[CML 042169] 今日の言葉 ――戦後、「お化け」のように人が変わった父の内面にわけ入り、おずおずと父のいた過去を覗く。すると、かれの記憶の川が、知らず知らずに、まだ生きてある私の記憶の伏流にながれこんでくる気がしてくる。
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2016年 2月 27日 (土) 11:51:29 JST
【「ファシズム」という言葉を鍵に日本の状況をあぶり出してきた】
東京郊外にある料理店で待っていると、窓越しに作家、辺見庸さん(71)の姿が見えた。前回の取材から3年。脳出血による
まひで、右手をみぞおちのあたりに持ち上げたままの姿勢は変わっていないが、足元を見ながら歩くリズムは幾分遅くなった
ようだ。辺見さんとのやり取りは常に刺激に満ちている。だから、席に着くなり「震災から間もなく5年になりますが、それに絡
めたお話を」とお願いした。辺見さんも余計な前置きはしない。「僕がずっと読み込んできた戦争の話と震災を短絡させるのは
何なんだけど」と、すぐに語り始めた。(略)話が一段落したころ、辺見さんはさりげない感じで切り出した。「僕もあと1、2年の
命だと思うから……」2004年に脳出血で倒れ、05年には大腸がんが見つかり、外科手術や放射線治療を受けてきた。「こ
れが最後だ」という思いから出た言葉なのか。
病と闘いながら00年代から「ファシズム」という言葉を鍵に、日本の状況をあぶり出してきた。今月19日に亡くなったイタリア
の作家、ウンベルト・エーコ氏らを引用しながら説く現代のファシズムを次のように短く要約してみた。第二次大戦で独伊の独
裁者が突き動かした全体主義のようなあからさまな抑圧ではない。責任を負う中枢も本質もはっきりせず、市民一人一人の内
面に癖(へき)や処世という形ではびこる。メディアの自粛や、権威や他者を異常に気にするそんたく、奇妙なムードづくりがそ
の典型――。
辺見さんは震災後の日本にそれを感じている。「みんなで『花は咲く』を歌って、なんとなくまとまる気持ち悪さ。この前、日本人
をたたえるNHKの番組を見ていたら、『ニッポンすごい』もここまで来たかという感があったね。援助物資を受け取る時に列を
乱さない日本人は美しいと言うけれど、僕は薄気味悪い。どうしてもっと言挙げしたり、怒ったり、嘆き悲しんだりしないのかって。
遺体から指輪を持ち去った話なんてのは隠されて、美談ばかり並べて。日本人には大きな出来事の背景に聖なるものを感じて
しまう癖があるんじゃないか。冗談を言ったり、場違いなことをしたりしてはいけない雰囲気がすごく嫌だね」「サムライ」や「なで
しこ」といったイメージをかぶせ、正直で勤勉で調和を重んじる「美しい日本」を自らうたう社会。日本人の持ち味と言われる従順、
恥の感覚をことさら強調するムードが、辺見さんは嫌いなのだ。(略)
【「花は咲く」を歌う日本人の意識の底にずっとある鉛のようなもの】
辺見さんは新刊「1★9★3★7」で、日本軍が南京大虐殺を起こした年に焦点を当て、日本人の内面に共存する「獣性と慈愛」
を探ろうとした。「1937年7月、日本が中国侵略を本格化したあの時、誰も戦争だなんて思わず、国民はのんきに暮らしていた。
震災5年の状況もどうしてもそこに重なってしまう」執筆には個人的な動機もあった。中国に出征し、戦後、母に言わせれば「お化
け」のように人が変わった父の内面にわけ入り、自分をも含めた日本人を考えたかった。父は、訪ねてきたかつての上官に真剣
な表情で敬礼してみせた。子供の空気銃でスズメを1発で撃ち落とした時の恐ろしい目。暇があればパチンコ台に向かい、抜け
殻のようになっていた姿……。中国人を殺したのか。それを聞き出せないまま父は逝ったが、「長く、父親がしたことを自分の問
題として考える意欲に欠けていた」。【藤原章生】(毎日新聞 2016年2月26日)
以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1804.html
東本高志@大分
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