[CML 042205] 戦犯ヒロヒトが凱旋将軍?そう天皇教信者には天皇教も押しつけられた

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2016年 2月 29日 (月) 08:25:31 JST


檜原転石です。

憲法を語るときに押さえておくべきことは、天皇・9条・沖縄の軍事要塞化。

原爆2発だって、利己的天皇ヒロヒトがいなければ落とされなかった。9条も戦
犯ヒロヒト免責との「セット販売」だし、同時に沖縄の軍事要塞化も進行。それ
をヒロヒトが熱望し、彼は本土の基地も熱望。

憲法──

戦犯どもに、その後に続く政治屋に平和憲法を押しつけた。だが、庶民はといえ
ば天皇教も押しつけられた。況や庶民は長年天皇教信者に洗脳されていたので、
その押しつけを拒むどころかむしろ喜んだ。その後も天皇教の洗脳はメディア
(ミーディア)から雨あられ。よってアキヒトが何を言おうと彼は「平和主義
者」にまで祭り上げられる。知識人と呼ばれる愚者どもは「人間は平等」という
真理まで容易くうっちゃってしまう。

それでも憲法は1章以外はまともだし、外国人の人権などを守ると書いての改正
はあり得る。もちろん「人間は平等」という人類の叡智が分かっている人間なら
天皇制は廃止は当たり前のこと。

だって、以下のようなスットコドッコイを仰ぎ見ていては人間として恥ずかしす
ぎるでしょう?

★エリザベス夫・フィリップ

「生まれ変わったら、死のウイルスになって人口問題を解決させたい」「ここに
長くいたら、(中国人みたいに)目が細くなりますよ」 「まだ槍を投げ合って
いるのですか?」「なんとか食べられずに済んだのですね」「うん、この工事は
インド人がやったに違いない」「英国人女性は料理ができない」「国民は、我々
の生活にはもっと休みが必要だと言ってたくせに、今度は仕事がないなどと文句
を言っている」

▼古関彰一さんに聞いた(その2)

 9条の基本は、あらゆる人の命を大切にすること

http://www.magazine9.jp/interv/koseki/koseki_2.php


日本人研究者らの案も組み込まれた「GHQ案」をもとに、
 日本政府とGHQとの議論の中から誕生した日本国憲法。
それに対する、当時の日本国民の反応とは?
 引き続き、古関彰一さんにお話を伺いました




 こせき・しょういち 1943年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業後、和光大
学教授などを経て、1991年から獨協大学法学部教授。専門は憲法史。著書に
吉野作造賞を受賞した『新憲法の誕生』(中公文庫)、『「平和国家」日本の再
検討』(岩波書店)『憲法九条はなぜ制定されたか』(岩波ブックレット)がある。


 戦後民主主義の出発点は
「権威主義」だった


編集部


  前回お話を伺った、民間の研究団体「憲法研究会」による憲法草案ですが、
これは当時、GHQと日本政府に提出されただけでなく、新聞各紙でも全文が報
道されているんですよね。このとき、それを読んだ国民からの反応はどうだった
のですか? のちに正式な日本国憲法の内容が発表されたときには、国民の大多
数に歓迎された、とよく言われますが、憲法研究会の案というのは、かなりそれ
に近い内容だったわけですよね。


 古関


  そうです。天皇は象徴として国家的な儀礼だけをやる、と書かれていたし、
明治憲法とは比べものにならないくらい人権が尊重されている内容だった。しか
し、残念ながらこの段階で、国民の多くがそれに飛びついた、とは言えなかった
ようです。一方、GHQ案をもとにした日本政府案が発表されたときには、「こ
れはいい」という反応が多かった。それはやっぱり、人々が政府とか天皇とかい
う権威に弱いということだったと思います。


 編集部


  民間の案だったから反応が弱かった、政府が出した案だったから受け入れ
た、ということですか。


 古関


  そうだと思います。そして、そうやって権威的に出発したことが、僕は戦後
民主主義の限界だとも思っている。これを言うと、当時を知っている人には「生
意気だ」と言われるけれど。
  憲法研究会の案が新聞で発表されたのは敗戦の年の12月末です。「徹底抗
戦だ」とか言っていたときから4カ月くらいしか経っていない。その意味では無
理もないと同情もできます。だけど、自分たちがどういう形で戦後を出発したの
か、戦後の民主主義にどんな限界があったのかということは、ちゃんと冷静に見
据えておくべき事実だと思いますね。


 編集部


  あくまで政府という「上から」与えられる形で出発した民主主義だった。


 古関


  戦後、占領政策のために来日したアメリカ人が驚いたことがあるそうです。
敗戦国の国民の反応として、彼らがイメージしていたのは第一次大戦後のドイ
ツ。ドイツ帝国が敗れたとき、当時の国王は国外へ逃亡しました。ところが、同
じ敗戦国の日本へ来てみたら、国民は天皇に対して叛乱を起こすどころか、「自
分たちが十分に戦わなくて申し訳ございません」。天皇が全国を巡幸したとき
も、占領軍は民衆から天皇を守る必要があると考えてすごい警備をしていたけれ
ど、いざ行ってみたらみんな「万歳、万歳」。「まるで彼は凱旋将軍のようだっ
た」と書いた記録が残っています。


 編集部


  そういう、権威に弱い、政府が主導したものは信じるというのは、今の私た
ちにも通じることですよね。

・・・


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