしの心にとどめておきたいと思った一言は、 「記憶することで再び繰り返さないこと」という言葉です。長い支援活動を通じて、梁さんと同じように、レチルダさんもまた、ロラたちは、当初被害者、そしてサヴィヴァーとなり、その後活動家へと変遷しているのだと強調されました。ロラたちはいまでは、フィリピンにおける外国軍の性被害者の支援もしているとのことでした。
レチルダさんの話から、当初恥ずかしく人前にも出れなかった かつての被害者たちが、21年間戦い続けるなかで、どのようにエンパワーされ、今では、性被害にあった女性たちを勇気づける活動をするように変遷してきたことがよく理解できました。1992年に最初に被害を名乗りあげてから、自分たちは侵略戦争の被害者であることを理解し、ずっと正義のために絶え間なく闘ってきたそのなかで、彼女たちは尊厳を取り戻していくのです。
また、3年半の日本軍の占領期のレイプについて詳しく話していただきました。
フィリピンでは、174の強姦事件だけが記録に残されたが、この間「慰安所」はフィリピン中にあった。明らかに日本軍による強制されて拉致、強制に性奴隷にされた、と訴えられました。フィリピンのゲリラ掃討のなかで、女性たちは、日本軍によって腰に縄をつけて引き回されたのです。
最後に、現在のロラたちの状況について。
174名のうち73名が死亡し、街頭での抗議行動に参加できるのは、6-10人しかいない。(リラ・ピリピーナ以外のグループで支援を受ける被害女性たちはまだ他にいます)。
法廷闘争はもう疲れた。国連での動きはあり、戦争犯罪だと認め勧告を出してくれているが、日本政府はまったく動かない。最高裁でも却下されている。そんななか、街頭で訴えるしか道がないが、ロラは年老いていく。
強制された証拠は、証人の記憶のかなにあります、として、最後に日本の市民に向かってアピールされました。
これが歴史的な真実です。みなさんこそが、みなさんの政府に圧力をかけることができます。日本政府を変えることができるのは、あなた方なのです。よい歴史であっても悪い歴史であってもそれを直視しなければなりません
日本―フィリピンの軍事協力強化に反対する声明
http://www.awcjapan.org/2016/201604-002.html
安倍政権による3月29日の戦争法施行から、一挙に自衛隊海外派兵が強まっています。先日、自衛隊の戦艦がフィリピンのスービック港に寄港しました。この時期、つまり4月4日から15日まで、フィリピンでは米比合同軍事演習が大規模に行われていました。これは朝鮮半島のフォールイーグルなど米韓合同軍事演習=朝鮮侵略の核戦争演習と重なっていました。このように、米軍が軸となって自衛隊、韓国国軍、フィリピン国軍が集団的な戦争演習を繰り広げることが、東アジアで強められてい ます。
フィリピンには、米軍が使用しその内部に軍事施設を拡大できるフィリピン基地が今後、5つ以上増える状況にあります。ルソン島にあるフォート・マグサイサイ基地とバサ基地、ビサヤ地方のマクタン・ベニート・エブエン基地、ミナダナオ島のランビア基地、そしてスプラトリー諸島に近いパラワン島のアントニオ・バウティスタ基地といったフィリピン基地を米軍が使用します。事実上、フィリピンが「米軍の不沈空母」とされる事態にあります。そこに、日本とフィリピンの軍事協力が強まっています。
こうした米日と韓国・フィリピン、オーストラリアの集団的自衛権をもってする戦争同盟の強化とは、朝鮮民主主義人民共和国への侵略戦争態勢の強化であり、 大国化した中国の地域覇権に対抗した軍事包囲網であることは明らかです。
そればかりではありません。東アジアから東南アジア・南西アジア、そして中央アジア、中東・北アフリカにおいて、欧米日帝国主義とその同盟国による支配からの解放をたたかう各地の労働者・人民のさまざまな実力決起を軍事的に鎮圧することも目的とされています。
いわゆる「対テロ戦争」です。アジア太平洋地域の労働者・人民による帝国主義勢力たちの侵略戦争と新自由主義的略奪を阻止する国際共同行動がますます問われています。「対テロ」を口実とした侵略戦争と治安弾圧、排外主義の強化を粉砕するために、私たちは反帝国際連帯のたたかいを断固推進していくものです。
