[CML 038147] 今日の言葉 ――自分の専門領域だけに閉じこもる無機的な人間だけが社会を構成するようになったとき、民主政は生きることをやめるだろう。
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 6月 26日 (金) 19:29:07 JST
【「専門領域」へ閉じこもることへの危惧から民主政は始まった】
いま「民主主義」そのものの意味が問われる時代になって、その始原にまで溯って考えたいと思い、橋場弦さんの『丘のうえ
の民主政』を読んだ。ここに描かれた、歴史上初めて「民主主義」を生んだ古代アテナイの人びとの壮大な実験が胸をうつ。
平和の時代ではなく、絶え間なく続く戦争の最中にあって、アテナイの人びとは、熟議と公平を追求した。なぜ、2500年も
前の古代ギリシャの政治体制を探究する必要があるのか。すべての市民が「政治」への参加を要請された共同体とは何だ
ったのか。橋場さんは、その問いにこう答えている。「ペリクレスが理想とした民主政とはたんなる国家制度ではなく、一つの
生活様式(way of life)であった。そこではどの市民も民主政への参加を期待される……われわれが現代に生きる限り、何
かの専門領域にしばられるのは避けられない宿命である。広い意味での官僚制なしに近代文明が一刻も維持できないのは、
だれもが承知していることだ。にもかかわらず、民主政と官僚制とは根本のところで相容れない。自分の専門領域だけに閉
じこもる無機的な人間だけが社会を構成するようになったとき、民主政は生きることをやめるだろう」政治家たちの中に「学
者」を毛嫌いする気分があるのは、自身の「専門領域」を侵されることへの本能的な反発があるからだ。だが、人々が、それ
ぞれの「専門領域」へ閉じこもることへの危惧から、民主政は始まったのである。(高橋源一郎「朝日新聞」2015年6月25日)
http://digital.asahi.com/articles/ASH6Q62S5H6QULZU00J.html
【山中人間話】
・過去の写真のようだけど、2015/6/23の写真です。沖縄-安倍晋三の乗った車に向かって抗議する若者たち。本土では報
道されない現実。
・この写真は先日6月23日、安倍首相が乗った車に抗議する若者たち(辺野古ブルー)。よく見ると、彼らは何も凶器らしい
ものは持っていない。つまり自分たちの生声をぶつけようとしている。島崎ろでぃーという写真家の作品。
以下、省略。下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1353.html
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
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