[CML 042186] 今日の言葉 ――SEALDsの運動にも新9条論にも社会を土台から揺り動かすような抵抗も「悲嘆も今の社会の中で剥きだしにされていく最も脆弱な、最も貧しい人をどうにかしようという怒りの芯も見えない。

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2016年 2月 28日 (日) 12:30:30 JST


      Blog「みずき」:いまという「状況」の中で「例外」であり続けることについて辺見は次のようにも書いています。「われ
      われはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、
      じつは深い自由だと私は思わざるをえません。」(2013年8月31日講演記録)

【群衆の中で一人の人間がどう思考するのか】
「戦争法(安保法)が通り、今、憲法9条は瀕死の状態にある。生前葬が済んでしまったと言ってもいい」安倍晋三政権はい
よいよ憲法改正に前のめりだ。そうした中、集団的自衛権行使を禁じた上で自衛隊を軍隊として位置付け、専守防衛に徹
することを明記するという「新9条論」が出ている。こうした風潮に辺見庸さんは強い危機感を抱く。「あの憲法は自ら選んだ
ものではないから変えていいんだというのとは違う。9条については死守すべきだと思う。そういう議論の余地を与えること自
体がすでに退行だ。極めて危険な兆候だと思う」。9条を現状に近づけるべきだというのは、これまでの保守派がさんざんに
繰り返してきた主張だからだ。「国家として、ここまで武力を持つのは当たり前だといった議論が一番危険だ。世界でも特殊
な日本という国には、特殊な絶対反戦主義の9条は必要だと私は思う」(略)

辺見さんは昨年、安保法に反対したSEALDs(略)の国会前デモについて、自身のブログに率直な思いをつづり、批判を浴
びた。今も基本的に考えは変えていない。「僕への批判はあっていいし、当然だと思う。ただ、今の政権はリアルだ。本気度
が違う。それへの抵抗がまったく見合っていない。街頭での表現というのは直接民主制です。基本的に国会とデモ隊との距
離はゼロでなければならない。物理的な障害があれば、観念的には超えていこうとするものだと思う」(略)「十把ひとからげ
にして言うのはよくないかもしれない。でも、僕には国家権力に親和的な『現象』にしか見えない。人々の怒りを結集したデ
モンストレーションには見えない。統制され、秩序化し、ここからは何も起しちゃいけないという意志すら感じさせる。怒りの
芯が見えない」(略)「今、明日にも死にかねないような人間たちは増えていると思う。これからも増えていくだろう。人間が剥
き出しにされている。僕は、その剥きだしにされていく最も脆弱な、最も貧しい人の視点が起点にならなければならないと思
っている」(略)「国会前の中には、そういう人もいたと思う。だが、今の社会の中で見えなくされている最底辺層をどうにかし
ようという思想を全般的に感じなかった。全体として、違和感があるもの、醜悪なもの、グロテスクなもの、臭いものを生理的
に嫌っているのではないか」

懐疑の目は知識人や文化人にも向けられる。「白いクロスを掛けたテーブル席でしゃべって、署名を集めて。もう何十年も
見てきた。このインチキさをね。それははっきり言いたい。僕らは、ボコボコにやられて、瀕死にならないと駄目だ。そのぐら
いの段階に来ている。僕の言う対抗暴力とはそういうことです。根源に近づくような運動をすればするほど、間違いはつきも
のとなる。しかし、それを恐れている。だから、何も起きない」辺見さんはこうも言った。「国会前の人たちの中にも例外の人
はいたと思う。僕が期待するのは常に例外です。個として何者かたり得ようとして、苦闘していた人は多くいたに違いない。
僕は(半身のまひで)足腰は不自由だけれど、その一人でありたい」(桐生勇)(神奈川新聞 2016年2月27日)

以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1805.html


東本高志@大分
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