[CML 043214] ローマカトリック教会教皇フランシスコはアルゼンチンで左翼のペロン派を支援していたし、その後もつねに「貧者」の側に立って行動していた。彼が教皇となって、貧者の友、アッシジのフランシスコにちなむ名を選んだことは至極当然である。

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2016年 5月 1日 (日) 16:16:03 JST


      Blog「みずき」:ローマカトリック教会教皇フランシスコが聖職者であることを前提にして言うのですが、彼は柄谷行人も
      指摘するように「左翼」的なものに近しい感情を持つ思想の持ち主ですね。そういう人に私も親近感を持ちます。彼が
      最近語った言葉としてまだ記憶に新しいのは「それがどこであろうと、壁を作ることしか考えず、橋を架けることを考え
      ない人は、キリスト教徒ではありません」とドナルド・トランプを評して述べた言葉です。また、私には、最近のサンダー
      スとの対話も記憶に新しいところです。

【アルゼンチンの世界的作家ボルヘスも彼の親密な友人であった】
英BBCニュースを見ていたら、ローマカトリック教会教皇フランシスコは、他宗派はむろん、他宗教の信者、さらに無神論者にも
人気があるという。彼が類例のない教皇であることは、つぎの事実からもいえる。彼はアメリカ大陸から出た最初の教皇であり、
イエズス会から出た最初の教皇であり、また、フランシスコを名乗った最初の教皇である。そして、この三つの点は密接につなが
っている。

第一に、中南米のカトリック信者は、北米に移住した者もふくめると、世界中の信者の半数を超える。だから、この地域からこれ
まで教皇が出なかったほうがおかしいぐらいだ。ただ、そのことは、第二の点に原因がある。イエズス会は中南米において「解放
の神学」を生み出した。また、それは過激な政治運動をもたらした。フランシスコはそれに対して批判的であったものの、もともと
アルゼンチンで左翼のペロン派を支援していたし、その後もつねに「貧者」の側に立って行動していた。彼が教皇となって、貧者
の友、アッシジのフランシスコにちなむ名を選んだことは至極当然である。

このような中南米に固有の状況は、それ以外の地域のカトリックにとって理解しがたい、むしろ許しがたいものであった。だから、
彼のような人物が教皇となったことは空前の出来事である。彼は中南米だけでなく、新自由主義の下に苦しむ世界中の人々に
とって「希望」を与える人となった。しかし、そのことこそ、現状がいかに絶望的なものであるかを物語る。本書は、いかにしてフラ
ンシスコのような人物が出現したかを、複雑な中南米の政治・宗教史から説明しているが、数多いエピソードの中で、私にとって
最も印象深かったのは、彼が若い時期からアルゼンチンの世界的作家ボルヘス(まったく非宗教的であった)と親密であったと
いうことである。(柄谷行人「朝日新聞」書評 2016年5月1日)


以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1909.html


東本高志@大分
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