[CML 041405] 今日の言葉 ――SEALDsの運動は、これまでの内外のストラグル(闘争)やムーブメント(運動)とことなり、公権力と馴れ合い親和的であり、組織主体のはっきりとしないフィノメノン(現象)に見える。

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2016年 1月 4日 (月) 10:57:42 JST


【安倍的な「凶禍の元」は日本の戦後民主主義の中に早くから胚胎していた】
辺見庸と高橋哲哉との対談集はこれで3回目だそうです。(略)高橋が自らの責任の撮り方として、「沖縄の基地は、安保を
廃棄できない限り、日本の(ヤマトゥ)の責任なのだ。ならば日本で基地を引き取り、日本でこれを廃棄しなければならない」、
「自分の責任として踏み込むつもりです」と主張します。それに対して辺見は、「責任の取り方として、基地を引き受ける、と
いう行動様式と身ぶりが僕はどうも引っかかる」、それに対して高橋の説明を聞いて一定の理解を示したあとに辺見は、「責
任論は高橋さんの哲学的な原点だと思うので、もっと個的で内的な丁寧な書き込みが必要だという気がします」と指摘する
のです。

辺見は、高橋の責任の取り方は、「県外移設の現実的な不可能性に触れていない」という意外な指摘をします。そして最後
にこのようにしめくくります。「この国の戦中、戦後において、責任という概念ほど重要なものはない。誰もが合法的に責任を
免れるようにして生きてきてしまった。一人ひとりが責任主体として自らの内面の闇の部分に光をあてていく作業が必要だと
僕は思っています」。(略)

SEALDsに見られる若い人たちの台頭にも辺見は心を許しません。彼らの運動は、これまでの内外のストラグル(闘争)やム
ーブメント(運動)とことなり、「公権力と馴れ合い親和的」であり、「組織主体のはっきりとしないフィノメノン(現象)に見える。
・・・法と秩序に以外なほど従順で、あたらしフィノメノンであるにせよ、既製事実をぶちこわすようなフィノメノンではないでしょ
う」と辛口です。そこには、SEALDsは日本の戦後の民主主義は「骨の髄まで民主主義国家」であり、「安倍はいまこの時に突
然変異として出てきたのではなく、この国の呪わしい遺制が早くから胚胎し、生まれるべくして生まれてきた凶禍の元」である
ことをどれほど認識しているのかという厳しい問いがあります。

世界観や歴史の知識があるからといって人の心をうつものではありません。時代を生き抜いてきた親の振る舞いに時代や
歴史を見てとり、なお、そこに自分自身のあるがままの姿をしっかりと受け止めるものがないと(「個人の内面深くを見つめな
いと」)「世界史的なイメージというのは・・出しえない」辺見は語ります。私がブログでも取り上げましたが、1975年の昭和天
皇の記者会見において、戦争責任を問われ、天皇は「そいう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究し
ていないので、お答えできかねます」と答えたのですが、そのことにマスコミは一切反応(批判)できず、「日本の言説はノック
アウトされた」と辺見は見ます。彼の指摘は改めてしっかりと受け止めるべきではないでしょうか。平和的な言葉を発する天
皇が再評価されている現在、時に必要であると思います。(OCHLOS(オクロス) 2016年1月3日)

以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1717.html


東本高志@大分
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