[CML 039611] 「強制労働」の事実を認知し「明治日本の産業革命遺産」への記載を求める声明

nakata mitsunobu mitsunobu100 at gmail.com
2015年 9月 10日 (木) 15:33:02 JST


日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 中田です。
9月9日付で、強制動員真相究明ネットワークから標記声明が出されましたの 
で、長文ですが、紹介させていただきます。
複数のメーリングリストに投稿しています。重複される方申し訳ありません。

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「強制労働」の事実を認知し「明治日本の産業革命遺産」への記載を求める声明
                                         
2015年9月9日
 強制動員真相究明ネットワーク
<共同代表> 飛田 雄一 神戸学生青年センター
            庵逧 由香 立命館大学
        URL http://www.ksyc.jp/sinsou-net/

はじめに
日本政府による「明治日本の産業革命遺産」のユネスコの世界遺産登録推進に対 
し、韓国政府は三菱長崎造船所、三井三池炭鉱、三菱高島炭鉱(高島・ 端島(軍 
艦島))、八幡製鉄所などでの強制労働の事実の記載を求めました。これに対 
し、日本政府は「今回の世界遺産登録は1910年までの急速な 産業化をめぐるも 
のであり、戦時期の朝鮮人・中国人などの強制労働は無関係」と主張しました。
2015年6月末からのユネスコ世界遺産委員会で、日本は、「1940年代にいくつか 
の施設で、その意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で 働かされた多く 
の朝鮮半島出身者などがいたこと、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政 
策を実施していたことを理解できる措置を講じる」と発 言し、情報センターの 
設立を計画していることを明らかにしました。これに対し、韓国側は「日本が全 
ての措置を履行することを期待する」と述べて、 日本への支持を表明しまし 
た。その結果、7月5日、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産 
業」の世界遺産への登録が決まりました。

日本政府の「強制労働」についての見解
登録後、岸田外務大臣は記者会見で「当時国民徴用令によって朝鮮半島の方々も 
徴用されていた,こういったことを述べたものであり,なんら新しいこ とを述 
べたものではありません。」「強制労働に関する条約があります。この条約にお 
いて強制労働というものが禁止されているわけですが,戦時中の 徴用などは含 
まれない、こうした規定が存在いたします。よって、国民徴用令に基づく対応を 
述べた日本側のこの声明文中の文言につきましては、強制 労働には当たらない 
と考えます」と述べました(7月5日)。
また、菅官房長官は「1944年9月から1945年8月の終戦までの間に、国民徴用令に 
基づいて、朝鮮半島出身者の徴用が行われた。これはいわゆ る強制労働を意味 
するものでは全くないというのが、政府の従来どおりの見解だ」、「当時の日本 
のこの徴用は、ILOの強制労働条約、これで禁じら れた強制労働に当たらな 
いと理解している」(7月6日)と記者会見で述べました。
日本政府の見解は、朝鮮半島出身者が「意に反して連れてこられ、働かされた」 
時期があったが、それは1944年9月の朝鮮半島での国民徴用令適用 後のことであ 
り、それ以前の戦時の朝鮮からの労務動員は該当しない、また、その徴用は 
ILO29号条約での「強制労働」には該当しないというもの です。

「強制労働」の歴史的事実の認知を
ここで、日本政府は1944年9月からの徴用適用のみを対象としていますが、朝鮮 
人の強制連行・強制労働は、1939年7月に朝鮮半島から 85,000人(1939年度分) 
の労務動員を閣議決定したことからはじまります。この動員の決定により「朝鮮 
人労働者内地移住に関する方針」な どが定められ、「募集」形式による日本の 
炭鉱や工場などへの動員がはじまりました。1942年2月には「朝鮮人内地移入斡 
旋要綱」が定められ、以 後、「官斡旋」方式による動員がなされ、1944年9月か 
らは朝鮮半島での国民徴用令の適用を大幅に拡大し、動員がすすめられたので 
す。その数は 70万人を超えるものでした。
日本政府は、「意に反して連れてこられ、働かされた」という事実を、強制連 
行・強制労働として認知すべきです。また、時期については1939年か ら1945年 
までの労務動員計画での動員を「強制労働」の対象とすべきです。さらに、朝鮮 
人を軍人軍属として日本の侵略戦争に強制動員したことや 朝鮮半島内での労務 
への強制動員にも留意すべきです。
1944年以降の徴用令施行以後のみを「強制労働」の対象とすることは、朝鮮人強 
制労働の歴史的事実を歪曲するものです。
三菱長崎造船所、八幡製鉄所などでの強制労働被害者は、企業を相手に日本で提 
訴しましたが、敗訴しました。しかし、強制労働の事実は裁判所で認定 されて 
います。八幡製鉄所に強制連行された元徴用工被害者はいまも韓国の裁判所で係 
争中です。韓国では被害者の勝訴がつづいています。日本政府と 関係企業は強 
制労働被害者を無視できない状況になっています。施設が稼働してる八幡製鉄所 
や三菱長崎造船所の強制労働の企業責任は、現在も問われ ているのです。

