[CML 040553] Re: 今日の言葉 ――ノグチさんとヒロセさん

T.kazu hamasa7491 at hotmail.com
2015年 11月 9日 (月) 15:58:37 JST


東本高志さん
下記の文章の「私」とは誰のことですか?
「私」がだれか明示的に示されてないので、
「へのへの私」さんとして
彼の誤謬を指摘させていただきます。

>>
これは私の勝手な例示にすぎませんが、たとえばいま一定の(少なくない)脱原発勢力から「脱原発の雄」のようにもてはやされること
の多い広瀬隆というノンフィクション作家について、80年代には非科学的なインチキきわまる脱原発主義者という批判がまだ生きてい
ました(「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」野口邦和日本大学専任講師/放射線化学・放射線防護学 『文化評論』1988年7月)。左記
の野口邦和さんが広瀬隆批判を書いている『文化評論』はかつて共産党中央委員会の発行する雑誌でした。すなわち、80年代には
共産党も広瀬隆氏について批判的視点を持っていたのです。それが「311」以後、「80年代にはまだあたりまえだった批判的な思考や
姿勢」を共産党も喪失してしまいました。その背景には同党の「右傾化」問題があるでしょう。そうしたことどもが「311」以後の「愕然
とした」状況をつくり出しているのではないか、というのが粉川さんの言葉を読んでの私の感想です。
<<

「へのへの私」さん、
共産党の放射線政治委員であった野口邦和さんが、1988年に日本科学者会議で特別シンポジウムを開き、文化評論で、その後文芸春秋で、また原子力文化振興事業団の単行パンフレットで、広瀬隆「危険な話」を散々こき下ろしたのは、私田島も知っています。チェルノブイリ事故を批判的に検証するために特別シンポジウムを開いたのではなく、広瀬隆というノンフィクションライター個人を誹謗中傷するために、全国の「科学者」をシンポジウムに動員したというのですから、そのパートス(それともエートス?)の勢いに、驚きいるしだいです。

311を経験した今の私たちから見ればモウレツに異様な光景です。
しかし、当時はどれだけの人が異様とおもったでしょうか?
「へのへの私」さんにとっては、「80年代にはまだあたりまえだった批判的な共産党の思考」と懐かしみの対象だったのですね。

それを異様と思う今の私田島も、そうした野口=広瀬論争など当時は知る由もなく、まあ、日本では少しはましな科学者や技術者がいて、TVの討論番組には高木仁三郎さんも招かれるくらいだから、日本の原子炉はダイジョーブでねーか、ぐらいに思っていたのです。もしそのころ、私田島がそのブンカ何とやらをよんだら、広瀬氏が非科学的で、野口氏が科学的に、きっと見えたことでしょう。

私田島は広瀬氏の「危険な話」も、野口氏のブンカなんとかも、311後に国会図書館でコピーして読んだのです。
初めて読んでみてわかったことですが、野口氏による広瀬攻撃の本旨は、「日本ではチェルノブイリは起こりっこない」というものでした。つまり日本の原子力事業は我ら「平和勢力」の手で発展させねばならない、その本旨に沿って、「チェルノブイリは日本でも起こりうる」という広瀬氏の直感を鼻で笑いつつ、「平和勢力」の邪魔者として断固排除せねばならない、というものでした。

もちろん、野口氏はマンハッタン計画の中で作られた「保健物理学」(核を「物理」と訳し人体影響を「保健」と訳した軍事機密上の隠語がそのまま学会名として踏襲された)の専門家ですから、広瀬氏の「保健物理学」的知識のなさをあげつらうことには、何の苦労もないことだったのでしょう。そのブンカ何とかに載った長文は、いたずらにテクニカルタームを掲げて、広瀬氏を揶揄するものでした。

私は、それより少し前(311後ですが)、講談社ブルーバックスの近藤宗平『人は放射線になぜ弱いか 第3版―少しの放射線は心配無用』を読んでいましたから、わが国の科学技術者またはそれになりたい人たちが、いかに科学的粉飾(=お化粧)にイチコロかを知っていました。近藤の本には、片対数で描いて「閾値」があるように見せかけたグラフが、いくつもありました。普通に書けば直線になるグラフを片対数で描くと、あたかも「閾値」があるように見えるのです。科学的にふるまい「非科学を科学に見せかける」ことなど、いとも簡単なことなのです。、日本の理系知識人成りたがり屋さんたちは、グラフを見るや否やその意味を吟味することなく、「あなるほど科学的だ!」と、簡単に洗脳されてしまうのです。(科学技術立国が落ちぶれていくのもやむをえません)

私田島は、311以降に野口氏のブンカ何とかを読んだので、「へのへの私」さんのように落とし穴に落ちずにすみました。ラッキーでした。そうです、「科学的」なるものへの懐疑を、311事故が心底から私に教え込んでくれたからです。

答えは簡単なのです。
「科学」というものは、未来を予見するあるいは未来を切り開くためのものなのです(科学の先験性)。
いかに野口氏の知識が堅実であろうとも、「日本ではチェルノブイリは起こりっこない」という間違った予見をしたことにおいて、
「日本でもチェルノブイリは起こる」という広瀬氏の先験性に、野口氏は完全に負けたのです。野口氏が広瀬氏罵倒の道具としてつかった知識など、つまるところ、どれもこれもガラクタに過ぎなかったのです。

311福島事故が起きたとき、野口邦和氏とその郎党の皆さんが真っ先になすべきは、
ご自分たちの堅実なる知識集成の行き先として「チェルノブイリが起こってしまったこと」への、
おおいなる戦慄、しかるのち反省であり、
ご自分たちの学問の出直しであり、
世間様への間違いの告白と、お詫びだったのではないでしょうか?

それにもかかわらず、野口邦和氏とその郎党の皆さんは、1945年に「敗戦」を「終戦」といったことにも似た、
知の腐敗を露呈してしまいました。その上、知の敗北を隠蔽するために、
311福島事故そのものがなかったかのように居直る有様です(かもがわ書店『放射線被曝の理科・社会』)。

「へのへの私」さんが懐かしむ、「あのころは批判的精神があった」は、どんだ錯覚・幻視です。

•[CML 040552]http://list.jca.apc.org/public/cml/2015-November/040647.html
へのレスポンスとして
ni0615田島










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