[CML 046221] Re: 安倍がやらなければならないことは二つ、 経産省前テントひろば1807日目後 129日
motoei at jcom.home.ne.jp
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2016年 12月 29日 (木) 20:42:27 JST
Re: 安倍がやらなければならないことは二つ、 経産省前テントひろば1807日目後
129日
(情報提供 石垣)
みなさん三上さん、木村さん お世話様
おっしゃる通りです。
1)日本の戦後はまだ終わっていません。
日米安保条約は米軍占領下における、
米政府の押しつけであることは明らかであります。
戦後72年、未だに米軍基地があることは許されません。
縮小、撤去を申し入れることでしょう。
2)死者への追悼とは
アジア・イギリス、オランダ、米国人を含む2000万人以上の
死者、日本人310万人の死者への追悼であります。
その犠牲の上に世界の先端を行く、平和憲法が生まれました。
南スーダンへの自衛隊派遣はこれら死者に対する冒涜です。
いったい安倍晋三氏は死者が今も私たちの中にに生き続けている、
ということを考えたことがあるのでしょうか。
(石垣敏夫)
以下一部転送です
>安倍が本当にやらなければならないのは、二つではないか。
一つは沖縄の辺野古基地を撤去するための日米交渉であり、
これでこそ戦争の結末をつけることなのだ。真珠湾で亡くなった日米の兵士や市民は、
あの戦争が沖縄ではいまだに決着のついていないことを知っているだろうし、
天国で胸を痛めていることと想像できるからだ。真珠湾に眠る兵士たちを慰霊したければ、
辺野古新基地建設を止めることだし、それを実現することではないか。
同じように、南スーダンへの自衛隊の引き揚げをやるべきではないか。
これは第二次世界大戦の端緒をなしたシベリヤ出兵の現在版にほかならないからだ、
日本の第二次世界大戦への道は1917年のロシア革命に対する干渉戦争であった
シベリヤ出兵からはじまったことを思い起こすべきだ。
同じようにスーダンでの戦争が日本国家の戦後の戦争の開始になることを、その重大性を知るべきだ。
テント日誌12月27日(火)
経産省前テントひろば1807日後
「日本は何処へ行くにか」問いたい年の暮れ 12月25日(日)
年の暮れに鳴り物入りで立てられて二つの企画も尻切れトンボというか「大山騒動ねずみ一匹」に終わりそうだ。プーチンの訪日と北方領土交渉は宣伝が派手だったからか、その結果に対する人々の失望は相当のようだ。僕はもともとこの交渉にたいした興味もいだいていなかったからこんなところだろうと思っているが、外務省前には失望転じての恨みか右翼の街宣車が騒がしい。これからはじまる安倍の真珠湾の訪問とオバマとの会談もさしたることはないだろう。何よりも、安倍首相は真珠湾で語るべき言葉があるのか、という疑念がある。どうせ、周辺の側近というか官僚が文章をつくるのだろうが、安倍自身に彼のものだと思わせる戦争観がない。
安倍は相当に身体が悪くて自らの花道をこんな風に用意しているのか、と勘繰りたくなる。今年の流行語であったゲスの○〇ならぬゲスの勘ぐりにしかならないから、これ以上はやらないが、安倍が本当にやらなければならないのは、二つではないか。一つは沖縄の辺野古基地を撤去するための日米交渉であり、これでこそ戦争の結末をつけることなのだ。真珠湾で亡くなった日米の兵士や市民は、あの戦争が沖縄ではいまだに決着のついていないことを知っているだろうし、天国で胸を痛めていることと想像できるからだ。真珠湾に眠る兵士たちを慰霊したければ、辺野古新基地建設を止めることだし、それを実現することではないか。同じように、南スーダンへの自衛隊の引き揚げをやるべきではないか。これは第二次世界大戦の端緒をなしたシベリヤ出兵の現在版にほかならないからだ、日本の第二次世界大戦への道は1917年のロシア革命に対する干渉戦争であったシベリヤ出兵からはじまったことを思い起こすべきだ。同じようにスーダンでの戦争が日本国家の戦後の戦争の開始になることを、その重大性を知るべきだ。
