[CML 042751] 今日の言葉 ――報道の自由度世界61位という栄えある極東の弧状列島ジャパンには、安倍を「憐れみをさそう犬のような顔」「知的劣等感のかたまり」「貧相な下痢男」と書けるジャーナリムはない。

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2016年 4月 1日 (金) 19:47:49 JST


      Blog「みずき」:ここでも辺見庸はオーウェルの「素面のときはコミュニストなのに、酔ったとなると熱烈な愛国主義者
      になる」男の話を引いて共産党という政党をカリカチュア化して批判しています。なにゆえに辺見は共産党をカリカ
      チュア化するのか。少なくとも辺見はあの赤旗のインタビュー・ドタキャン事件まで共産党にはある種の信頼感を抱
      いていたと思います。そうでなければ辺見は志位氏に「志位さん、日本共産党史上、もっとも例外的に自由で勇気
      ある委員長になる気はないですか?」などと対談を呼びかけたりはしないでしょう。しかし、ドタキャン事件を境にし
      て辺見にはこれもある種の断念があった。そして、そのある種の断念は、昨年末の天皇臨席下の国会開会式出席
      と日韓「合意」評価という同党の「歴史」的変節によって決定的な断念へと変容した。それがカリカチュア化になって
      いるのだろうと私は思います。また、この問題の責任の主体は共産党側にあることは明らかだろうとも私は思います。
      批判されるべきは誰か?

【安倍をみくびってはならない。共産党をみあやまってはならないように】
オーウェルのヒトラー描写の卓抜さといったらない。「それ(ヒトラーの顔)は憐れみをさそう犬のような顔というか、耐えがたい
虐待に苦しんでいる男の顔である。やや男らしいところはあるものの、無数にある十字架上のキリストの絵の表情にそっくり
なのだ。そしてヒットラー自身が、自分をそういう目で見ていることはまちがいない。……彼は殉教者であり、犠牲者なのだ。
……われわれはナポレオンにたいする時のように何となく、彼は運命と闘っている、勝つことはできまいが勝ってもいいでは
ないかといった気持ちになる。こういうポーズはきわめて魅力的なものだ。映画の主題の大半はこれなのである」(小野寺健
・訳)。

安倍だってときどき「憐れみをさそう犬のような顔」をし、ひどく傲岸な目つきをするかとおもえば、知的劣等感にさいなまれる
者のもうひとつの顔、すなわち殉教者面をよそおう。じつのところ、多少見識のあるひとびとは、与党の大物から国会前のハ
ナクソテモ(あれはデモとはいえまい。ニュースピーク的にいえば、せいぜいがtemonstration)参加者まで、安倍を内心、見く
だしていた。安倍はじぶんがひそかに見くだされていることをよく知りつつ恨みを燃やし、それをパッションとしてのしあがって
きた。だが、報道の自由度世界61位という栄えある極東の弧状列島ジャパンには、安倍を「憐れみをさそう犬のような顔」
「知的劣等感のかたまり」「貧相な下痢男」と書けるジャーナリム(とその自由、その発意、その創意)はない。

かくして「人間は、すくなくとも時によると、闘争とか自己犠牲を望むものだし、太鼓とか旗とか観兵式などが好きなのは言う
までもない。経済理論としてはともかく、心理学的には、ファシズムとナチズムはいかなる快楽主義的人生観よりはるかに
強固なのである。おそらくスターリンの軍国主義的社会主義についても同じことが言えよう」という、オーウェル1940年の言
説は依然、一読にあたいすることとなる。われわれは当面、爛ぅ船クソウカツヤク瓠紛攵祿押房匆颪捻物をひりちらかし
て生きるほかはないのだ。安倍をみくびってはならない。共産党をみあやまってはならないように。おなじくオーウェルに「素
面のときはコミュニストなのに、酔ったとなると熱烈な愛国主義者になる」男がでてくる(『パリ・ロンドン放浪記』)。しかも「手
に負えない排他的な愛国主義者」だ。男たちはインターナショナルもラ・マルセイエーズも春歌もうたう。たからかに。心をこ
めて。労働歌とキミガヨをおなじ口でうたうのとさしてかわらない。(辺見庸「日録」2016/03/30)


以下、省略。全文は下記をご参照ください。
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東本高志@大分
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