[CML 040552] 今日の言葉 ――過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすませ! げんざいが過去においぬかれ、未来に過去がやってくるかもしれない。

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 11月 9日 (月) 14:09:16 JST


【歴史は「いままさに暗転しつつある」】
〈“菊の禁忌”は戦後70年のいまもいっこうに解除も減圧もされてはいない。それは外圧というよりむしろ内圧として加速されている〉
著者はそう感じます。著者の父は、江蘇省の常熟で敗戦を知り、蘇州で武装解除されました。捕虜収容所内はわりあいおおらかで、
大演芸会なども催され、中国側から寛大な扱いを受けたといいます。その場で多くの捕虜を殺害した皇軍とは大違いでした。いまは
どんな時代か、と著者は問います。何も終わっていないし、何も変わっていないのではないか。人間社会の原型は「戦争体」なので
はないか。この先には滅亡しかないのではないか。戦争とは、国家の名のもとで、それぞれわけをもっている人を殺すことだ、と著者
は考えています。堀田善衛は南京大虐殺をえがいた小説、『時間』のなかで「死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万
人ではない、一人一人が死んだのだ」と記しました。そして、著者もまた、大量虐殺によって、「ひとりびとり」が、細かな記憶ごと抹殺
されたことに、いきどおりをいだきます。1937年12月17日、南京では、すでに何万人もが殺戮され、さらに多くの捕虜が虐殺されようと
しているなかで、皇軍の入城式が挙行されました。入城式では、君が代が演奏され、日の丸が掲揚され、大元帥陛下の万歳が三唱
されました。戦争オルガスムスへのあこがれは、いまも残っているのではないか、と著者は疑います。そのあらわれのひとつが、集団
的自衛権の行使を認めた近ごろの安保法制です。われわれがいまも「口実をさがすためにしか歴史を学ばない」権力者をいだいて
いるのは、戦争責任を問わないことによって成立した戦後のエセ民主主義のなせる必然でした。日本人は戦争の加害者ではなく、戦
争の「被害者」だと思っている(思いこまされている)のではないか、とも著者はいいます。加害の記憶は継承されにくいものなのです。
何となくずるずると進んで、気がついたら取り返しのつかない事態になっていたというのではない、とも述べています。そうではなくて、
「わたし(たち)がずるずるとこんにちを『つくった』というべきではないのか」。「つごうのわるい時間はかつてよりぶあつく塗りつぶされ
たままである」と著者は書いています。都合の悪い時間を忘却したままでいると、どうなるでしょう。そこに生じるのは過去のぶり返し
にほかなりません。ふたたび、戦争がはじまろうとしています。〈過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすま
せ! げんざいが過去においぬかれ、未来に過去がやってくるかもしれない。〉『1★9★3★7』は、そんな予言で終わっています。
                                                                 (海神日和 2015-11-09)

【山中人間話】

(前略)

Blog「みずき」:宮城康博さんは上記の粉川哲夫の言葉を引いた上で「沖縄に関してというか、平和運動や反基地闘争・運動に関して
いうと、最近読んだある論文から「反基地闘争への怨嗟」を感じた。曰くこれまでの運動はすべてが現状の変革に失敗している、であ
るから失効していると断じる。そうすることで呼びかけられ肯定されるテーゼは、基地や安保や国家政策を不問にして自らの良心の
満足に帰する。私はなんだか愕然としたんだが、粉川さんの愕然とどこかで通底する」という感想を述べています。が、私は、粉川さ
んの言葉から宮城さんとは違う感想を持ちました。

私は粉川さんの「311」以後、「80年代にはまだあたりまえだった批判的な思考や姿勢」や「原発を許容してきた諸条件を洞察する思
想やアイディア」が「すっかり忘れさられて」しまったという指摘に深く共感します。 


これは私の勝手な例示にすぎませんが、たとえばいま一定の(少なくない)脱原発勢力から「脱原発の雄」のようにもてはやされること
の多い広瀬隆というノンフィクション作家について、80年代には非科学的なインチキきわまる脱原発主義者という批判がまだ生きてい
ました(「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」野口邦和日本大学専任講師/放射線化学・放射線防護学 『文化評論』1988年7月)。左記
の野口邦和さんが広瀬隆批判を書いている『文化評論』はかつて共産党中央委員会の発行する雑誌でした。すなわち、80年代には
共産党も広瀬隆氏について批判的視点を持っていたのです。それが「311」以後、「80年代にはまだあたりまえだった批判的な思考や
姿勢」を共産党も喪失してしまいました。その背景には同党の「右傾化」問題があるでしょう。そうしたことどもが「311」以後の「愕然
とした」状況をつくり出しているのではないか、というのが粉川さんの言葉を読んでの私の感想です。

以下、省略。下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1626.html


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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