[CML 039472] 今日の言葉 ――国家の存立以前に個人がある。国家は国民がその存在を認める限りにおいて存続し、国民の合意によって形が決められる。それ以上でも以下でもない。

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 9月 2日 (水) 15:05:45 JST


【例年になく熱い8月が終わった】
例年になく熱い8月が終わった。その熱気はまだ冷めやらない。安保法案の成否の決着はこれからだ。(略)70年前の敗戦
を契機に、日本は国家の成り立ちの原理を根本的に変えた。この原理の転換は日本国憲法に成文化され、大日本帝国憲
法との対比において、明確にされている。

私の理解では、個人の尊厳を最高の憲法価値としたことが根本原理の転換である。国家の存立以前に個人がある。国家と
は、個人の福利を増進して国民個人に奉仕するために、便宜的に拵えられたものに過ぎない。国家は国民がその存在を認
める限りにおいて存続し、国民の合意によって形が決められる。国民の総意に基づく限り、どのようにも作り直すことができ
るし、なくしたってかまわない。その程度のものだ。国民の生活を豊かにするためには、国家の存立が有用であり便利である
ことが認められている。だからその限りにおいて、国民の合意が成立して国家が存立し、運用されている。それ以上でも以下
でもない。(略)

戦前は、個人主義も自由主義もなかった。個人を超えて国家が貴しとされ、天皇の御稜威のために個人の犠牲が強いられ
た。天皇への忠死を称え、戦没兵士を神としてる祀る靖国神社さえ作られた。そして、国家運営の目標が、臆面も無く「富国
強兵」であり、軍事的経済的大国化だった。侵略も植民地支配も、国を富ませ強くし、万邦無比の国体を世界に輝かす素晴
らしいことだった。20世紀中葉まで、日本はこのようなおよそ世界の趨勢とはかけ離れた特異なあり方の国家だった。(略)

今年は新しい日本が誕生してから70周年。しかし、この夏、建国の理念に揺るぎが見える。いま、なんと「戦後レジームから
の脱却」を叫ぶ、歴史修正主義者が首相となり、立憲主義を突き崩そうとしている。しかも、日本国憲法が自らのアイデンテ
ィティとする平和主義を壊し、日本を再び戦争のできる国にしようとしているのだ。この夏は、日本国憲法の理念を攻撃し改
憲をたくらむ勢力と、70年前の建国の理念を擁護しようとする勢力との熾烈な戦いである。70年前の国民的な共通体験は、
「再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」ことを国是とした。しかし、その国民意識は、自覚的な継承作業なくしては長くもた
ない。とりわけ加害体験については、「いつまで謝れというのか」という開き直り派が勢を得つつある。安倍晋三を代表として
憲法体系を桎梏と感じる勢力が勢いを増しつつある。しかし、これと拮抗して憲法の理念に賛同して、これを擁護しようとする
勢力も確実に勢力を増しつつある。2015年の夏、その決着はまだ付かない。秋へと持ちこされている。
                                                 (澤藤統一郎の憲法日記 2015年9月1日)

      Blog「みずき」注:「国民」の解釈については以下をご参照ください。私も「国民」とは「この国に生きるすべての人々」
      を意味するものと考えています。もちろん、澤藤統一郎弁護士もそのようなシニフィエ(意味されているもの)として
      用いているはずです。ただし、憲法上の「国民」という言葉は、日本政府がアメリカ側草案を邦訳する過程で「people」
      を「人民」ではなくあえて「国民」と訳して生まれたという経緯があります。古関彰一さん(獨協大学名誉教授)の指摘
      によれば、本来「人民」と訳すべきところを「国民」と訳した日本政府のネライは「在日外国人の人権を意図的に排除」
      することにありました(『日本国憲法の誕生』岩波現代文庫)。この古関彰一さんの指摘は、私たちが「国民」という問
      題を考えようとするとき、常に留意しておかなければならない指摘であるように思います。ここからも憲法上の「国民」
      は本来「この国に生きるすべての人々」の意であることは明らかというべきでしょう。

          憲法第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

          ここから第3章「国民の権利及び義務」つまり人権規定が始まります。憲法は人権保障の体系ですから、この
          人権規定が憲法の中核部分をなすことになります。その冒頭に置かれていることから、本条は人権の主体で
          ある「国民」の具体的範囲を法律に委ねた規定と思われそうですが、実は、国家の構成要素としての国民の
          範囲つまり国籍保持者の範囲を法律で決めるという意味になります。

  「日本国民」は前文1項や1条にも登場しますが、そこでいう「国民」が国籍保持者に限られるのか、国籍保持
          者の中の有権者を指すのか、またはこの国に生活の本拠を持つすべての人々を意味するのかは議論のある
          ところです。国籍法は出生の時に父又は母が日本国民であればその子は日本国籍を取得するという血統主
          義を原則としています(国籍法2条)。

          ですが、憲法の理念を徹底させるならば、この国に生きるすべての人々が国民であると解することができるは
          ずです。

          憲法第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権
          は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

          人権は、憲法や天皇から恩恵として与えられたものではありません。人間である、ただそのことだけで当然に
          誰でも保障されるものです。「与へられる」という表現も比喩的にいえば天や自然から与えられたもの、つまり
          人間が生まれながらに有するものであることを意味しています。また、「侵すことのできない永久の権利」とする
          ことで、一定の限界はあるものの原則として、あらゆる公権力や憲法改正によっても侵害されないものである
          ことを示しています。

          さらに「国民」とありますが、これは外国人も含めてこの国で生活するすべての人という意味です。人権が人の
          権利である以上、権利の性質上適用可能な人権規定はすべて外国人にも適用されると解されています。人
          (human)として正しい(right)ことを意味する人権(human 
rights)は、西欧近代キリスト教社会という枠を超え、
          このアジアの国で私たちが主張することでまさに普遍的な価値としての意味を持つことになるのです。
                                               (「日本国憲法の逐条解説」法学館憲法研究所)


【山中人間話】

下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1507.html


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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