わたしたちは、フィリピン人民の解放運動勢力であるバヤンとの間で、日比軍事協力に反対し、米軍をアジアからたたき出す闘いを具体的に推進します。バヤンとの共同声明を掲載します。
日比軍事協力の強化に反対する共同声明
2016年4月4日
フィリピン新民族主義者同盟(BAYAN)/アジア共同行動(AWC)日本連絡会議
フィリピン新民族主義者同盟(BAYAN)とアジア共同行動(AWC)日本連絡会議は、急速に拡大する日比の軍事協力および米比合同軍事演習バリカタンへの自衛隊の公式参加に共同で反対する。
3月2日、海上自衛隊の掃海母艦「うらが」と掃海艇「たかしま」がマニラ湾に寄港した。さらに、4月3日には海上自衛隊の潜水艦「おやしお」が2隻の護衛艦と共に、スービック湾に入港した。これは、4月4日から始まる米比合同軍事演習バリカタン2016と明らかに連動した動きだ。
昨年6月のフィリピン大統領アキノの訪日以降、日本政府とフィリピン政府は二国間軍事協力を急速に拡大してきた。日比首脳会談において、安倍首相とアキノ大統領は「海上安全保障」を名目にして、日比訪問軍協定の締結交渉を進めていくことで合意した。
両国政府は、さらに今年2月29日には、防衛装備品・技術移転協定に調印した。日本はそれにもとづいて、自衛隊の航空機をフィリピンに貸与しようとしている。日本はまた、政府開発援助(ODA)として、フィリピンに巡視艇を供与すること決定している。
それだけでなく、日本は毎年4月に行われている米比合同軍事演習バリカタンに自衛隊を正式に定期参加させようとしていることが明らかになった。それは、米比防衛協力強化協定の下でフィリピンに新たな米軍基地の建設をもくろむ米国と一体となって、東南アジアにおける米日比の軍事的連携をさらに加速させようとするものだ。
これらの動きはこの地域における米国の帝国主義的利害をおし進め、米国のライバルとして台頭する中国を包囲しようとするものだ。米国と日本は軍事緊張をいたずらに激化させており、この地域の軍事化に犯罪的役割を負っている。日本と米国はこの地域での軍事的プレゼンスの拡大するための口実として、スプラトリー諸島(南沙諸島)および南中国海での紛争を利用としているにすぎない。彼らは自らの帝国主義的策動をおし進めるために、フィリピンなどの弱い国を利用しているのだ。
昨年9月19日に強行制定され、今年3月29日に施行された新たな安保法制の下で、日本の安倍政権は自衛隊の海外派兵を強め、その軍事的触手を東南アジアをはじめアジア太平洋地域に拡大しようとしている。そうすることで、日本帝国主義は膨大な経済権益をもつこの地域における独自の軍事的影響力を拡大しようとしている。現在秘密裡に交渉が進められている自衛隊の駐留のための日比訪問軍協定の締結策動が示すように、フィリピンはそうした日本の野望の第一の標的となっている。この動きはまた、米日軍事同盟を強化し、米帝国主義の「再均衡」戦略あるいは「アジア回帰」を補完するものである。
われわれフィリピンと日本の民衆運動は、相互の連帯を表明しつつ、日米の軍事的策動に対する断固とした共同の反撃を組織する。われわれは米日比の軍事的連携の強化、日比軍事協力の拡大、日本の軍事大国化に反対してたたかう。われわれは軍事演習の実施、新たなフィリピンでの米軍基地の建設、日本での米軍基地の強化に反対する。同時にわれわれは、日本軍性奴隷制度の被害者をはじめ日本のかつての侵略戦争・植民地支配によるフィリピンおよびすべての国・地域の被害者への公式謝罪と国家賠償を日本政府に対して要求する。われわれは、すべての領土・領海問題の平和的・外交的な解決を望み、この地域における帝国主義諸国のいかなる軍拡にも反対する。
日比の軍事協力強化を阻止しよう!
日本の新安保法制と軍事大国化に反対!
米日比の軍事的連携の強化反対
米日帝国主義を打ち倒そう!
フィリピンと日本の民衆の反帝国主義にもとづく国際連帯万歳!
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