Re: [CML 042563] 今日の言葉(3)――政治への不満や怒りを表すために「死ね」という言葉を使うのはどうでしょうか。「死ね」という配慮のない言葉が公に放たれ、それが肯定されているかのような現状を、私は大いに残念に思います。
T.kazu
hamasa7491 at hotmail.com
2016年 3月 20日 (日) 16:23:50 JST
言葉遣いの、なにを事事しく指弾すべきかは、
流動的なものです。
政治団体の綱領や学問的な文章ならば
「しね」はいけないでしょうが、
保育園落ちて職を失う状態を、「しね」と言われたに等しいとかんじて
皮肉表現で返すことはまったく正当だと思います。
田島
-----Original Message-----
From: higashimoto takashi
Sent: Sunday, March 20, 2016 3:55 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 042563] 今日の言葉(3)――政治への不満や怒りを表すために「死ね」という言葉を使うのはどうでしょうか。「死ね」という配慮のない言葉が公に放たれ、それが肯定されているかのような現状を、私は大いに残念に思います。
【「死ね」という言葉が公に放たれ、それが肯定されている現状を憂う】
「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログが話題となり、賛同する声が広がっています。でも、私は共感する気持ち
になれません。待機児童の多さと事柄の重要さは理解しているつもりです。しかし、政治への不満や怒りを表すために「死ね」と
いう言葉を使うのはどうでしょうか。「死ね」という配慮のない言葉が公に放たれ、それが肯定されているかのような現状を、私は
大いに残念に思いますし、胸が痛んでいます。例えば、子どもたちのいじめやケンカでこの言葉が使われれば、どんな悪影響を
及ぼすか考えて下さい。生きていく希望を奪ってしまうかもしれない言葉なのです。大きな危惧を抱かざるを得ません。そこまで言
わせる政府にふがいなさも感じます。しかし、大人が「死ね」という言葉を発信し、社会に蔓延するとしたら、警告が必要ではない
でしょうか。(朝日新聞「声」欄 野村久仁子 2016年3月20日)
Blog「みずき」:拙稿「リベラルの知的劣化はこういうところにも現れている ――言葉の劣化が問題にされないいまという
時代について」(上)(下)も合わせてご参照いただければ幸いです。
以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1834.html
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
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