反論します。Re: [CML 037581] toriiyoshiki さんのいう「『福島』をめぐる思想戦」の問題として ――佐倉統さんの『はじめての福島学』(開沼博著)書評

T.kazu hamasa7491 at hotmail.com
2015年 5月 26日 (火) 13:45:08 JST


ni0615田島です

[CML 037581] は東本高志さんですよね
いつもの終わりのご署名がないので確認しますが・・・

>
toriiyoshiki さんが正義感と鋭敏な感受性を持つ硬派のジャーナリストであることは
上記の2本の文章をお読みいただけただけで
もおわかりいただけるものと思います。
そのtoriiyoshiki さんが「福島」をめぐる問題を「思想戦」の問題だと言っているのです。
<

あきれます。

toriiyoshiki氏が、https://t.co/ulcg8QaI0e
のような発言を、暴言だという氏の感情までは、良しとしましょう。
だからといって、toriiyoshiki氏が、
放射線は年100ミリシーベルトまで安全だと主張し、電気事業連合の2011年再刊の巻頭言を飾った
中川恵一に呼応して「思想戦」※(注1)などと語ること、
さらに、
デマ体質の「反原発」
「福島恐怖症」ないし「福島忌避症候群」。 

「福島差別」
「脱原発」が排外主義
などと、
あらん限りの罵倒を重ね、繰り返していることは、
確かに硬派かも知れませんが、品性がないという意味の硬派でしょう。
TVディレクターかもしれないが、ジャーナリストだとは言えないかも知れません。

そもそも、放射線・放射能は、1本あるいは1粒たりとも毒なのです。
ICRP国際放射線防護委員会は、必要のない放射線は0にすべきで、
必要だとしてもできるだけ少なくせよ、という考え方で、
最大限度は年1ミリシーベルトに抑えよ、
ということを勧告しています。

ですから、平常の基準でものを考えるひとが、 

平常のとき以上の放射能入り食品を忌避することは当然で、
自由なのです。

福島の農民の皆さんの苦痛を考えたら、そんな言い方はできないと
ulcg8QaI0e氏の品のない言葉に怒ることまでは、 

感情の問題だから良いでしょう。許容しましょう。
しかしその感情を、「思想戦」といってしまっては、昔陸軍も顔負けです。
その怒りを拡張して、すべての人を律しようとすることは、昔憲兵並みの越権です。※(注1)

「わいこそは脱原発思想の持ち主だわい」
といったところで、万能免責の特効薬(タイガーバーム)にはなりません。

福島の米を食べないというからといって、ケシカランの感情が爆発して
口汚くいつまでも罵倒し続けることは、
決してジャーナリストのとるべき態度ではありません。
福島の人たちの、放射能を見つめながらの米作り、その苦悩の本質をみることなく、
エスケープゴートを見つけて、腹いせをぶつけているに過ぎません。

toriiyoshiki氏の二番目の文章ですが、
東本さんは
>toriiyoshiki さんは以下のような言葉を発信する人でもありました<
とおっしゃいますが、
よく読んでみると、他人の文章の引用なのですね。
孫引きした東本さんの引用の仕方が不十分なので、
「正義感と鋭敏な感受性を持つ硬派のジャーナリスト」
そのご本人、toriiyoshiki氏が引用した「元理事」御本人が、
いったい誰なのかサッパリ分かりません。
なぞの入れ子孫引きマトリョーシカ、思想のマトリョーシカです。


佐倉統氏の書評について申し上げます。
これは、ただただ低俗の一語です。
たぶんほとんど前書きだけを読んで書いた書評ではありませんか?
(ゴマすり書評とはほとんどそういうもの?www)

著者開沼氏は、その本で、
・「避難」
・「賠償」
・「除染」
・「原発」
・「放射能」
・「子どもたち」
この6つの言葉は語るな、語るとステレオタイプとスティグマに陥り、
福島を政治的に語るものの思うがままになってしまうぞ、
と読者を恫喝します。

たしかに、
「福島の放射能・放射線はなんともない」と洗脳するもの、
あるいは洗脳されたことを心地良く思いたいものにとっては、
この「言葉狩り」が必要なのでしょう。
「刀狩り」のようなものなのですから。
(「思想戦」※(注1))

この「言葉狩り」「刀狩り」の圧力は、
次のような人たちに凝縮されます。

放射能を心配する人、
その多くは小さな子どもをもつ親、
体の弱い子どもを持つ親、
たとえば鼻血を出した子どもをもつ親たちです。 


これらの方々は、声も弱く少数の人たちです。 

開沼旋風の圧力で声も出せなくなっています。 


>
福島を政治問題化するな。事実を認識せずに結論先にありきで語るな。
福島に住んでいる多くの人たちに迷惑をかけるな。
どうして、こんな初歩的で常識的なことが分かってもらえないのか。
<

これは、著者開沼と評者佐倉のおごりです。
奢ったものが、自らの被害者意識を掻き立て、自分に同調しないものに激しい怒りを燃やす、
そうした、ザイトクカイのヘイトスピーチにも似たことが、
6つの言葉の言葉狩りに象徴されているのです。 

そして、弱いもの、少数者を心のゲットーに押込めます。

言葉狩りを許容した上での、佐倉の
>各人の価値観の違いを容認し、できれば共存すること<
とは、何たる欺瞞でしょうか?

