[CML 043119] 今日の言葉 ――「当事者性」も「匿名性」も問題の本質を語るにおいて一体どれだけ大切なのか。「当事者であること」というステータスに重きが置かれているならば、それは非常に危険なことだと思う。

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2016年 4月 25日 (月) 18:01:42 JST


      Blog「みずき」:この記事の紹介者は次のように言います。「『当事者以外は声をあげるな』が罷り通ることは、為政
      者と利害関係者の好きにやらせろとほぼ同じ意味。為政者はすべての当事者だから」、と。

【取材対象は、マスコミのネタ袋ではない】
記者になる前からずっと、報道機関の決まり文句として使われる「声なき声に寄り添う」という慣用表現が苦手だった。必死で
叫んでいる人たちがいる。周囲の喧騒が大きすぎることで、結果としてこちらに届く叫びはかすれている。だからといって、聞
き入れる側の視点で叫びを「声なき声」と記すのは、傲慢で残酷ではないか、と。声を「なきもの」にしているのは誰なのか。
匿名ブログ記事「保育園落ちた日本死ね」や、それを発端とした一連のムーブメントを追いかけながら、あらためて思う。取
材を進める中で、現場を威圧的な態度で歩き回る年配の男性に遭遇したことがある。彼は参加者や女性記者の一人一人に
子どもの有無を聞いて回っては、「あなたはお子さんがいらっしゃるのね、ならよくわかるでしょう」「へぇ、あなたは独身なんだ
あ。でも、まだ若いから、ねえ」などと、何かを悟ったかのようにコメントして回っていた。彼だけではない。スタンディングの現
場で「アベ(安倍晋三首相)は子どもがいないから、子育てのことは分かんねーんだよ」と悪態をつく通行人もいた。政権への
いら立ちは分かるが、それもまたこじつけだ。「当事者性」も「匿名性」も、問題の本質を語るにおいて、一体どれだけ大切な
のか。国会で湧き上がった「誰が書いたんだよ」などというヤジ、安倍首相の「匿名である以上、本当か分からない」発言、テ
レビに出演した平沢勝栄議員(自民党)の「本当に女性が書いたんですかね」という態度。当事者でなければ切り捨てるのか。
当事者なら対応は変わるのか。(略)

「当事者であること」というステータスに重きが置かれているならば、それは非常に危険なことだと思う。当事者の絶対数が少
ない社会的マイノリティーは、確実に制度の谷間からはい上がる機会を失い、やがて淘汰される。(略)取材対象は、マスコミ
のネタ袋ではない。傷付きやすい心を持った生身の人間だ。主催者がきちんと「サイレントスタンディング(紙を掲げ、黙って
立つ)」の趣旨を表明しているにもかかわらず、「せっかくなので皆さんで、怒りの声をコールしてみてください。『頑張るぞ、オ
ー』」と拳を突き上げる感じで」などとしつこく要求する中年女性記者もいた。基本的に他社の取材マナーについて口を出さな
い私だが、思わず「今日はそういうんじゃないから」と声を上げずにはいられなかった。顔を公衆の面前にさらし、存在を示す
ことに、どれだけの勇気が要るだろうか。一体、それ以上の何を求めるのか。
                                           (草山歩報道部記者「神奈川新聞」2016年4月13日)


以下、省略。全文は下記をご参照ください。
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東本高志@大分
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