朝鮮人強制労働はILO29号条約違反
ILO29号条約による「強制労働」の定義は、「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラ 
レ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と いうもので 
す。ILO専門家委員会の見解は、「国内法」による戦時の「徴用」であったとし 
ても、日本政府と朝鮮総督府が行った朝鮮半島からの労務 動員は、条約の適用 
除外には当たらず、「慰安婦」や朝鮮人・中国人の強制連行ともに、ILO29号条 
約に違反するものとして認定されているので す。
ILO29号条約と「強制労働」問題については、1996年3月にILO専門家委員会が年 
次報告のなかで、「慰安婦」問題を取りあげました。その 後1999年3月には、中 
国人・朝鮮人強制連行問題について専門家委員会報告が初めて出されました。専 
門家委員会はその後も 2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2006年、 
2007年、2008年、2010年、2012年と繰り返して、「慰安婦」問 題と強制連行問 
題の解決を促す年次報告を出しています。しかし、日本政府はそれに応じてこな 
かったのです。

中国人・連合軍捕虜も強制労働
強制労働を強いられたのは、朝鮮人だけではありません。中国人については1942 
年に閣議決定された「華人労務者内地移入ニ関スル件」により、日 本へ約3万 
9000人が強制連行され、135か所の作業場で強制労働させられ、約6800人が死亡 
しました。
連合軍捕虜についても、1942年に日本への労務動員を決定し、42年末から日本国 
内へと約3万6000人を連行し、労働を強制しました。戦争中 に開設された収容所 
は派遣所を含めると約130か所、連行後の死者も約3500人にのぼります。

正しい歴史の記載なくして普遍的価値なし
ユネスコは、第二次世界大戦の惨禍を繰り返さないために「人の心の中に平和の 
砦」を築き、国際平和と人類の共通の福祉のために創設された国際機関 です。 
世界文化遺産はこのユネスコが定める世界遺産条約に基づいて「歴史上、学術 
上、芸術上、顕著な普遍的価値を有するもの」を文化遺産として登 録し、保護 
するものです。
日本は、明治維新を機に「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと、「脱亜 
入欧」を掲げ、資本主義形成とアジア侵略をおこないました。日本は帝 国主義 
政策をとり、日清・日露戦争を経て、朝鮮半島を植民地化し、中国への侵略をす 
すめました。「明治産業革命」を契機に第一次世界大戦からアジ ア太平洋戦争 
へと侵略の歴史を歩んだのです。登録遺産の一つとされる松下村塾の吉田松陰は 
そのようなアジア侵略を肯定する思想を持った人物でし た。
「明治産業革命遺産」について「日本は非西洋諸国で初めて産業革命の波を受容 
し、僅か50年余りで植民地にならずして自らの手で産業化を成就し た。明治日 
本の産業革命遺産は世界史における類い稀な局面を証言する遺産群である」と称 
しています。これはナショナルな視点に偏り、近代化・産業 化を過度に美化 
し、侵略の歴史を反省することない「物語」です。それは歴史を正しく伝えるも 
のではありません。
高島炭鉱を例にみれば、落盤や爆発事故により多くの犠牲者を生み、劣悪な労働 
条件に対してストライキが起きています。そこは、受刑者や納屋での強 制労 
働、連行された朝鮮人や中国人の強制労働など、労働者の苦難の現場です。戦後 
の閉山に至るまで、労働者や民衆の苦闘の歴史が刻み込まれている 場所なのです。
労働の歴史を語り伝えることが普遍的な価値を示すことになります。

おわりに
「明治日本の産業革命遺産」の主要な遺産が、日本の朝鮮植民地支配とアジア侵 
略に密接な関係があります。日本政府が、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜 などへ 
の強制労働の事実を認め、その歴史を対象時期を含め、正確に記すことで、日本 
の明治以降の産業革命と近代化、その後の戦争と植民地支配の歴 史を語り伝え 
ることができます。そのような歴史の表現が、「顕著な普遍的価値を有するも 
の」というユネスコの世界文化遺産の趣旨に合致するので す。