真珠湾に向かった兵士たちには後に戦艦大和で出撃した兵士たちのような苦悩はなかったのかもしれない。あるいはあり得てもそれを表現する言葉はなかったと推察できる。彼らは真珠湾に兵士としておもむくことになる端緒も、その結末も知らなかったであろう。死者となって天国から、それを初めて知ったのだろう。英霊として祀られながら、その歴史の真実をみたというべきかも知れない、この死者の本当の声をしり、それを大事にすることと、死者を英霊と祀り封じ込める人たちとの闘いこそが戦後の戦争をめぐる闘いだった。安倍は英霊の側ではなく、意識せる兵士たる死者の側に立ってきたのか。自ずとあきらかなことだろう。僕らもあの戦争の死者を慰霊したい。何処でも、いつでもそれをやるべきだ。けれどもそこにはいつも慰霊とは何かが問われるべきだ。まだ、そしてこれからも英霊として祀ることが慰霊だという面々が結構いるのだからだ。8月の暑い日々と12月は戦争のことを想起させる日々だ。テントがあった時も、それのなき今も。
いろいろと言われてきたが安倍政治とは結局のところ、新自由主義のもとグローバリズムの枠から出ることのできなかったアメリカや西欧の政治を模倣してきただけだ。とりわけアメリカのである。12月のハワイでのオバマとの会談はその確認のようなものだ。日米同盟の深化とはそれ以上のことではない。そのアメリカにトランプが登場した。グローバリズのもたらした事態に反発する人々の基盤から出て来た面が注目される。アメリカは何処へ行こうとしているのか、という問いを発する事態がやってくるだろう。日本もまた一呼吸をおいて同じ問いを発することになるのであろうか。「いずこも同じ年の暮れ」といことではすまないことがやってくるのだろう。それは楽しみなことでもあるのだが。(三上治)
来年の脱原発最大の課題 12月26日(月)
今年も残すところ6日、といっても年の瀬の感慨は少しもわいてこない。昼時、座り込み前を往く人々はいつもよりのんびりした様子だが経産省への挨拶参りが後を絶たない。近くの中央郵便局ロビー内は先週から挨拶待機で列をなす有様だ。テント泊りだけでは分からなかったがこれも霞が関の年末風景なのだろう。
テントニュース98号を撒く。先達ては経産省の若い女性が受け取った。本人の意志であると思いたい。ニュース配りに声をからすが経産省人はほとんど無視するからだ。
敷地内の欅は1本を残し大部分が落葉したが剪定された枝ぶりは細く不格好で本来の大らかさがない。それでもこの時期は木に留まった鳥たちの様子がよく分かる。各地で起きている鳥インフルエンザは年内で終息してほしいものだ。もちろん人も。
ニュース撒き時は対応しなかったが2時ごろ違う警官がきてバナーを外してほしいと言い、「何でこんなことを毎回伝えに来なきゃならないんだ」とぼやく。
「原発エネルギー政策を改めるまで続くよ」と伝えて物別れとなる。
外務省に向かう街宣車を公安車が追尾する。安倍が今夜向かう真珠湾慰霊への抗議を込めて「広島・長崎・東京空襲で何人死んだか分かるか」「土下座外交は止めろ」と聞き取れたが最もなる主張ではないか。来年、トランプ政権下で日米原子力協定が30年ぶりの批准年となる。21日、もんじゅ廃炉を決めた一方で
核燃サイクル次段回の実証炉着手を決め、来年度に工程表を出すと発表した。
日米原子力協定の破棄行動が盛り上げられるかが脱原発に向けての最大の課題となる。今日は引継ぎまで座り込み参加者は常連だけ、これも年末の影響なのだろうか。(I・M)
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