[CML 042549] 父は人間爆弾を発案した
donko at ac.csf.ne.jp
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2016年 3月 19日 (土) 22:44:04 JST
坂井貴司です。
転送・転載歓迎。
太平洋戦争末期の1944年10月20日、フィリピンでアメリカ軍と戦って
いた日本海軍航空隊は、爆弾を搭載した戦闘機で体当たりで攻撃する「神風特別
攻撃」を行いました。アメリカ軍の護衛空母を撃沈する戦果を上げました。
これ以後、将兵の死をもって完了する神風特攻は、普通に行われるようになり
ました。凄惨な攻撃が繰り返されました。
その神風特攻専用に設計され製造された兵器がありました。1トンの爆薬を搭
載して体当たり攻撃をする海軍航空隊のロケット飛行機「桜花」でした。「桜花」
は一式陸上攻撃機に搭載されました。アメリカ軍の艦船に近づくと、切り離され
てロケットを噴射して飛行し、体当たりする攻撃を行いました。一撃で戦艦や大
型の航空母艦を轟沈させることができました。
しかし、800キロ程度の爆弾や魚雷を搭載する一式陸上攻撃には、1トン以
上の重さがある「桜花」は重すぎました。「桜花」を積んだ一式陸上攻撃機は、
墜落寸前のスピードで飛びました。アメリカ軍の艦船に到達する前にほとんどが
撃墜されました。攻撃が成功したのは1回だけ。それも駆逐艦を轟沈させただけ
でした。太平洋戦争の趨勢には何の影響も与えませんでした。
アメリカ軍は「桜花」を「Baka bomb バカ爆弾」というコードネームをつけて
呼びました。このコードネームには、あざけりだけでなく、このようなムチャク
チャな兵器を作った日本に対する怒りが込められています。
この「桜花」の開発を発案し、実現させたのは、一人の海軍航空隊の軍人でし
た。
彼は、太平洋戦争敗北の3日後、ゼロ戦に乗って海に突入し、自殺したとされ
ていました。
ところが、彼は実は生きていました。名前を変え、家庭を持ち、天寿を全うし
ました。
その息子が、父の足跡をたどります。
「なぜ父は『桜花』を発案したのか。なぜ、戦後それを隠して生きたのか。
『桜花』に乗った人はどんな気持ちだったのか」
と、『桜花』が残した傷跡を直視します。
NHK教育
ETV特集
「名前を失くした父〜人間爆弾“桜花”発案者の素顔〜」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/archive/160319.html
放送日:3月19日
放送時間:23時〜
再放送:3月26日 午前0時放送(金曜深夜)
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
『伝送便』
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