[CML 042265] 今日の言葉 ――時代閉塞の現状をいかにせむ秋にいりてことにかく思ふかな。「貧しさ」と「時代閉塞の現状」は啄木をも殺したと言っていいでしょう。そのときから105年。「啄木的現状」はいまも変わりません。
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2016年 3月 3日 (木) 21:11:13 JST
Blog「みずき」:初句の「わざと転びて」の歌は啄木上京の年の1909年の作。年譜によれば、その前年には啄木は小樽
市内で当時の社会主義者、西川光二郎の講演を聞いています。啄木の「強権」への怒りはこのとき確実に萌芽されて
いたと見てよいでしょう。「時代閉塞の現状」を憂う歌を作った翌年の1910年は大逆事件の年。また、朝鮮併合の年で
もあります。そして、啄木が早世するのはその翌々年の1912年。「貧しさ」と「時代閉塞の現状」は啄木をも殺したと言っ
ていいでしょう。そのときから105年。「啄木的現状」はいまも変わりません。
【強権への憤怒――石川啄木の場合】
啄木は時の強権政治の最高責任者であった桂太郎首相に対する怒りを表現している。
宰相の馬車駆り来るその前にわざと転びて馬車停(と)めて見る(「莫復問」1909年5月『スバル』)
宰相の馬車わが前を駆け去りぬ拾へる石を濠に投げ込む(「曇れる日の歌(6)」1910年3月27日『東京朝日新聞』)
やとばかり
桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
秋の夜の二時(1910年9月9日『創作』同年10月号)
地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつけ秋風を聞く
明治四十三年の秋わが心ことに真面目になりて悲しも
何となく顔が卑しき邦人の首府の大空を秋の風吹く
常日頃好みて言ひし革命の語をつつしみて秋に入れりけり
秋の風われら明治の青年の危機をかなしむ顔なでて吹く
時代閉塞の現状をいかにせむ秋にいりてことにかく思ふかな(1910年9月9日)
(鄭玹汀 2016年2月19日)
以下、省略。全文は下記をご参照ください。
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東本高志@大分
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