[CML 042060] 今日の言葉 ――今日なお状況主義的思考があらゆる領域で跳梁していることは、それを支えてきた特定の世界観がつい最近までどれほど強い負の影響力を行使してきたかを証すものにほかならない。
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2016年 2月 20日 (土) 13:39:19 JST
Blog「みずき」:辺見庸ブログに以下のような新著案内があります。「2016年3月初旬発売の「文學界」4月号が、辺見
庸の最新短篇「あの黒い森でミミズ焼く」(約45枚)を掲載する予定です。……災禍を生きのこってしまったひとりの
老女の存在をめぐり、こともあろうに、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の著者カールにたいし、あれこれと一
方的に問いかけつづける物語。名著『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、大月書店版、新日本出版社版、平
凡社版の3つを用いました」。
カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を小説仕立てにするという着想自体、辺見ならではと言っ
てよいでしょうが、辺見が同短編の創作を思い立ったのにはおそらく昨年末の『赤旗』の自身へのインタビュー・ドタ
キャン事件が関係しているでしょう。そのとき辺見は日本共産党という左翼政党の社会主義思想の貧困の問題に
思い到った。その共産党の思想の貧困はなにに由来するか。辺見はその問題をマルクス主義(科学的社会主義)
の創始者のカール・マルクスに語らせようと着想した。それが「あの黒い森でミミズ焼く」という短編の創作の動機に
なったのではないか。いずれにしても、そのマルクスと辺見の問答は以下の渡邊一民さんの問題提起にも通じる問
いだろうと私は想像します。そのとおり、左記はいまのところ私の想像の域を超えていませんが、おそらくそういう短
編になるだろうというのが私の予想です。もちろん、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界の話でしかありませんが…
…。
【状況主義とスターリニズムとの相似性】
前回の渡邊一民「状況主義とラディカリズム」(略)からの引用の中に「状況主義」という言葉がある。この言葉は渡邊の造語
なのだが、これについて解説した渡邊の文章が含蓄があると思うので紹介しておきたい。(略)
<30年代の反ファシズム運動はある意味では革命の祖国ソヴェト擁護の運動だったとも言えるのですが、そうした国際的な
反ファシズム運動の指導者の一人が、きみもよく知っているアンドレ・ジードその人でした。
ところがジードは、1936年夏ソヴェトを訪れ、そこに期待とはまったくかけ離れた現実を見いだしました。そして彼はその年の
暮に、ソヴェトにおける「希望と信頼と無知によってつくられている」民衆、革命精神の死滅、すべてを受諾する服従の精神、
あらゆるところに見られるコンフォルミスムを弾劾する、有名な『ソヴェト紀行』を発表したのです。もっともそれは、けっして世
上に言われるような反共文書ではなく、その序文でジードが記しているように、「虚偽――たとえ沈黙のそれであっても――や
虚偽に固執することは、ときには都合よく見えるかもしれぬ。が、しかし、それは敵の攻撃にたいして絶好の機会をあたえる
ものだ。それに反して真実は、たとえ痛々しいものであっても、癒すためにしか傷つけないものである」(「序文」小松清訳によ
る)という確信にもとづいて書かれたものだったのです。そのような意図が政治の世界では理解されるはずもなく、この書物
は右翼の喝采と左翼の側からの罵詈雑言によって迎えられました。(略)
ジードが、それこそ反ファシズム運動をほんとうの意味で強化することだと信じたがゆえに、あえてあきらかにしようとした真
実、すなわちソヴェトのまぎれもない現実、粛清への疑惑、抑圧への抗議にたいして、ジードの批判者はその真実の内容を
まったく問うこともなく、いわば一方的に「政治判断」ないし「客観的判断」によって、その真実を圧殺し糊塗しようとしたのでし
た。(略)こうした論法ないし思考法が、結果としては、大義のためにそれを用いた人々の善意とは裏腹に、まさにスターリニ
ズムの犯罪の隠蔽にしか役立たなかったことは、その後の歴史の示すところでしょう。
わたしはこういう論法ないし思考法を一括して状況主義と呼びたいのです。一言でいえば、たとえ真実であっても、真実はそ
のときの政治状況によって真実であってはならないし、ときにはそれが偽りとならねばならぬことさえあるという、そのような
考えにもとづくもののことです。(略)一種の民衆不信に彩られるこうした状況主義は、けっしてこの時代だけに限られたもの
ではなく、戦後もそのまま引きつがれ、《ストックホルム・アピール》の時代に青春をすごしたぼくらは、それによってどれほど
毒されたかはかり知れません。今日なお、それと意識されないにせよ、状況主義的思考があらゆる領域で跳梁していること
は、それをささえてきた特定の世界観が、つい最近までどれほど強い影響力を行使してきたかを証すものにほかならないで
しょう。>(金光翔「私にも話させて」 2016年02月19日)
以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1794.html
東本高志@大分
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