今回の登録に関係する施設についての「強制労働」動員数に係る資料一覧

八幡製鉄所
朝鮮人関係
・1942年6月までに394人(中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」)
・1944年1月までに1471人(うち逃亡760人、福岡県「労務動員計画ニ拠ル移入労 
務者事業場別調査表」)
1942年に921人、43年に550人、44年に1968人、45年に381人の計3820人 厚生省 
勤労局による「朝鮮人労務者に関する調 査」(福岡県分)の集計表。この調査 
での八幡製鉄所の報告書には2788人が終戦時に在留し、うち徴用者は2761人。
・1942年6月までに八幡製鉄所運搬請負業共済組合に2785人が連行(中央協和会 
「移入朝鮮人労務者状況調」)
・未払金供託名簿3042人(日本製鉄総務部勤労課「朝鮮人労務者関係」)
中国人関係
・1944年9月に日鉄八幡港運に201人が連行され、20人が死亡。
連合軍捕虜関係
・八幡の俘虜収容所(1942年9月設置)に連行。敗戦時の収容者は1195人(米 
616、蘭193、インド132、中国22ほか21)収容中、 158人が死亡。

釜石関係
朝鮮人関係
・1942年6月までに日鉄鉱業釜石鉱山に470人、日本製鉄釜石製鉄所に498人(中 
央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」)。
・未払金供託名簿690人(日本製鉄総務部勤労課「朝鮮人労務者関係」)。
・死亡者については、釜石鉱山関連で18人、釜石製鉄所関連で39人が判明し、他 
に釜石関連の死者が13人分判明。
中国人関係
・1944年11月に釜石鉱山197人、45年2月には91人、連行者数は計288人。このう 
ち123人が死亡(外務省「華人労務者就労事情調査 報告書」)。
連合軍捕虜関係
・函館俘虜収容所第3分所(1943年11月設置)(のち東京俘虜収容所第7分所から 
仙台俘虜収容所第5分所へ)、釜石製鉄所で労働を強制。敗戦 時の収容数は351 
人(蘭168、英86、米78ほか19)死亡は50人(うち米軍の艦砲射撃による死亡34)

三菱重工長崎造船所
朝鮮人関係
・1944年3474人、45年2501人の計5975人「朝鮮人労務者に関する調査」長崎県分 
の集計表(厚生省勤労局調査)、長崎造船所福田寮 などの被爆朝鮮人名簿がある。
・三菱長崎造船所での朝鮮人の死亡判明数は63人
連合軍捕虜関係
・43年4月300人、44年6月212人の500人ほどを連行、福岡俘虜収容所第14分所 
(1943年4月開設)。敗戦時には195人(蘭 152、豪24、英19) が収容。収容中の死 
亡は113人(うち原爆死8人)。

三菱高島炭鉱(高島・端島)
朝鮮人関係
・1942年6月までに朝鮮人1110人(中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」)。
・1943年に600人、44年に1100人以上(石炭統制会の統計史料)
・「朝鮮人労務者に関する調査」の長崎県分には高島炭鉱の戦後の解雇者1299人 
の名簿が残されています。この名簿から、1944年8月に14 歳、15歳の少年が連行 
されてきたことも判明。未払金も22万円を超えるもの。
・朝鮮人の炭鉱関係での死亡数は、端島分の48人分が高浜村「火葬認許証下附申 
請」書類から判明。高島については2人のみ判明、高島での死者は 50人ほどか。
中国人関係
・1944年6月に端島に204人、7月に高島に205人が連行され、死亡数は高島15人、 
端島15人。

三井三池炭鉱
朝鮮人関係
・1940年93人、41年96人、42年1834人、43年2889人、44年2466人、45年1886人の 
計9264人(厚生省勤労局「朝 鮮人労務者に関する調査」福岡県分の集計表)
・三池炭鉱万田坑1683人分の集団的連行の名簿(厚生省勤労局「朝鮮人労務者に 
関する調査」)
中国人関係
・万田坑には1944年5月に412人、45年2月に595人、3月に593人、同月に307人の 
計1907人、そのうち694人を四山坑へ転送 (死亡は万田294人、四山158人)
・宮浦坑には44年5月に231人、10月に343人の計574人(うち死亡41人)
連合軍捕虜関係
・福岡俘虜収容所第17分所(1943年8月開設)、敗戦時には1737人(米730、豪 
420、蘭332、英250ほか5) 収容中の死亡は138人、このうち1人は営倉内で餓死、 
1人は逃亡により刺殺)



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