[CML 042030] 今日の言葉 ――戦後の日本の大衆運動は、個々の運動を事実上安易で自己満足的な基盤の脆いものに堕さしめ、結果として70年代からいまに続く日本の右傾化の流れをまったく阻止しえなかった。

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2016年 2月 18日 (木) 13:00:04 JST


      Blog「みずき」:金光翔さんが久しぶりにブログを再開されたようです。標題を「70年代からいまに続く日本の右傾化」
      としているのは、渡邊一民さんは1983年に『世界』に発表した「状況主義とラディカリズム」に「ここ十年の日本の右
      傾化」と著していますのでそこから換算してのものです。70年代から右傾化が始まったという認識は辺見庸も同様の
      認識を述べていますし、私の認識とも一致します。その40年以上にもわたる日本の右傾化の流れをわれわれは「ま
      ったく阻止しえなかったことは認めないわけにはいきません」と30年前に渡邊さんは悲痛の思いをこめて指摘してい
      る、ということになるでしょう。

【大衆を組織するという政治目標が何よりも優先されてきた運動の過誤】
渡邊一民「状況主義とラディカリズム」(『世界』1983年2月号。渡邊一民『ナショナリズムの両義性――若い友人への手紙』人文
書院、1984年に所収)から引用する(前掲書、16~18頁)。ほぼ当たり前のことしか言っていないとは思うが、この指摘が30年
以上後の今日でも(今日こそ?)有効であることに驚かざるを得ない。

<1954年3月ビキニ環礁で第五福龍丸が被爆したのが契機となって、原水爆禁止運動が国内に大きな輪を拡げていき、国際
的にも反響を呼んだことは、きみもよく知っているところです。しかしこの運動が日本国内ではあのように急速に伸びていった
にもかかわらず、西欧諸国ではいまひとつ説得力を持ちえなかったということ――現に最近の新聞が伝えているように、日本人
の反核の訴えにたいして、アメリカ人が「パール・ハーヴァー」と答えたということを、きみはどう考えるでしょうか。

日本人が世界最初の被爆者として核爆発の悲惨さを訴え、戦争反対を叫ぶ――それはおおくの日本人にとって当然の常識か
もしれません。けれどもアメリカ人にしてみれば、それは原爆投下の責任をすべて一方的にアメリカに押しつけることであって、
そこにはなぜ原爆を投下せざるをえなかったかという本質的な問題が欠落していることになる。したがってアメリカ人ばかりでな
く日本人以外のさまざまな人々にとって、ましてや日本の侵略をうけた民衆にとって、「原爆許すまじ」という日本人の叫びはひじ
ょうに身勝手なものとしか映らないでしょう。そうした意味で、「ヒロシマ」「ナガサキ」はけっして「アウシュヴィッツ」とはつながらな
いのです。

ここで視点をかえてみると、もし原水爆禁止運動が感性にのみ訴える「原爆許すまじ」だけでなく、原爆を投下されざるをえなか
った日本人の戦争責任の問題まで取りあげ、そこから出発していたとしたら、運動は日本国内であれほどの拡がりを持つこと
はできなかったでしょう。そのかわりすくなくとも、戦争がこれほど容易に忘れさられ、遺族団が大挙してかつての激戦地を訪れ、
教科書問題が起こることもなかったにちがいありません。

はっきり言って、戦後の日本ですすめられてきた原水爆禁止運動でも、反戦運動でも、平和運動でも、護憲運動でも、60年代末
から70年代にかけてのいくつかの大衆運動をのぞけば、大衆を組織するという政治目標が何よりも優先され、運動のそもそもの
原点たるべき日本人の戦争責任ということは完全に無視されてきたのです。こうした状況主義の跋扈が、たとえその目的がどれ
ほど意義あるものであったにせよ、個々の運動を事実上安易で自己満足的な基盤の脆いものに堕さしめ、結果としてここ十年の
日本の右傾化をまったく阻止しえなかったことは認めないわけにはいきません。>(金光翔「私にも話させて」 2016年02月18日)


以下、省略。全文は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1790.html


東本高志@大分
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