開沼を応援した松本春野の絵本「ふくしまから来た子 そつぎょう」の帯を読めば、
>できれば共存すること<
の本音が見事に表現されています。

「 ふくしまからきた子は 避難先の ひろしまから
胸いっぱいに 希望や 喜びや 友達や 家族や
幸せを感じながら
福島に帰ります。
不安や 絶望や 悲しみや 憎しみや 孤独から
”そつぎょう”するためにー」(西田敏行)

つまり、放射能がのこる郷里へと、
放射能の恐怖を押し殺して、
不安や 絶望や 悲しみや 憎しみや 孤独を、
「水に流した」と、
無理やり自白して帰ってきたものだけに、
ムラ八分ににせずに、共存の機会を与える、といってのけるのです。

東本さんは、
東京や各地に避難した区域外避難者の、
西田「帯」に対する激しい憤り、
声にならない地の底からの怒りにも耳を傾けるべきです。

避難している人たちは、今まさに
借り上げ住宅や補助金が打ち切られ、
帰還の強制が行われつつあります。

西田にも、東本さんにも、
そんな事実は知らぬ存ぜぬ、とは言わせません。 

そうした状況の中での、受け入れであり、「共存」なのです。

差別構造を是認する浅薄な開沼や佐倉、そして松本が、
あたかも、苦悩する福島のひとたちを代弁するかのように振舞う有様は、
まさに「片腹痛い」とでもいうべきでしょう。 


しかしながら、開沼や佐倉、そして東本さんたちの「思想戦」は、
いまや官許の「思想戦」として、軍靴を鳴らし始めているのです。
※(注1)
リベラルとはいったい何なのでしょうか?

また佐倉は
>この本を読み、虚心坦懐にデータを受け入れればよい。<といいます。

ですが私は、開沼本を開き、そのデータなるものを読んで驚いたのです。
たとえば避難者人口です。
県外に出て行った人だけを数えて、あたかもそれだけが故郷を失った人だと語る。
まあ、よくできた新進気鋭の社会学者だとはいえるのでしょう。

ようするに、開沼博『はじめての福島学』とは、 

住民や避難者にとって喫緊の、もっとも生活と人生に影響を与える問題、
・「避難」
・「賠償」
・「除染」
・「原発」
・「放射線」
・「子どもたち」
この6つの言葉を使うなといいつつ、、
別の言葉を使っての、
新しい「ステレオタイプ」と「スティグマ」の提案書なのです。

確かに、
放射能に汚染された地に住み続けている人たちにとって、開沼本は、
現状肯定に一ときは酔わせてくれる、
甘い香りがするソフト・モルヒネなのかもしれません。

^^^^^^^^^^
それにしても、東本高志さん、
開沼本をご自分では読まず、他人の「書評」だけで絶賛なさるとは、大した曲芸ですね。
(自分でお読みになっていれば、自分の書評をお書きになるはずです)
[CML 037581] ご投稿のほとんど全部が引用です。
オリジナリティ亡き思想のパッチワークですね。 


※(注1)
そもそも、「思想戦」なる言葉はどこに起源をもつのでしょうか?
先の大戦を経験した年代の人だったら、すぐに、思想信条の自由を奪う、忌まわしき言葉として思い起こすでしょう。
たとえば、「大東亜戦争の思想戦略 : 思想戦要綱」(s17年)といった使われ方をしたのです。

戦争への国民総動員のための、内閣情報局発行の週刊グラビア誌「写真週報」では、
「思想戦」は次のように使われています。大東亜戦争準備の頃です。
・「思想戦展より」(創刊号s13年12月)
・「第二回思想戦展覧会」(102号s15年2月) 

・「思想戦を闘ふ爆撃機 ドイツ宣伝映画から」(118号s15年5月)

同じく情報局発行の挙国一致国民教育誌「週報」では
・「思想戦より観たる防共」(19号s12年2月) 

・「戦争生活読本ー2大東亜戦争と思想戦」(286号s17年4月)
・「思想戦読本1ー大東亜戦争と思想戦(上)」(310号s17年9月)
・「思想戦読本2ー大東亜戦争と思想戦(下)」(311号s17年9月)
・「思想戦読本3ー思想戦と経済」(312号s17年9月)
・「思想戦読本4ー思想戦と政治」(313号s17年10月)
・「思想戦読本5ー思想戦と科学」(314号s17年10月)
・「思想戦読本6ー思想戦と教育」(315号s17年10月)
・「思想戦読本7ー思想戦と文化」(316号s17年10月)
・「思想戦読本8ー思想戦の基底」(316号s17年11月)
という風に「思想戦」という言葉は使われていたのです。

東京大学医学部准教授中川恵一氏(1960年生)は、もしかすると少年の頃、
軍国ノスタルジアにあこがれた「丸」愛読少年だったのでしょうか?
「思想戦」などという言葉が平気でスラッと出てくる。

護憲平和の論客を自負する東本高志さんまでもが、「思想戦」なる言葉を
なんの忌避感もなくお使いになる。むしろそれを使って自らを奮い立たせなさる、
ということは、
安倍戦争法規がごく当たり前のことのようにマスコミで扱われる、
今このご時勢を反映しているのでしょうか?  


言葉の忌まわしさとともに、サヨク人士までも洗脳完了となった、
今様に眩暈(めまい)を覚えずには居られません。

ni0615田島拝


-----Original Message----- 
From: higashimoto takashi
Sent: Monday, May 25, 2015 8:42 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 037581] toriiyoshiki さんのいう「『福島』をめぐる思想戦」の問題として ――佐倉統さんの 
『はじめての福島学』(開沼博著)書評



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